新たな不安
一か月が過ぎた。
リヤとルマン、そして新たに仲間となった獣人族の若者キーノは、市場での活動を続けていた。商人たちの一部はリヤたちの提案を受け入れ、獣人族の能力を利用し始めている。嗅覚を生かして商品を選別したり、品質管理に役立てたりと、小さな成功が生まれつつあった。
だが、それはごく一部の話。
市場全体に漂う空気は依然として冷たく、偏見の壁は相変わらず高いまま。市場を歩くリヤの耳にも冷たい囁きが届いていた。
「獣人族だの混血の王女だの……どうしてこんな連中を街に入れたんだ?」
「疫病神みたいなもんさ。あんな奴らと付き合うから、この街にも災いが降りかかるんだ」
リヤはそんな声に耳を貸さないよう努めたが、胸の奥が締め付けられるようだった。隣で彼女の表情を見ていたルマンが低い声で囁く。
「君が進む道には茨が多いが、必ず出口はある。無理をしすぎないことだ」
その赤い瞳には、リヤを気遣う優しさが滲んでいた。
「ありがとう、ルマン。でも今は立ち止まるわけにはいかないの」
リヤの声は静かだが、その瞳には決意の光が宿っている。
獣人族の中でもリヤたちを応援する者ばかりではない。過去に人間族から受けた仕打ちを忘れられない者が多く、人間族との共存など不可能だと断じる声も強かった。それでも、若い世代の中にはリヤに期待を寄せる者たちが現れつつあるのだ。
キーノもその一人だ。
灰色の髪と鋭い金色の瞳、オオカミのような耳と尾を持つ彼は、リヤの誠実さと行動力を信じ、力を貸していた。
「リヤ王女、少し休まれた方がよろしいのでは?」
市場を歩くリヤを心配そうに見ながら、キーノが声をかけた。
「ありがとう、キーノ。でも今はやらなきゃいけないことがたくさんあるの」
リヤは微笑みながら答えたが、その顔には疲労がにじんでいた。
「リヤ、彼の言う通りだ」
ルマンが険しい顔で言った。
「無理をすれば、体が持たなくなるぞ」
リヤは二人に感謝の目を向けながらも、静かに首を振った。
「分かっている。でも、少しでも多くの人に獣人族の力を知ってもらわなければ、偏見の壁は崩れないもの」
その時だった。
キーノが足を止め、鼻をひくつかせた。
「嫌な臭いがする」
キーノの耳が鋭く動き、尾が警戒するように揺れる。
「臭い?」
リヤが問い返すと、キーノは辺りを見回しながら言った。
「何かが腐ったような……いや、それだけじゃない。不吉な気配を感じる」
その言葉を聞いて、ルマンも周囲を警戒するように目を細めた。
「何かが起きているのかもしれない。行ってみよう」
三人が進んだ先には、一人の男性が道端で倒れていた。顔色は蒼白で、大量の汗をかき、うわ言のように何かを呟いている。
「どうしたの!?」
リヤが駆け寄り、男性の額に手を当てると、信じられないほどの高熱だった。
「誰か!助けてください!」
リヤが声を張り上げたが、周囲の人々は怯えたように後ずさりするばかりだった。
「そいつに近づくな!呪いの病だ!」
「何十年かに一度現れるっていう、あの病気だ!」
人々の間で不安と恐怖が広がり始めた。
「呪いの病……?」
リヤが困惑していると、近くにいた商人が震える声で説明を始めた。
「この辺りじゃ数十年に一度、原因不明の病気が蔓延るんだ。医者もお手上げで、多くの人が死ぬって話だ」
「そんな……」
リヤは息を呑んだ。
だが、その時だった。別の男が険しい顔でリヤたちを指差し、大声を上げた。
「獣人族がこの街に来たせいだ!奴らが災いを持ち込んだんだ!」
その言葉に、周囲の人々も騒ぎ始めた。
「そうだ、混血の王女が獣人族を連れてきたからだ!」
「呪いを広げたのはお前たちだ!」
その場に漂う敵意の中、子供たちが石を拾い上げ、リヤたちに向かって投げ始めた。
「やめろ!」
ルマンが剣に手をかけ、キーノも低く唸り声を上げた。
「二人ともやめて!」
リヤが制止し、笑顔を浮かべながら子供たちの方を向いた。
「大丈夫だから」
彼女は倒れている男性に再び目を向け、そっと手を伸ばした。
「私はこの街を救いたい。この人たちを救う方法を見つけたい」
リヤの言葉は周囲の人々にも静かに響き渡った。だが、その視線にはまだ不信と恐怖が混じっている。
その夜、リヤたちは宿に戻り、病気の原因を探るべく話し合いを始めた。
「動物たちが不安そうに吠えているのも気になる」
キーノが昼間の犬の様子を思い出しながら言った。
「奴らは何かを察知しているのかもしれない」
「動物の行動を手がかりにできるかもしれないわね」
リヤはそう言いながら、疲れた顔に新たな決意を宿した。
「呪いなどではない。だが、原因を突き止めない限り、人々の偏見は消えない」
ルマンが冷静に言った。
リヤは静かに頷く。
「私は諦めない。この街を救うために全力を尽くす」
闇夜の中に力強い言葉が、流れ星のように光っている。