希望と暗雲
一週間が過ぎた。
リヤたちの尽力と、獣人族たちの協力によって新しい病人は出なくなり、隔離部屋に収容されていた患者たちも次第に回復を見せ始めている。広場に響いていた人々の悲鳴は徐々に静まり、代わりに安堵と感謝の声が街を満たしつつあった。
隔離部屋では、獣人族の若者たちが率先して患者の世話を手伝っているようだ。
キーノをはじめとする工事を手伝った獣人族たちが看病にも参加し、繊細な感覚を活かして患者の状態を見極めたり、薬の適量を慎重に測ったりしていた。
「この患者さん、体温が少し下がっている。あと一晩注意して見れば大丈夫そうだ」
キーノが小さく唸りながら言うと、リヤは疲れた表情の中にも微笑みを浮かべた。
「キーノ、みんな、本当にありがとう。あなたたちがいなかったら、私はここまで来られなかったわ」
「礼なんていらないさ」
キーノは少し照れくさそうに肩をすくめるが、後ろに控えていた他の獣人族たちも微笑んで頷いていた。
何日徹夜したのか、もはやリヤ自身にも分からなかった。夕焼けなのか朝焼けなのか、空の色さえ区別がつかない時間が続く。
しかし、隔離部屋を見渡すと、患者たちの数が確実に減ってきているのが分かった。症状が軽快した人々が隔離を解かれ、家族の元に戻っていく姿を見たリヤは、安堵のため息をつく。
「少し休憩しましょう」
リヤが隔離部屋を出ると、広場では市民たちが集まっていた。彼らの視線が以前の冷ややかさから温かな感謝の色へと変わっているのを感じる。
その希望は、街の偏見の根を少しずつ揺るがし始めていた。
広場でリヤたちが顔を見せると、これまで冷たい視線を向けていた人々の中から感謝の声が漏れ始めた。
「リヤ王女様、どうかお礼を言わせてください!」
一人の男性が駆け寄り、深々と頭を下げた。
「娘が病から回復しました。本当にありがとうございます!」
その後ろからも次々と声が上がる。
「息子を救っていただきました!」
「王女様と獣人族の方々のおかげです!」
その言葉を聞いたキーノが照れたように目をそらしながらも、「俺たちがやっただけじゃないさ」と低く呟いた。リヤはそんな彼の肩に手を置き、感謝の目で彼を見つめた。
「みんな、ありがとう。あなたたちがいなければ、この街の人々を救うことはできなかったわ」
その言葉に、獣人族の若者たちははわずかに赤面しながらも、真剣な瞳でリヤを見返した。
この病気は、リヤたちが看護した街だけではなく、オステリア東帝国を蝕む病だった。
しかし、リヤたちが発見した渡り鳥による水脈汚染の事実は、この病気が自然界と密接に関係していることを証明するものである。
街の人々が徐々に獣人族の力を認め始めると、その噂は周囲の街にも広がり始めた。
「獣人族の感覚がなければ、この病気は解決しなかったらしい」
「彼らの能力は本物だ」
「リヤ王女様は、人間族も獣人族も平等に救おうとしている」
そうした話はやがて貴族社会の耳にも届くこととなり、宮廷内でもリヤの名が語られ始めていた。
一方で、オステリア東帝国の宮廷では、不穏な動きが広がりつつあった。
広々とした玉座の間には静寂が満ち、かつての輝きを失ったリリーシュ皇帝が玉座に腰掛けていた。その姿は、王というよりもただの疲れた老人に見えた。
彼の手元には一枚の報告書があり、そこにはリヤが街を救った詳細が記されていた。しかし、彼の目はその文字を追うことなく虚空を見つめている。
「リュタチ……」
彼が呟くその名は、最愛の人であり、自らの手で命を奪った女性の名だった。
玉座の間の隅に立っていたフレリックが、一歩前に進み出た。彼の瞳には冷たさと焦りが混じっている。
「父上、報告書をお読みになりましたか?」
フレリックの声には敬意のようなものが込められているが、その裏には薄暗い野心が隠れていた。
「読んだところで、何になる……」
リリーシュ皇帝はか細い声で答えた。
「私は……もう何もできぬ。この手で、全てを壊したのだ……」
彼の瞳が一瞬、リュタチの幻影を追うように揺れる。
「父上、お休みください」
フレリックが静かに言うと、リリーシュは玉座を後にした。その背中は驚くほど小さく、帝国の未来を背負うにはあまりにも脆いものに見えた。
広間に一人残されたフレリックは、手元の報告書を睨みつけた。リヤの名が民衆の間で高まりつつあることに、焦りと苛立ちを覚える。
「リヤ……あの混血の女が、民を惑わしているのか」
彼は低く呟き、握りしめた手の中で報告書をくしゃくしゃに潰した。
宮廷内に広がる不穏な空気は、やがて帝国全体を覆う暗雲となり、リヤに新たな試練を突きつける前兆のようである。