番外編. 僕と幼い婚約者
2024/6/7、PASH!ブックスさまより『王女カリーナの初恋 弓音響く王国で、八歳年下の王子さまと政略結婚することになりました』と改題しまして、書籍発売です!
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僕の屋敷には、二人の少女がよく遊びにやってくる。
「フィリップ兄さま、お邪魔しますわ」
「フィリップ兄さま、ごきげんよう」
侯爵令嬢であるマティルダと、伯爵令嬢であるフレヤだ。
彼女らは玄関ホールで、貴族らしく淑女の礼を僕に披露したあと、にっこりと微笑んだ。
「やあ、よく来たね」
僕はいつも通り歓迎の意を表して、二人を客間に通す。
実は特に招待はしていない。彼女らは、こちらの都合はお構いなしにやってくる。僕がいないときにはすぐに諦めて帰るという話だし、迷惑とも思わないからそれでいい。
三人でなにをするのかといえば、なにをするでもなく、ただお茶を飲みながらおしゃべりに興じるのだ。
だが会話するのはもっぱら少女二人だけで、僕は常に聞き役だ。彼女らは、調停役を欲しているだけらしい。もっと幼い頃から知っているが、実の兄でもない僕のことを『兄さま』と二人が呼び続けることに、それは顕著に表されていると思う。
「フィリップ兄さま、お忙しくはなくて?」
マティルダが、今さらながらそんなふうに気遣ってくる。
「いいや、今日はのんびりと本を読んでいたよ」
正直なところ、僕は外に出るのがあまり好きではなかった。
このマッティア王国では狩りが盛んで、僕も嗜む程度にはこなすが、できれば入山したくない。だって狩りはどうにも性に合わない気がしている。ずっと本を読んでいたいのが本音だ。
また、僕もオークランス伯爵家の長男であるからには、本当は貴族同士の繋がりを重んじて、お茶会や夜会に足を運ぶべきなのだろうとは思うが、人の多いところがどうにも苦手で疲れてしまう。
狩りにせよ社交にせよ、自分には適性がないのだろう。この国の貴族に生まれてしまったのは間違いだったのではないかと疑うくらいだ。
なのにこの少女二人の話を聞くのは特に苦痛ではないのは、自分のことながら不思議ではある。
「フィリップ兄さまはご立派ですわ。わたくし、本を読むと眠くなってしまうの」
苦笑を浮かべてフレヤがそんなことを返してくる。
もちろん僕に狩りや社交の適性がないということなら、その逆も然りで、狩りや社交に適性が振り切っている人間もいる。
「その代わり、フレヤは話をするのが上手いよね」
「フィリップ兄さまは優しいから大好き!」
そうはしゃいだ声を上げて、フレヤが笑みを浮かべる。そして口を尖らせて続けた。
「お父さまは、もっと本を読みなさいってうるさいの」
「あら、でも少しは読んだほうがよくてよ。貴族の娘なのですもの、教養は必要だわ」
つんと澄ましてマティルダが口を挟んでくる。
「マティルダだってわたくしと似たようなものでしょ」
「そんなことはなくてよ」
「嘘よ、だって毎日山に入っているじゃない」
「わたくしは罠猟だから、毎日確認しないといけないのよ」
「じゃあ本なんて読んでいる暇はないわね」
「両立はできるわよ」
そうして二人の会話は熱くなっていく。いつものことだ。
放っておくと取っ組み合いの喧嘩になるので、ほどほどのところで口を挟まないといけない。
一見、仲が悪いように思えるが、いつも二人で行動しているので、喧嘩友だちといったところだろうか。
いつか、なにかの夜会だったか、こんなふうに揶揄われたことがある。
「麗しい令嬢たちに囲まれて、羨ましい限りだよ」
もちろん言葉通りの意味ではないが、僕は苦笑交じりにそのまま返した。
「そうだね。僕は女性に不自由していないらしい」
