33. 王女の鬱屈
翌日、早朝からマティルダが登城してきた。
あの謁見室での会話はともかく、ジュリアンが帰国することだけは、もう貴族たちには知れ渡っていた。彼女も父親に聞いたのだろう。
廊下を歩いていた私を見つけると、マティルダはこちらに全力で駆け寄ってくる。淑女にあるまじき行動だ。
私の前に立ち止まると、彼女は勢い込んで口を開く。
「カリーナ殿下、本当ですの? 本当に、いいんですの?」
縋るような目をして、私に向かってマティルダが訊く。
いいわけがない。
けれど私はそれを口にすることはできない。
「ああ。こんな事態だから、やむを得ないだろう」
「カリーナ殿下……」
彼女は憐れむように、私を見上げてくる。
今の私は、いったいどんな表情をしているのだろう、と思う。
「ジュリアン殿下はどこですの?」
「ああ、今、ジュリアンから、最後のお茶会をしようと貴賓室に呼ばれたところだ。一緒に行こう」
「最後……」
マティルダはぽつりとそう零すと、絶句していた。
しばらくするとハッとしたように、小さく首を横に振る。
「で、では、わたくしは遠慮しますわ」
「いや、ジュリアンだってマティルダに会いたいだろう。さあ行こう」
私はマティルダの背中に手を添えて、半ば無理矢理、歩き出す。
正直に言って、今、ジュリアンとなにを喋ればいいのかわからなかった。だからマティルダがいてくれたほうがありがたい。
「ああ、そうだ。それならエリオットもいたほうがいいだろう。呼んでこよう」
私の言葉を受けて、ラーシュが近くにいた侍女に声を掛けている。エリオットも直にやってくるだろう。
「カリーナ殿下、最後にというなら、お二人のほうが……」
「いや、気にしないでくれ。二日後ということだから、それまでには、また話をする機会もあるから」
「そう、ですか?」
マティルダが不安そうな声を出している。十歳の彼女に気を使わせるだなんて、私はいったいなにをしているのだろう。
少しすると、エリオットのパタパタという足音が聞こえる。呼ばれて、慌ててやってきたに違いない。
「姉上」
「ああ、エリオット。急にすまないな。どうせなら皆で集まろうと思って」
「僕も同席していいんですか」
「もちろんいいだろう。ジュリアンだって、皆と話をしたいに決まっている」
「それは、そうかもしれませんけど」
釈然としない様子のマティルダとエリオットを連れて、貴賓室へ向かう。
部屋の扉を開くとジュリアンはこちらに振り返ったが、私が連れている二人の姿を見て、目を見開く。
「マティルダ嬢、エリオット殿下」
「会いたいだろうと思って連れてきた。よかっただろうか」
「ええ、もちろん。急な話ですから、会えないものと思っていたので、嬉しいです」
目を細めて、そう返してくる。取り繕うようなものではなく、心からそう思っているように感じられたので、ホッと息を吐いた。
「どうぞ、掛けてください。最後に会えて、本当によかった」
そのジュリアンの言葉に、マティルダの瞳に涙が盛り上がってくる。
彼女とエリオットは勧められた通り、椅子に腰掛けた。
マティルダは、おずおずと口を開く。
「ジュリアン殿下、本当に、帰ってしまいますの?」
そう弱々しい声を出して問うている。
ジュリアンは苦々しい顔をして答えた。
「はい、そうなります」
「どうしても?」
「……はい」
その答えを聞いて、マティルダとエリオットは眉を曇らせる。
いくら待っても次の言葉が発されないことを知ると、彼らは震える声で続けた。
「そんなの……嫌ですわ」
「……僕も嫌だよ、お別れなんて」
「私も、嫌です。せっかく友だちになれたのに……。でも……」
言葉に詰まったジュリアンは、そのあと二度と口を開くことはなかった。
エリオットとマティルダと、そしてジュリアンは、三人で向かい合って座ったまま、なにも喋らず、ただボロボロと涙を零した。
なにを考えているのかわからなかったジュリアンも、この国で過ごすうち、感情を表に出すようになったのに。
どうして私たちを取り巻く世界は、こんなにも、ままならないのだろう。
◇
泣いている三人を置いて、私は貴賓室をそっと退室した。
友人たちだけの時間も必要だろう。あの中で、私という存在は、異質だ。
「いいんですか」
扉をパタンと閉めたとたん、黙ったまま私に従っていたラーシュが、ふいに声を掛けてくる。
「なにが」
「元々、姫さまとのお茶会だと聞いていたんですがね」
私は彼をチラリと見やったあと、踵を返して自室のある方向に歩き出す。当然、ラーシュもついてきた。
「また別の機会にするよ。私は城内にいるのだから、明日にでも誘おう」
「帰国準備もあるでしょうから、二人きりの時間はなかなか難しいんだと思うんですけどね」
「そんなに長い時間をとるつもりもないから、大丈夫だろう」
「そんなこと言って、話ができなかったらどうするんですか」
「どうするもなにも」
「後悔しないんですか」
「別にそんなに気負わなくとも」
「絶対、後悔しますよ」
「うるさい!」
突然に自分の口から飛び出た怒号に、私自身が驚いてしまって、慌てて口を押さえると、立ち止まる。合わせてラーシュの足音も止まった。
「あ、いや、すまない。そんなつもりは、えっ、なんで」
戸惑う私に向けて、ラーシュは大きく聞こえるように、ハーッとため息をついた。
「なんでそんな無理しているんですか」
「無理なんか、していない」
「陛下たちに言われたこと、気にしているんですか」
「そういうわけでも……ない、つもりなんだが」
「そうですか」
ラーシュはそれきり、口を閉ざした。
私はなにも取り繕うことができず、ただ頭の中でたくさんの言い訳を浮かべながら、自室へと足を動かすだけだった。