5. 王子の従者
そのあと夕餉を終え、ラーシュを従えて自室に帰ろうと食堂を出たところに、マルセルがひとりで立っていた。
そしてこちらに身体を向けて、深々と頭を下げてくる。
「騎士殿」
顔を上げた彼は私ではなく、ラーシュに話し掛ける。
ラーシュは「えっ、俺?」と自分で自分を指さした。マルセルは軽く一度うなずいて、口を開いた。
「先ほどの無礼について王女殿下に再度、謝罪を申し上げたいのだが、いいだろうか」
「はい?」
「王女殿下の許可を」
ラーシュはわけがわからない、という顔をしてこちらに振り向いた。
この距離で。目の前に私がいるというのに。先に騎士に許可をとる。
なるほど、大国には私のわからぬ面倒くさい流儀というものがあるらしい。
私がラーシュに向かって首肯すると、彼はおずおずとマルセルに話し掛けた。
「ええと、姫さまは構わないと……仰られております……?」
そのおぼつかない返答に、マルセルはほっと胸を撫で下ろした。
「感謝申し上げます」
そうしてまたしても深々と頭を下げた。
なんとまどろっこしいやり取りなのだろう。本当にエイゼンではこんなことをいつもしているのか。
やはり私はエイゼンについて、知らないことが多々あるのだ。
そしてこの目の前のマルセルも、マッティアについてわからないことがたくさんある。
マルセルは頭を下げたまま、滔々と述べていく。
「王女殿下には、せっかく国境まで出向いていただきましたのに、私の態度で不愉快にさせたかと思います」
「いえ」
「すべては私の未熟さゆえのことです」
「そんなことは」
「いえ、仮に出迎えてくださったのが王女殿下でなくとも、誰であっても、あのような応対は許せるものではありません」
「そう……ですか」
「許せとはとても申し上げられません」
「いや」
「それでもただ、ジュリアン殿下にはなんの過誤もないことを、ご理解いただければ幸いです」
「それはもう」
「だからといって、私の無礼がなかったことになるとは思いません」
これは相づちを打つ程度ではいつまで経っても終わらないのでは、という気がしてきた。
ラーシュのほうを見ると、困惑の表情を浮かべている。
あれだけ憤慨していた彼でも、これは気にし過ぎでは、と感じているのだろう。
「マルセル殿、どうか顔を上げていただきたい」
私がそう声を掛けると、彼はおずおずと視線だけを先に上げてきた。
「謝罪は十分に受け取った。もうこの話は終わったことだ。私も私の騎士も、もう怒ってはいない」
「しかし」
「終わったことと言いました」
私が強い口調でそう告げると、マルセルはまた礼をする。
こんなことを、なにかある度に、毎度毎度されるのだろうか。
「あの、マルセル殿」
「なんでございましょう」
「ここはエイゼンではありません」
私のその言葉に、彼の身体がぴくりと揺れた。
「マッティアは小さな国だからか、主従関係は割と緩いものなのです。人間なのだから、苛立つこともあるでしょう。それにいちいち目くじらを立てたりはしません。一度、謝罪して、それに許すと言えば、それで終わりです。なっ、ラーシュ」
名を呼びながら振り向くと、ラーシュは「まあ、ねえ」とつぶやきながら、右手で自分の左肩を揉んだ。
「堅っ苦しいことは、ないですよ。俺もよく怒られるけど、引きずられることはあんまりないかなあ」
「そういうことです」
マルセルは私たち二人を見つめて、何度か目を瞬かせてから、安心したように頬を緩めた。
「それは、小国であるとかは関係なく、そういう気性の方が多い国ということでしょう。それに、王女殿下の人柄でもある」
彼の発言は、世辞ではなく、心からの言葉のように思えた。
他国からやってきて、知らない人だらけのところで気を張っていたのだろう。
少しばかり緊張も解けた表情を見せてくれて、私のほうもホッとする。
「今度から、私に用があるときは直接声を掛けてください」
その提案には、不安げにラーシュに視線を向けたが、彼がうなずくと納得したようだった。
「では、そのようにさせていただきます」
マルセルの穏やかな声を聞いていると、こちらが彼の普段で、先ほどの鋭い口調は苛立ちが隠せなかっただけのような気がした。
「やはり、長旅は疲れたでしょう」
「それは、そうですね」
「それでは心穏かにできないのも仕方ないことかと」
私が彼の代わりにそう弁明すると、けれどマルセルは少し目を伏せた。
「……そうですね」
それから弱々しく笑みを浮かべる。
「そう仰っていただけると」
なんだろう。
否定はしなかったけれど、言葉とは裏腹に、私の言ったことに同意はできなかったような雰囲気だ。
彼の憤懣は、疲れから来るものではなかったのか。
では彼は、いったい何に苛立っていたのだろう。