「あと少し、年が近ければなあ」
当然、僕の返事も冗談だと理解して、彼はそう零した。
十六歳と十歳。この年の差ではさすがに女性として二人を見ることはできないが、一緒にいることは嫌ではないのだ。ある意味、子守りと言えなくもない。
「僕は一人っ子だから、妹が二人もできたような気分で楽しいよ」
「まあでも、何年かすれば本当に麗しい淑女になるだろうよ」
「そうしたら、きっと僕なんか相手にしなくなるんじゃないかな」
「やれやれ、ままならないな」
ははは、と彼は声を出して笑ったが、転じて真面目な顔つきになる。
「しかしどちらの家も、オークランス伯爵家にとっては縁を繋ぎたい家だろう。もしかしたら、結婚、なんてこともあるかもしれないぞ」
貴族の家に生まれたからには、自分の意思とは関係なく結婚することになるだろう。僕の親か、あちらの親が望めば、そういうこともあるのかもしれない。
「ちょっと想像がつかないな。本当に妹のようなものだし、彼女たちも結婚なんて考えたこともないんじゃないかな」
「まだ子どもだからな」
そのときは、それで話が終わった。
そんな戯言を思い出しながら、目の前で口喧嘩を繰り広げる二人を見つめる。
「フレヤ、先日のお茶会ではエリオット殿下に図々しくも親し気に話し掛けていましたわね」
「図々しいだなんて、そっくりそのままお返ししますわ」
「まあ、わたくしはちゃんと節度を持ってお話ししましたのよ」
「あら、自分のことはわからないものなのねえ」
「そんなことはありませんわ!」
どうやら二人は王子であるエリオット殿下に憧れているようで、殿下の話になると喧嘩になりやすい。
ここらへんで口を挟まないと、と身を乗り出す。
「まあまあ二人とも。殿下とはどんな話をしたんだい?」
すると二人はハッとしたようにこちらを同時に振り向く。
どうやら熱くなってきたことに気付いたようだった。
◇
そんなふうに穏やかに日々を過ごしていたというのに。
ある日突然、事態は急展開を迎えた。
僕とフレヤの結婚話が湧いて出てきたのだ。
政略結婚。それ以外のなにものでもない。フレヤのヨンセン伯爵家と、僕のオークランス伯爵家の繋がりを強固にするための結婚だ。
「でも、フレヤはまだ幼いですし、こんな早急に決めることもないでしょう」
私は一応、意を唱えてみた。両親も、焦って婚約することもないか、と及び腰であったため、一度は断ったと聞いた。
しかし、ヨンセン伯爵が切に希望してきて、年齢以外に断る理由もないため、話はどんどんと進んでいったらしい。
親同士で話が固まったあと、フレヤは両親に連れられて挨拶にやってきた。
伯爵同士で今後の話をしている間、僕とフレヤはお茶会をすることになり、空いている客間で向かい合って座った。
「結婚なんて、考えたこともありませんでしたわ」
「そうだね」
フレヤはぎこちなく口角を持ち上げて笑みを浮かべる。
「わたくしなんて、兄さまにとっては子どもでしょうから、お気に召さないかもしれませんが」
「まさか。フレヤこそ、僕なんておじさんに見えるんじゃないのかな」
「十六歳はおじさんではありませんわ」
「今はそうかもしれないけれど」
「それにカリーナ殿下なんて、八歳も年下のジュリアン殿下とご婚約しておられますが、とても仲良さそうですわ」
「そうなんだ」
まるで自分自身を納得させようとしているかのように、フレヤはしゃべり続ける。殊更に明るく振る舞おうとしているが、今まで僕の前で、こんなふうに辛さを隠せないような表情をしたことがあっただろうか。
申し訳ない、と思うと同時に、腹立たしさも感じる。
勝手な話ではあるが、そこまで嫌がらなくてもいいんじゃないか、なんて醜い思いも顔を覗かせてくる。それに、別に僕が強制したわけでもないのに。
