絶望は時に力になる
リュタチ王妃が処刑されたその夜、オステリア東帝国の王宮には重く沈むような不穏な空気が漂っていた。民衆の喧騒は消え去り、暗い静寂だけが広場を覆っている。その中で、リヤ・イズリオンは深い悲しみに包まれていた。
ルマンに抱えられるようにして処刑台から離れたリヤは、ようやく隠れ家へとたどり着いた。王宮の外れにある廃墟同然の屋敷。その暗い部屋の片隅で、リヤは震える手を握りしめ、地面に膝をついていた。
「お母さま……私は……」
震えながら呟くその声には、絶望が色濃く滲んでいた。
「リヤ……」
そばに立つルマンが静かに彼女に声をかける。だが、リヤは顔を上げようとしなかった。
「何もできなかった……お母さまを救えなかった……」
リヤの目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。その姿にルマンは眉をひそめ、彼女の前に膝をついた。
「君が何もできなかったわけじゃない」
ルマンの声は低く、静かだった。
「君は全力を尽くした。だが、フレリックの圧倒的な力の前では、今の君一人では足りなかっただけだ」
「それでも……私は……お母さまを救いたかった!」
リヤは顔を上げ、涙で濡れた瞳でルマンを見つめた。その耳が震え、彼女の心の痛みを物語っている。
ルマンはその瞳をじっと見つめ、肩を強く握った。
「だからこそ、ここで終わるな。君がここで立ち止まるなら、リュタチ様の願いが無駄になる」
「でも……私はどうすればいいの……?」
リヤの声はかすかに震えていたが、その瞳の奥には一筋の光が宿り始めていた。
「まずは耐えることだ」
ルマンは言葉を続けた。
「耐え、力を蓄えろ。そして、君を支える仲間を見つけるんだ。一人では届かない場所に手を伸ばすために、信じられる者を増やせ」
その言葉に、リヤは少しずつ呼吸を整え、涙を拭った。
「私は……お母さまが願ったことを絶対に無駄にしない。私は、この国を変えるために進むわ」
ルマンは微かに微笑み、力強く頷いた。
「それでこそリヤだ。俺は君のそばにいる。君が進む道を支えるためにな」
その日の深夜、王宮では別の動きがあった。処刑を邪魔しようとしたリヤの行動に激怒したフレリックが、父であるリリーシュ王に直談判をしていた。
「父上、リヤは処刑を妨害し、帝国の秩序を乱しました。混血の娘がこのような反逆を犯した以上、厳しく罰するべきです」
フレリックの声は冷たく響き、王の寝室にいる侍女たちが一斉に身を引いた。
だが、リリーシュは布団に横たわったまま、疲れたような目を閉じていた。
「リヤが……何をしたのかは分かっている」
「ならば流罪に処すべきです。彼女を不問にすれば、帝国全体に間違ったメッセージを送ることになります」
フレリックの主張は鋭いが、どこか余裕を感じさせる冷笑が浮かんでいた。
リリーシュは重い息をつき、ゆっくりと目を開けた。
「お前には分からないだろう……リヤは、私にとってリュタチの面影そのものだ。彼女を罰することは、王妃を二度殺すに等しい」
その声には苦悩がにじんでいた。彼の耳には、思い出すリュタチの優しい笑顔と裏腹に、馬鹿にしたような臣下たちの幻聴が聞こえている。
『だまされるな……彼女は裏切る……』
『リュタチもリヤもお前を利用しているだけだ……』
リリーシュはその声を振り払うように頭を抱え、絞り出すように続けた。
「リヤの罪は……不問とする」
フレリックはその答えに不満そうな表情を浮かべたが、何も言わずに部屋を去った。その背中には、次の策略を練る野心が見え隠れしていた。
翌朝、リヤは決意を新たにし、シェリダン夫人の屋敷を訪れた。処刑後の混乱を避けるため、夜通し移動を続けた末にようやくたどり着いたその屋敷では、シェリダン夫人が冷静に彼女を迎え入れた。
「リヤ様、よくご無事で」
シェリダン夫人は微笑みながら、リヤを応接室へ案内する。
「伯母様……私は……」
リヤが言葉を詰まらせると、夫人は彼女の手をそっと握った。
「分かっています。あなたはご自分を責めているのでしょう。でも、リュタチ様の願いを受け継ぐならば、今は自分を奮い立たせる時です」
その言葉にリヤは頷き、力強い声で答えた。
「私は、この国を変えるために戦います。母の死を無駄にはしません」
シェリダン夫人は満足げに微笑んだ。
「では、まずはフレリック様に反対する貴族たちを探し、協力を得ることから始めましょう。あなたを支持する人々は、必ずいるはずです」
「協力者……」
リヤは夫人の言葉に考え込みながらも、その瞳には再び希望の光が灯り始めていた。
その夜、リヤは屋敷の窓辺に立ち、母の面影を思い出しながら誓いを立てた。
「お母さま、私は絶対にあなたの願いを叶えます。もう迷わない……」
彼女の瞳に宿る光は、決意と復讐の炎だった。その炎は、やがて帝国全土を巻き込む大きな運命の渦へとつながっていく。