再び歩き出す
王都を離れて数日。リヤとルマンは、獣人族の集落がある森の中へと足を踏み入れていた。木々が空を覆い、光の差し込む道は狭く、迷い込んだら二度と戻れないような不気味さを漂わせている。
「リヤ、道が険しくなる。足元に気をつけて」
ルマンの低い声が響く。彼の鋭い目は森の奥へと注がれ、手はいつでも剣を抜けるように構えている。
リヤはその言葉に小さく頷いた。胸の奥に高鳴る緊張があるものの、足を止めるつもりはなかった。彼女は母リュタチを想いながら、再び誓いを心に刻む。
「私がこの国を変えるためには、まず彼らと向き合わなければならない……」
しかし、その言葉とは裏腹に、リヤは自分の立場が複雑であることを痛感していた。獣人族と人間族の間に生まれた混血の王女――人間族の世界では疎まれ、獣人族の中では信用されないかもしれない存在。
その考えがよぎるたび、リヤの頭に現れるうさぎの耳が小さく震えた。焦りと不安が高まると、耳がぴくぴくと動き、自分の存在そのものを象徴しているようだった。
リヤは反射的に耳に手をやり、隠そうとした。
「気にするな」
ルマンが彼女をちらりと見て言った。その声には気遣いが込められている。
「君が何者であるかを示すものだ。それを隠す必要はない」
リヤは彼の言葉に微笑もうとしたが、まだ自分に自信を持てずにいた。
集落に着いたリヤとルマンを迎えたのは、疑念と怒りが入り混じった視線だった。周囲に集まる獣人族たちは、彼女の金髪と翡翠の瞳を値踏みするように見つめている。そして、その頭に現れたうさぎの耳が、彼女の混血の血をさらに強く示していた。
「混血の王女がここに来たぞ」
「何の用だ? 俺たちを救えるとでも言うのか?」
ざわめく声が広場に広がる。リヤは彼らの怒りを感じ取りながらも、怯むことなく前に進み出た。
「私はリヤ・イズリオン。あなたたちと同じ血を引く者です。お話をさせてください」
リヤの声は静かだったが、そこには必死さが込められていた。
その瞬間、一人の若い獣人族の男が一歩前に出た。その瞳には怒りが燃え、彼の尾がぴんと立ち上がっている。
「話だと? あんたはリュタチ様を救えなかったじゃないか!」
彼の声が鋭く響き渡り、周囲の獣人族たちもその言葉に頷き始めた。
「俺たちの希望だったリュタチ様を見殺しにしたくせに、今さら何を言うんだ!」
その言葉にリヤの心臓は締め付けられた。彼女の頭にあるうさぎの耳が震え、感情の高ぶりを隠しきれない。
「私は……」
リヤは言葉を詰まらせた。喉が震え、息がうまくつながらない。
「母を救おうとしました。でも、私の力が足りなかった。私には……」
リヤが必死に声を絞り出すと、別の男が冷たく言い放った。
「それで許されるとでも思うのか? 王族だろう? 獣人族の誇りだったリュタチ様を見捨てて、自分だけ生き延びたんだ」
「違います! 私は見捨てたわけではありません!」
リヤが声を張り上げると、再び周囲にざわつきが起きた。
「言葉で何を言おうと、リュタチ様は死んだ。俺たちにはもう希望なんてない」
若い男の声が鋭く響き、リヤの胸に鋭い棘のように突き刺さる。
「もうやめろ」
その時、年配の獣人族の男がゆっくりと前に出た。長い耳と尾を持つ彼は、この村の代表者であるラウスだった。周囲の怒りを一喝するように、静かな声で続ける。
「リヤ王女がここに来たのは、言葉だけではないはずだ。話を聞こうではないか」
「でも、彼女はリュタチ様を……」
若い男が反論しようとするが、ラウスは静かに手を上げて制した。
「確かに彼女が救えなかった事実はある。それでも、彼女がここに来たのは何かを変えようとしているからだ」
ラウスはリヤに向き直り、その目に警戒と期待が入り混じった光を宿していた。
「だが、リヤ王女。あなたは本当に変えられるのですか? あなたの母ができなかったことを、あなたに成し遂げられるというのですか?」
その問いに、リヤは一瞬黙り込んだ。自分がここにいる理由を再確認するように深く息を吸い込み、再び顔を上げる。
「私は母を救うことができませんでした。それは私の力が足りなかったからです」
その言葉に、周囲の獣人族たちがまたざわつき始める。
「でも……だからこそ私は変えたい。この国を、人間族も獣人族も、すべての種族が平等に生きられる場所にしたいんです。それが母の願いであり、私の使命です」
リヤの目から涙が一筋こぼれたが、彼女の声は震えなかった。
「あなたたちに信用していただけるよう、私は何度でもここに来ます。私は逃げません」
その言葉に、ラウスが少しだけ目を細めた。そして、静かに言った。
「誓いの言葉だけでは、我々の信頼は得られません。あなたがどれだけ真剣か、それを示してもらう必要があります」
リヤはその言葉を受け止め、深く頭を下げた。
「分かりました。私はあなたたちに誠実であることを証明します」
その夜、リヤとルマンは村の外れにある小屋に宿を借りていた。リヤは窓辺に座り、うさぎの耳を触りながら、今日の出来事を思い返していた。
「彼らに責められるのは当然だわ……私は、彼らの希望を守れなかった」
リヤの声は小さく震えていた。
「彼らの怒りは当然だ」
隣で剣を手入れしていたルマンが低く答えた。
「だが、君がそれを受け止め、進むことを選んだのなら、それだけで価値がある」
「でも、彼らの信頼を得るには、もっと何かを示さなきゃ……」
リヤは目を伏せたが、すぐに顔を上げた。
「私は諦めない。彼らに私を信じてもらえるよう、私は必ず行動で示してみせる」