信頼の香り
市場の朝は、活気に満ちていた。商人たちの声が飛び交い、人々が行き交う中で、リヤはまっすぐにその中心部へと歩みを進めていた。昨日の屈辱的なやり取りを思い出しながらも、彼女の足取りには迷いはない。
「今日は、どのように動くつもりなんだい?」
ルマンが隣から声をかける。彼の赤い瞳は彼女を見守りながらも、どこかに不安を秘めているようだった。
リヤは少し微笑んで答えた。
「昨日の商人たちが何を恐れているかは分かったわ。信用を失うことと、利益がないこと。それなら、彼らが得をする方法を提示すれば、話を聞いてもらえるはずよ」
ルマンは彼女の横顔を見つめ、静かに頷いた。
「君の決意が伝わることを願っている。だが、無理をしすぎないでくれ。君は……一人で抱えすぎているように見える」
その言葉に、リヤは少しだけ目を伏せたが、すぐに顔を上げた。
「ありがとう。でも、私はやり遂げなきゃいけないの。これは私自身の使命だから」
リヤが最初に目をつけたのは、薬草を売る年配の女性商人の店だった。昨日見た店と違い、彼女の店には人だかりができていたが、客たちは商品の効果に半信半疑な様子だった。
「これは本当に効くのか?」
「匂いも形も同じに見えるが、どれが一番効果的なんだ?」
そのやり取りを聞いて、リヤはふと考え込んだ。森で見た獣人族の嗅覚――薬草を瞬時に見極めるその能力が、この場で役に立つのではないか、と。
リヤは店先に歩み寄り、商人に声をかけた。
「あなたの商品を試す方法があります。よろしければ、私にお手伝いさせていただけませんか?」
商人は最初、リヤを見上げて微笑んだが、彼女の耳に気づいた途端、その表情が硬くなった。
「おや、あなた……あの王族の混血だって噂の?」
「ええ、そうです」
リヤは動じることなく頷いた。
「ですが、それは関係ありません。あなたの商品が優れていると証明できれば、もっと多くの人に信頼してもらえると思うのです」
商人は怪訝そうな顔をしたが、リヤの真剣な目に負けたのか、しぶしぶ頷いた。
「分かったわ。でも、どうやって証明するつもり?」
リヤは振り返り、森から連れてきた若い獣人族の女性を呼び寄せた。彼女は一瞬尻込みしたが、リヤが穏やかな笑顔で励ますと、前に出てきた。
「彼女の嗅覚を使えば、最も効果的な薬草を見つけられます。それを実際にお客様に見せてみましょう」
獣人族の女性は商品を一つずつ手に取り、慎重に匂いを嗅ぎ分けていった。そして、ある薬草を手に取り、小さく頷く。
「これが最も効果が高いわ。他のものは乾燥しすぎていて、成分が薄くなっている」
周囲に集まっていた客たちが驚きの声を上げた。商人自身もその正確さに目を見張り、他の商品と比べると確かに彼女の言う通りであることが分かった。
「こんなことが本当に……」
商人は信じられないような表情で呟いた。
リヤは微笑みながら言った。
「どうですか? 獣人族の力を活用すれば、あなたの商品をさらに価値のあるものにできるでしょう」
商人はしばらく沈黙したあと、小さく頷いた。
「確かに、この力はすごい。でも、だからと言って簡単に信用は……」
「信用は、一歩ずつ築き上げるものです」
リヤは冷静に言葉を続けた。
「それに、この力を見せ続ければ、やがてそれが偏見を超えると信じています」
商人は複雑な表情を浮かべながらも、少しずつ心を開いていくようだった。
その日の午後、リヤが市場を歩いていると、別の商人が声をかけてきた。野菜を扱う若い男性で、彼の目には興味と期待が混じっていた。
「王女様、さっきの話を聞きました。もしよければ、俺の店の商品も試してみてもらえませんか?」
リヤはその言葉に一瞬驚いたが、すぐに笑みを浮かべた。
「もちろんです」
商人は複雑そうな笑顔をのぞかせる。
やはり一朝一夕には、差別はなくならない。
その夜、リヤとルマンは宿に戻り、小さな部屋で肩を並べて座っていた。窓の外では市場の明かりがちらちらと瞬いている。
「少しだけ進んだわ。でも、まだこれからね」
リヤは静かに呟いた。
ルマンは彼女を見つめ、少し微笑んだ。
「君は素晴らしい努力をしている。きっと母上も君を誇りに思っているだろう。でも、どうか自分のことも大切にしてくれ。君が倒れてしまえば、誰も君を助けられない」
その言葉にリヤは一瞬驚いたが、やがて小さく頷いた。
「ありがとう。気をつけるわ。……でも、まだ終わらせられないの」
彼女の瞳には、さらなる挑戦への決意が輝いていた。