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灰になる

作者: 旅人

プロローグ

 静かな夜、人の心は軽微な事でも大きく揺らぐものである。ましてや、その結果を容易に受け入れることはできない。


23時17分頃、いつものあの人から電話が掛かってきた。


「わぁ、今日電話出るの遅かったね」

「そうかな?、急にどうした?」

「ちょっと話がしたくて」

「また、僕を揶揄う気?」

「今回は違うよ。声が聞きたくなったの」

「また珍しいことを言うな」

「たまにはこう言うのもいいでしょ」


 今日はいつもと違う雰囲気だった。ほんの少しだけ、彼女の声は籠っていた気がする。あの人への勘は大抵当たるから、真面目に話を聞くことにした。


「月を見てたらさ、あの有名な和訳を思い出したの」

「月が綺麗ですね、ってやつ?」

「そうそう、あれって本当にあの英文の意味を知らないからこそ生まれた和訳ってことじゃん?、わからないからこそ素敵なんだろうなって思ったの」

「確かにね、知ってしまっている僕らには、あれを和訳する時に感情や意味を加えてしまうんだろうね」

「そういう感性を持ちたかったな」

「月が綺麗に思える感性を持ててるじゃん」

「あはは、やっぱり月は綺麗って思えてよかった」


 何かを確認するかのように彼女は笑った気がする。こんな夜だからこそ僕も敏感になっているのかもしれないが、彼女の笑い声に何かを失いそうな奥深さを感じた。彼女はそんな僕の思いを知らずに話を続けた。


「ねえねえ、人間ってさ命が尽きると何になると思う?」

「え、何になるか?」

「そうそう、死んでしまったら何になると思う?」

「そうだなー、僕的には魂になると思う」

「魂か、スピリチュアルな意見だね」

「前、何かの本で魂の重さは約21gって書いてあったから、命が終わったら魂だけになると思った」

「そうなんだ、確かにそうかもしれないね」


 探究心が強い人だってことは知ってる。でも、こんな話をするのは初めてだった。どう返していいか分からなかった。それでも僕は、彼女の答えを知りたかった。


「何になると思うの?」

「私はね、人は死ぬと灰になると思うの」

「灰?、それはなんで?」

「死ぬと火葬するでしょ?、収骨した後の骨ってね粉状にして供養されるんだって」

「そうなんだ、火葬して残った骨のこと考えたこともなかったな」

「ふと思って調べてみたんだ。そしたらそうやって出てきたの」

「君の意見は、現実的だったね」


 答えを知った上で、あんな返答しかできなかった。真面目に話をすると思ったものの、死生観を考える話だとは思ってもみなかった。ここで話題を変えたらいけない気がする。だから、自分の思いを言葉にした。


「どうした?、何かあった?」

「ん?、何もないよ、ただ私の学びを教えてあげたくて」

「なんでも話せる気がするってこの前僕に言ってくれたよね?」

「うん、言ったよ」

「言うのが遅くなったけど、君がその言葉を言ってくれた日、僕も話せる気がすると思った。だからこそ言うけど、僕は君に何かあった時助けてあげたいと思う。本当に何もなかったの?」

「ないよー!、本当に大丈夫だから安心して、ありがとうとても嬉しいよ」

「僕もあの時嬉しかったよ、ありがとう」


 僕に何かを悟られたくなかったんだと思う。実際に何を考えながら大丈夫と言ったかは僕にも分からなかった。だけど、僕の心配を察して大丈夫と言ってくれたのだけはわかった。


「明日、行けるか分からないけど映画観に行きたいな」

「何か用事でもあるの?」

「うん」

「疲れない程度に」

「優しいね」

「疲れると映画行けなくなるかもしれないから」

「ありがとう」


 彼女からの優しいという言葉を何回も耳にしているが、これほどまでに重みのある優しいは今までにない。夜だからだろうか、彼女から返ってくる全ての言葉に心揺れ動いている気がする。


「こんな時間になっちゃった」

「時間って経つの早いよね」

「もうちょっと話したかったけど、おやすみにしよう」

「明日用事あるしね」

「なかったら話してたんだけど」

「そうだね」

「最後まで付き合ってくれてありがとう、おやすみ」


 彼女とは付き合っているわけではない。ただ、いつから仲良くなったのかを忘れるぐらいに仲良くなっていたのは確かだった。あの電話をした3日後、彼女は自ら灰になった。映画を観に行きたいと言っていた日に風呂場で見つかったらしい。今際に何を思ったのか誰にも分からない。最後の言葉の意味、映画を観たいと本当に思ったのか、あの時の大丈夫、なぜふと調べたのか。僕にとってあの十数分は生きた地獄巡りだったのかもしれない。でも、彼女にとっては自分が人間であると確かめるための十数分だったのかもしれない。

 彼女の元にお線香を上げに行った時、涙は出なかった。彼女の気持ちを考えたら涙は失礼だと思った。その日の帰り道、僕はなかなか家に帰ることができなかった。街も静かになり始めた時、ふと空を見上げると大きな月が煌めいていた。僕の頬を熱い何かが通るのが分かった。多分、彼女のあの時の言葉の意味を理解できたからだと思う。


「やっぱり、月は綺麗って思えて良かった」


                 終

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