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糸、一本分のすき間

作者: 天野 進志

   糸、一本分のすき間



 体長十五センチほど、オレンジ色の体が水槽の中でゆっくりと泳いでいる。


 私はそれを、「ぎょちゃん」と呼んでいた。


 ぎょちゃんは三年ほど前、縁あって親戚の家から、うちに来た金魚だ。



 私が親戚の家に行くと、玄関先で水槽の水換えをしていた。


 「こいつら、いくらでも増えるで持って行かんか?」とバケツの中を指した。


 水槽から抜いたであろう水の中には、生まれたばかりの小さなメダカがたくさん泳いでいた。


 私はそれほど乗り気ではなかったが、何となくそのメダカを数十匹もらって帰った。


 一ヶ月もすると、その中に一匹だけ、ほんのりと赤くなっているメダカがいた。


 三ヶ月もすると明らかに赤色になったので、別の発泡スチロールを用意してそこに移した。


 親戚の家には、メダカと金魚がいた事を、私は思い出した。


 小さな赤い魚は、あっという間にメダカを追い越し立派な金魚になった。



 水槽に移した大きくなった金魚を見ると、この狭い中では可愛そうで、外のため池にでも放してあげた方がいいんじゃないかと思ったことも度々あった。


 金魚は元々、人に品種改良された魚だと聞く。


 そのため、自然界では生きられないらしい。


 昨年の冬の初め、ホームセンターで水草を買ってきて、それを全部金魚の水槽に入れた。


 水草はたくさんあったが、安かっただけあって切れ切れだった。


 金魚は雑食で水草も食べる。


 一週間もしないうちに、金魚の動きがおかしくなってきた。


 時々、お腹を上にして泳ぐのだ。


 それがだんだんと頻繁ひんぱんになってくるので調べると、転覆病と言う。


 原因は様々だが、一つに食べ過ぎによりお腹にガスがたまり起こる病気だという。


 私は水草を大量に入れたことを後悔すると共に、確かに自然界では生きられない魚なんだとも思い、気が沈んだ。


 断続的な断食で、金魚は少しずつ回復していった。


 年が明けて、五月になった。


 親戚から、縁あってうちにきて四年。


 ぎょちゃんも四才になった。


 水温も温かくなり、病気も治っただろうと思っていた。


 元気だった頃は、エサをやると水音を立てながら食べたものだったが、最近は音も立てず静かに少し食べては休み、また少し食べては休みと、動きが穏やかになっていた。


 今から思えば、それは不調の証しだったが、私は気が付かなかった。


 朝起きて、水槽を見ると底に金魚が横たわっていた。


 水槽の角、給水器のスポンジとの間に挟まる格好で、体を曲げて動かない。


 エラも動いていない。


 まるで眠っているようだと言われる、そのままだった。


 今朝、「ぎょちゃん」は死んでいた。


 前の晩までは生きていただけに、少しとまどった。


 庭の隅に穴を掘り、手を合わせた。


 犬や猫ならばもっと心に響くのだろうが、心の糸が一本抜けたような、小さなさみしさは消えなかった。



 出かける時、私の視線は水槽に向かっていた。


 出かける時に、私はいつも水槽に目をやり、行ってきますと手を振っていたのだ。


 上げかけた手の先に、水槽の水だけがぐるぐると回っていた。


 「行ってきます」


 私は水槽に声をかけた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 何気なくやって来た金魚でも、4年も一緒に暮らした者がいなくなるのは寂しいですね。 確かに金魚だと触れ合えるわけでもない、じゃれ付くわけでもない。でも確実に一緒にいた時間だけ心にも住み着いて…
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