それが僕の態度に滲んでいたのか、フレヤはこうも続けた。
「それに、フィリップ兄さまなら安心ですわ。だってお優しい方だってよく知っておりますもの」
「ありがとう。光栄だね。そうだといいけれど」
十歳の彼女に気を使わせるとは、僕はなにをしているんだ、と自責の念も湧く。
こんな日が本当に来るなんて。
もっとちゃんと考えておくべきだった。
「僕のほうこそ、フレヤのような素敵な女性が婚約者で嬉しいよ」
「まあ、こちらこそ光栄ですわ」
そうして彼女は、儚げな悲しい笑みを見せる。
せめて、フレヤが元のような元気で明るい表情をしていられるようにしたい、とそのとき強く思った。
◇
そして婚約発表の夜会の日。
僕はなぜか呆然と立ち尽くすこととなる。
広間の真ん中でフレヤと踊っているのは、マッティア王国の王女であらせられるカリーナ殿下だ。
それを見つめる僕の頭の中では、ずっと疑問符が飛び交い続けている。
そして呆然としているのは僕だけではない。あちらこちらで開いた口が塞がらないままの人たちが広間を眺めていた。
なぜカリーナ殿下とフレヤ、女性同士で踊っているのか。
それは殿下がフレヤをダンスに誘ったからだ。フレヤも勢いに押されたのか、戸惑いの表情を浮かべてその誘いを受けていた。
ついでに言えば、殿下の誘い方が、なんというか、こう……王子さまだった。王女さまなんだが、王子さまだった。王子のように凛々しかった。やけにキラキラと輝いていた。たぶんあれは、僕でもつい手を殿下の手の上に乗せてしまうに違いない。
しかしカリーナ殿下はすぐにフレヤと踊るのを止めてしまう。それから次に組んだのは、エイゼンの王子であるジュリアン殿下だった。その次は、なぜかマティルダだった。本当に、わけがわからない。
そして。最後に手を取ったのは、第二王子であるエリオット殿下だった。
殿下と踊り出すフレヤの表情を見て、僕は気付いてしまう。
ああ、そうなのか。
エリオット殿下への気持ちは、子どもらしい憧れの気持ちではなく、いつの間にか恋に発展していたのだ。
彼女は少女から大人の女性へと、変貌を遂げている最中なのだ。
だから、僕との婚約を素直に受け入れることができなかったのだ。
けれど僕たちにはどうしようもない。
ただ、受け入れるしかない話なのだ。
僕は身体の側面で、拳を握り締める。なんだかモヤモヤした黒いなにかが心の中に生まれようとしていた。
「フィリップさま」
そのときだ。声を掛けられ、顔を上げる。
「わたくしと、踊ってくださいませんか」
フレヤが僕の前に立ち、手を差し出してきた。
やけにすっきりした表情で、けれど潤んだ瞳で、頬を紅潮させて、口元に弧を描いている。
綺麗だ、と思う。
そうか。終わったのだ。そして彼女は一歩を踏み出した。
「ぜひ。僕でよければ」
「もちろんですわ」
僕は彼女を伴い、広間の中央に向かう。
そして二人で組むと、曲に合わせて動き出す。
僕たちの間にあるものは、まだ恋だの愛だのというものとは、かけ離れているのかもしれない。
けれどこれからゆっくりと育んでいける。なぜだかそう確信できた。
◇
それから僕たちは、婚約者として並び立つことも増えた。
とはいえやはり、突然距離が縮まるものでもない。
ゆっくりと、とは決めたが、ゆっくりすぎてまるで進まないのもどうかと思う。
「フィリップ兄……フィリップさま」
フレヤがそう言い直すたび、まだまだなんだなあ、と考えてしまう。
ただ、こんなことを事あるごとに考えてしまう僕は、十分に婚約者に夢中になってしまっているのだろう。
いつか僕たちも自然に夫婦として接することができるようになるのだろうか、と不安になることもあるけれど。
その先にある未来を、楽しみに思うこともあるのだ。
了




