飢えに苦しむ村と王女の誓い
リヤはルマンと共に、獣人族の集落を後にして人間族の市場へと向かっていた。森を抜けると、広がる草原の向こうに見える市場の喧騒が耳に届いてくる。その活気に、彼女は一筋の希望を抱く反面、胸の奥に緊張が広がるのを感じていた。
「リヤ、大丈夫か?」
ルマンが彼女の隣で静かに声をかける。
「ええ、きっと何とかなるわ」
リヤは微笑みを浮かべたが、その目は鋭い決意を宿していた。彼女は心の中で繰り返し誓っていた。絶対に試練を成功させ、村の人々の信頼を得ると。
市場に入った瞬間、リヤは異質な視線に包まれた。道の両側に立ち並ぶ商人たちの間を歩くと、そのざわめきが耳に入ってくる。
「なんだ、あの女……見たことがあるような」
「王族だって? いや、獣人族の耳が……混血か?」
ざわざわと広がる囁き声は、リヤの頭上に現れたうさぎの耳を見て一層高まった。彼女は無意識に耳に手をやったが、その動きを止め、毅然と顔を上げた。
「堂々と進めば、いずれ誰かが耳を貸してくれるはず……」
そう自分に言い聞かせながら、最初の商人に声をかけた。
店の前に積み上げられた麻袋からは、小麦やトウモロコシの匂いが漂っている。リヤはその前に立ち、商人に向かって話しかけた。
「お話を伺えますか?」
商人は初め、彼女を見上げたが、彼女の頭上にある耳に気づくと表情を険しくした。
「……あんた、獣人族か?」
「いいえ、人間族と獣人族の混血です」
リヤは冷静に答えた。
「あなたの協力が必要なのです。飢えに苦しむ人々に食糧を分けていただけませんか?」
商人は鼻で笑った。
「ふざけるな。獣人族だろうが混血だろうが、俺には関係ない話だ。そんな連中に手を貸したら、こっちが干上がっちまう」
リヤはその言葉に息を呑むが、感情を抑えて食い下がる。
「どうしてそんなことをおっしゃるのですか? 人が苦しんでいるのを見過ごせるのですか?」
商人は苛立ったように声を張り上げた。
「苦しんでる? 獣人族がどうなろうと知ったことか! そもそも、あいつらは人間族に必要とされてないんだよ!」
「必要とされていない……」
リヤの声が震えた。
「そうだよ! 獣人族と関わったら、上流の客から睨まれる。信用を失えば、俺たちの商売は終わりだ。それが分からないでこんな話をしに来たのか?」
その冷たい言葉にリヤの胸は締め付けられた。だが、彼女は目をそらさずに言った。
「あなたのその偏見が、彼らの命を奪っています」
「偏見? 命だ? 王族のお嬢様が何を言ったって変わらないんだよ!」
商人は怒りを込めて吐き捨てるように言い、リヤに背を向けた。
次に訪れたのは、薬草を扱う店だった。香り立つ草花が並ぶ中、年配の商人が彼女を見上げた。
「王族様が何のご用ですかな?」
一見、礼儀正しい言葉だったが、その目には冷たさがあった。
「飢えに苦しむ人々のために、あなたの薬草を譲っていただけませんか?」
リヤが頭を下げると、男は苦笑いを浮かべた。
「獣人族の村のことですか?」
男が口を開くと、周囲の商人たちが耳をそばだてる。
「リュタチ王妃がいた頃は、あの村も人間族との繋がりを最低限保っていましたな。だが、結局、あの方も死んでしまった。そんな者たちに情けをかける意味などありますまい」
「母は、あなた方のために尽力したのです!」
リヤは思わず声を荒げた。
男は鼻を鳴らすように笑った。
「尽力? 冗談を言わないでいただきたい。王妃が王宮にいた間、どれほどの人間族が割を食ったか。獣人族が人間族に匹敵するとでも思っているなら、それこそ笑い話だ」
「獣人族も同じ命を持つ生き物です! なぜそれが分からないのですか!」
リヤの声は震えていたが、その瞳には涙と怒りが混ざっていた。
「同じ? そんな理想論で商売が成り立つなら、誰も苦労しないさ」
男はリヤを追い払うように手を振った。
リヤは市場を離れ、広場の隅に腰を下ろした。怒りと悔しさが入り混じった感情が、彼女を覆っていた。
「……ルマン、私は何をすればいいのか分からない」
「焦るな、リヤ」
ルマンは彼女の隣に座り、静かに言った。
「お前の言葉が響かないのは、彼らが偏見に囚われているからだ。だが、それを乗り越える方法も必ずある」
「偏見を乗り越える方法……」
リヤは視線を森の方向に向けた。
ふと、村の中で見た光景が思い出された。薬草を嗅覚で探す女性、聴覚で危険を察知する男性――彼らの能力は人間族にはない特別なものだった。
「もし、彼らの力を商人たちに見せれば……」
リヤの中に一筋の光が差し込む。
「信用も利益も与える手段があるはず。私はそれを見つけなければならない」
彼女は顔を上げ、再び市場を見渡した。その瞳には、挑戦への強い意志が宿っていた。
「母が命を懸けて守ろうとしたものを、私が証明してみせる」
彼女の誓いは、再び彼女を立ち上がらせた。試練を乗り越えるための新たな戦略が、彼女の中に芽生えつつあった。