37. 王子と約束
そんな告白をして、すぐ。
ボッと一気に、顔が熱くなった。じんわりと額に汗をかいている。
今、私はものすごく、恥ずかしい発言をしたのではないのか。
なぜあんな言葉を口走ってしまったのか。
いや、けれどおかげで私は、ちゃんと『終わらせる』ことができる。曖昧で綺麗な言葉でごまかしたところで、終わりはしなかったのではないか。
ならばこれでいいのだ。いいはずだ。
とはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。なにかもっと、いい言葉があったのではないか。
一人、頭を抱えて羞恥に身悶えていると、隣から笑い声がする。
恨めし気な目でそちらを見やると、ジュリアンは口元に手をやって、肩を揺らしていた。
「笑わなくても……」
確かに恥ずかしい言葉ではあったけれど、それはひどいと思う。
彼は口の端を上げて、こちらに顔を向けた。
「すみません、安心してしまって」
「安心?」
「どうしても、聞きたかった。じゃないと、決心できない」
「決心?」
いったい、なんの話だろう。私は首を傾げるしかできない。
すると彼は、笑いを引っ込めて、こちらに問うてくる。
「聞いてくれますか」
その真摯な表情からして、これから彼の、『伝えたいこと』が語られる。
私が背筋を伸ばして、こくりとうなずくと、彼はゆっくりと言葉を紡ぎだした。
「最初からの話をすると」
「ああ」
「この国に来てすぐの頃、カリーナは私と『家族になる』と言ったんです」
言った。彼が泣いているところを聞いて、立ち去って、そして次にジュリアンが私の部屋を訪ねてくれた、そのときに。
あのとき、彼はどんな表情をしていただろうか。思い出せない。
「私はそのとき、『家族』だなんて、薄ら寒い言葉を使う人だと思いました」
「薄ら寒い……」
血の気が引く。まさかそんなことを考えていただなんて、思いもよらなかった。
ジュリアンは続ける。
「母上はすでに亡くなっていたし、父上にもほとんど会うことはなくて。でも、兄弟はたくさんいる。だから私には家族がいると思っていた。血が繋がっているのだから、きっといつかわかり合えるだろうと思って、積極的に交流だってしようとした。兄弟たちは優しかった。だから家族だと、きっと向こうだってそう思っていると信じていた。なのに、結局のところ、駒でしかなかった。今も」
彼は膝の上で、ぎゅっと拳を握る。それは、わずかに震えていた。言葉尻も荒い。
「だからカリーナが『家族』と口にすることに、イラつきました。どうせ同じなんだって。でも」
そして彼は顔を上げる。表情に輝きが戻ってきているような気がした。
「この国の人たちは、血なんて繋がっていないのに、家族として扱ってくれる。欲して欲して、そして手に入らなかったものが、この国にはありました」
マルセルが言っていた。『きっと、エイゼン王国にはなかったものが、この国にはあったんでしょう』と。
まさしく、その通りだったのか。ジュリアンを慕う彼にだけは見えていたのだろう。
「そうして過ごしていたら、カリーナはいつでも本当のことしか言わないと知りました。それは態度からも知れました。あの言葉は真実だったんだと、それがどれだけ嬉しかったか、この心の中を見せたいくらいです」
すると彼はまた腕を伸ばしてきて、そして私の手を握った。
「私にはカリーナが必要なんです」
縋るような、声。
「誰にも渡したくない。ラーシュにだって」
ふいに出てきた名前に息を呑む。
私が見ないふりをしてきたことを、彼はきちんと正面から受け止めていたのだ。
「カリーナを失ったら、私はたぶん、生きてはいけない。だから」
握る手に、さらに力が籠る。
「何年掛かろうとも、必ず、帰ってきます」
きっぱりとした声が、私に向かって発される。
私はただ、その新緑の色の瞳を見つめた。
「だから、待っていてほしい」
