王冠の夢
オステリア東帝国。広大な領土を誇るこの国は、様々な種族の力によって繁栄を築き上げてきた。だが、王族や貴族たちが暮らす世界では、種族間の平等など夢物語に過ぎなかった。
人間族が政治の中心を担い、エルフ族はその美貌と知性で一部の貴族社会に溶け込みつつも独自の地位を確立している。一方で、獣人族は「野蛮」と蔑まれ、下層階級に追いやられていた。
そんな中で、オステリア東帝国の王女リヤ・イズリオンは複雑な立場にあった。人間族の父であるリリーシュ王と、獣人族の母であるリュタチ王妃の間に生まれたリヤは、王宮内で異端として扱われていた。表向きには王女として敬われることもあったが、その存在を疎ましく思う者たちからの冷たい視線に耐える日々を送っていた。
「リヤ、見てごらん!」
庭園からルマン・フォン・ティンガーレイの落ち着いた声が響いた。黒髪に深紅の瞳を持つ彼は、筆頭公爵家の三男であり、幼少の頃からリヤの数少ない友人だった。彼は大きな手に摘んだ花々を持ち、微笑みながら近づいてくる。
「これで王冠を作ってみたんだ、君に似合うと思う」
リヤは金色の髪を揺らしながら、少し驚いたように彼を見た。
「王冠? 私に?」
「もちろん 君は王女だ だがそれだけじゃない 君は王冠がふさわしい存在だよ」
ルマンの言葉には確信が込められていた。それを聞いたリヤは、わずかに笑みを浮かべながら彼に答えた。
「ありがとう。でも、王冠なんて……私には重すぎるかもしれないわ」
その言葉に、ルマンは一瞬黙ったが、柔らかな微笑みを崩さなかった。
「君がそう感じるなら、それは君が本当にその重みを理解しているからだ それこそが君の強さだ」
ルマンが慎重に花冠をリヤの頭に載せると、彼女の金色の髪に花の色が映え、美しい輝きを放った。
「どうかな。君はこの庭園のどの花よりも美しい」
リヤが砂糖菓子のように笑う。
その瞬間、庭園の奥から冷たい声が響いた。
「リヤ、何をしている」
リヤとルマンが振り向くと、そこには茶髪と深緑の瞳を持つフレリックが立っていた。彼はリヤの異母兄であり、次期王として王宮内での影響力を高めている存在だった。
フレリックの母は、エルフ族の王女である。
誇り高いエルフ族は、人間族よりも獣人を下等だと思い込む者が多い。
フレリックの母もそのうちの一人だった。
自然とフレリックはリヤたちを獣人だからと蔑むようになる。
さらに、フレリックの母は病に伏した時、絶命するその時さえも、怨嗟をフレリックに刷り込んだ。
彼女の差別はただの民族の偏見だったのだろうか。
父王の寵愛をリヤの母にとられたからだろうか。
「お兄さま……」
リヤは彼の険しい表情を見て、思わず小さくなった。フレリックの視線はリヤがかぶる花冠に注がれている。
「その花冠、まるで王冠のつもりか お前にはふさわしくない」
彼の冷たい言葉に、リヤの胸がぎゅっと締め付けられた。彼女は反論することなく、ただ俯くだけだった。
「フレリック第一王子、あなたが何を言おうと、リヤには王冠が似合う」
ルマンが一歩前に出て、フレリックを真っ直ぐ見つめた。その気品あふれる態度に、フレリックの目が細まる。
「ルマン、お前はこの国の秩序を理解していない。彼女のような混血が王冠に手を伸ばすなど、笑止千万だ」
フレリックの言葉に、リヤは心の奥で静かに何かが弾けた。その瞬間、耳のあたりに違和感を覚える。反射的に手を伸ばすと、ふわりとした毛並みの耳が頭から伸びていた。
「また……!」
感情が昂ぶると現れる獣人族の特徴――うさぎの耳。それは彼女が必死に隠してきたものであり、王宮の中で彼女が最も恐れているものだった。
フレリックが冷笑を浮かべる。
「ほら見ろ、自分の醜さを見せびらかすのがそんなに楽しいか」
リヤは何も言い返せなかった。彼女の手が震え、耳を押さえる。
「あなたの言葉には何の意味もない、フレリック第一王子」
ルマンの声が低く響いた。
「リヤの強さを知らない者に、彼女を否定する資格はない」
フレリックは苛立たしげにルマンを睨んだが、何も言わずに背を向けて庭園を去った。
その夜、リヤは自室で窓辺に座りながら、庭園で拾い直した花冠を手にしていた。オステリア東帝国の帝都は夜の闇に包まれ、灯火が星のように瞬いている。
「私は……王冠なんてかぶれる人間じゃないのかもしれない」
呟くように言うと、ドアが静かにノックされた。
「リヤ、入ってもいいか」
「ええ、どうぞ」
ルマンが部屋に入ってきた。彼は静かにリヤのそばに座り、彼女が持つ花冠に目を向けた。
「君が花冠を捨てなかったのは、それが君にとって大切なものだからだろう」
彼の言葉に、リヤは小さく頷いた。
「でも、それはただの花で、王冠じゃないもの」
ルマンは微笑んだ。
「本物の王冠は、君が自分で手に入れるものだ それは誰かに与えられるものではなく、君が自ら選び取るもの 君にはその資格がある」
リヤは彼の言葉に深く考えさせられた。彼女の胸の中に、少しずつだが何かが芽生え始めていた。
「ありがとう、ルマン。でも私はまだ、覚悟が足りないわ」
彼女がそう言うと、ルマンはそっと立ち上がり、彼女を見下ろした。
「覚悟はいつか自然とできるものだ 君がその時を迎えた時、俺はそばにいる」
そう言い残して、彼は部屋を出て行った。
リヤは窓の外の星空を見上げながら、花冠をぎゅっと握り締めた。
「いつか……私は」
その瞳には、星のきらめきと遠い未来への決意が静かに宿っている。