その言葉に偽りはない。それが感じられる。
これは、彼の本気だ。
国と国との関係だとか、エイゼンでの彼の政治的立場だとか、そういう障害はすべて薙ぎ払ってくるという、宣言だ。
ジュリアンなら、やれるのかもしれない。
けれどその間、私の時間は止まってはくれないのだ。
「でも、何年も掛かると、私はもっと年を取る」
そうして、彼に似合う、美しくて年の近い令嬢が現れるのかもしれない。ジュリアンはその女性に心惹かれるのかもしれない。
そのとき私が彼の枷になるのは……きっと、耐えられない。
私の返事に、ジュリアンは黙って私の顔を見つめたあと。
小さく噴き出した。
「ああ、それはそうですね」
「そうですよ」
「でも逆を言えば、そのときは私も、少し頼りがいのある大人の男になっていますよ」
「そうか」
「ずいぶん年上の女性を娶っても、包み込めるくらいの男です」
「ああ」
「だから、それを信じて待っていてほしい」
頭の中がグラグラと揺れている気がする。熱に浮かされているみたいだ。
これを受け入れてもいいのか、と私の弱い心が囁いている。彼の激情は、今だけではないのか、と疑っている。
「では、期待せずに待っているから、もしも他に好きな人ができたときには、遠慮なく捨ててくれ」
それを聞いたジュリアンは、しばしの間、言葉を失ったあとに、大きなため息をついた。
「まったく、カリーナは」
呆れたように返してくる。
「こんなときでも、無神経です」
「すまない」
反射的に謝ってしまった。
「そういうときには、ただ、『お待ちしています』と言えばいいんです」
「なるほど」
つまりもう、腹を括るしかない。彼の懇願に抵抗できるわけがない。
初めて恋をしてしまったのだから。
私は、彼を、信じて待つ。
だから私はそれを伝える。
「お待ちしています、ジュリアン」
「はい」
「必ず迎えに来てくれ」
「はい」
「必ずだ」
「はい」
「でないと私は一生、独り身だ」
そう付け加えると、彼は目を細める。
「つまりそれは、他の男に目移りしないという意味?」
私はその質問に、深くうなずく。
二回目の恋は、私には想像がつかなかった。
「では、私も」
ジュリアンは私の手を、祈るように両手で包み込む。
「誓います。生涯、カリーナだけを想うと」
それから彼は、ソファの上に膝を置いて立ち上がると、突然に私の顔に顔を寄せてきた。
なにをしようとしているのか私が気付く前に、彼は素早く、唇に唇を重ねる。
触れるだけのその口づけは、私の顔に一気に熱を集めた。
「えっ、うそっ、なにっ」
動揺しすぎて、なにがなんだかわからなくて、思わず飛びずさるように離れて、そして手を突いたところにはソファはなかった。
「わっ、わっ!」
落ちる、と思った瞬間に、サッと腕が伸びてきて私の二の腕が掴まれる。
ぐい、と引っ張られると私の身体は浮き上がった。
バタバタと腕を暴れさせてなんとか背もたれを掴み落ち着くと、ソファに埋もれるような恰好になって、呆然とジュリアンの顔を見つめてしまう。
私と違い、彼は、平然と余裕のある笑みを口元に浮かべていた。
もう何度も思ったことを、そのときも思う。
目の前のこの少年は、本当に十歳なんだろうか?
すると、ははは、と彼は声を上げて笑いだした。
「カリーナでも、そんな顔をするんですね」
「そんな顔っ?」
「変な顔」
「だっ……だって」
こんなに突然に口づけされて、冷静でいられるわけがない。たとえ無表情と言われ続けた私であっても、それは無理な相談だ。
ジュリアンは私の顔を覗き込むようにして、口を開いた。
「忘れないでくださいね。約束ですよ。何年掛かるかわかりませんが、なるべく急ぎますので、待っていてください」
そして、そう念押ししてくる。
私は、とにかくコクコクとうなずくことしかできなかった。
こんなことをされて、忘れられるはずがないのだから。




