31. 王子の決断
彼はそう述べると口を開いた。身体はジュリアンのほうを向いたままで、マッティア側の人間は部外者であると言っているように感じられた。聞きたければ聞いてもいい、という感じだろうか。
「投獄されていた第二王子殿下と、中立かと思われていた第三王子殿下が結託し、今度は第一王子が幽閉されることになりました」
「幽閉……」
「極刑となるかどうかは、これからの話し合い次第かと」
それを聞いて、ジュリアンは息を呑んだ。極刑の可能性があるのだ。彼の兄弟同士の争いは、ここまで激化している。
「急ぎ、国にお戻りください、ジュリアン殿下」
そのとき、ジュリアンの身体が傾いだ。マルセルが慌てて駆け寄り、その身体を両手で支える。
ジュリアンは、それに安心したように息を吐くと、また姿勢を正し、口を開く。
「けれど第七王子が帰ったところで、なんの権限があるというんだ?」
その声には、多少の怒りが含まれていたように思う。
どちらからも必要とも不必要ともされず、そうして彼はこの国に来たはずだった。
「貴族たちの調整が必要です。第二王子殿下は、ジュリアン殿下の帰国を望んでおられます」
しかし侯爵は、平坦な声で淡々と応えた。
そして続ける。
「三日待ちます。それまでに出立の準備を」
「三日っ?」
声を上げたのは、マルセルだった。
「閣下、一言申し上げます。いくらなんでも、ここまでの話のすべてが、あまりにも一方的すぎます!」
侯爵はうるさい虫でも見るような目で、マルセルにゆっくりと視線を移す。
マルセルは怯むことなく、言い募る。
「お願いいたします。どうか、ジュリアン殿下と話し合いを」
「マルセル、弁えろ」
けれど、ぴしゃりとマルセルの言葉は遮られた。
「お前はいつの間に、私に直接話し掛けられるほど偉くなったんだ?」
そう問われて、マルセルはグッと詰まる。
ジュリアンは心配そうにマルセルを見上げ、そして目が合うと、小さくうなずいた。
彼はそれを見ると下唇を噛み、苦渋に満ちた表情で、腰を折る。
「……申し訳ありません、出過ぎたことを申しました」
「まったく、真面目だけが取り柄だというのに、毒されおって」
吐き棄てるように、バイエ侯爵は言葉を浴びせた。
「この無礼は許してやる。しかし二度と口を出すな」
「……かしこまりました」
マルセルは顔を上げないままに応える。
私たちから見て、マルセルの意見はもっともなことのように思える。お願いと言いながら、彼の発言は命令でしかなかった。せめて、当事者であるジュリアンが納得できるように話し合いを、というのは別段無理な話でもないはずだし、筋が通っている。
けれど侯爵はそれを切って捨てた。
入国当初、私に直接声を掛けるのを渋っていたマルセルの姿が思い出される。
そして謁見室内はその頃から、ピリピリとした張り詰めた空気が広がりつつあった。
バイエ侯爵の態度は、あまりにもマッティアという国を下に見ていた。国王と王妃、そして王女がいるというのに、まるでその目に映っていないかのように振る舞っている。
もちろん父と母は、ただ成り行きを見守るかのように、玉座に腰掛けたままだ。
けれどそこにいる衛兵や侍女たちは、バイエ侯爵を視線だけで殺せないかと思っているのかと感じるほどに、睨みつけている。
今すぐにでもこの腰に佩いた剣を抜いてしまいたい、と背後のラーシュが思っているのが、まるで手に取るかのようにわかった。
私は左手を開いて、腕を彼の前に遮るように出す。それで彼が、自身を落ち着かせるように、ほうっと息を吐いた。
侯爵は、それらの視線をものともせず、堂々と立っている。
それから一拍置いて、彼はようやくマッティア国王に視線を向けた。そして泰然として口を開く。
「貴国には、大変申し訳ないことと存じ上げます。けれど緊急事態です。ジュリアン殿下と、貴国の王女殿下との婚約は、無効にしていただきたい」
彼が喋っていることは『お願い』のはずなのに、どう聞いても『命令』にしか聞こえないのはなぜなのか。
いくらエイゼン国内が荒れているとはいえ。
エイゼンとマッティアの国力の差は歴然だ。
自然の要塞に囲まれていて、大した資源も土地もなく、得られるものはなにもないとしても、攻め入ろうと思えば、できる。
それがエイゼンという国だ。
「仕方ありませんな」
そして父の決定は、我が国では絶対なのだ。
◇
「では、ご準備が整うのをお待ちしております、ジュリアン殿下」
最後にそう礼をして、バイエ侯爵が謁見室を退室していったあと。
にわかに室内は騒々しくなった。
「なんだ、あれ」
「酷いわ」
「偉そうに」
皆が口々にそう文句を連ねている。ひとつひとつの声は小さいが、集まれば大きくなってしまう。
「静まれ!」
それまで黙って彼らを見守っていた父が、突如、声を上げた。
その声に、不平不満をぶちまけていた人々も一斉に口を閉ざす。
「窓も扉も閉まっているな?」
父の確認の言葉に、皆が辺りを見回したあと、うなずいた。
「今からこの場で交わされる言葉を、決して他言しないように。これは、王命だ」
父が発した命令に、その場にいた誰もが、意を決したように神妙な顔をして首肯した。
父は、呆然と立ち竦むジュリアンに向かって口を開く。
「ジュリアン殿下」
呼び掛けられたジュリアンは、ハッとしたように顔を上げ、父のほうに向き直った。
「なんでしょうか」
「あなたの希望をお聞きしたい」
ジュリアンはその言葉に、こくりとうなずいた。
皆、なにも口にすることなく、耳を傾けている。
「確かに我が国は、小国です」
父は静かに語り始めた。
「国民の数も、そしてそれに比例して軍人の数も、エイゼンには遠く及ばない」
ジュリアンはそれを、ただ父の顔を見つめて聞いている。
「けれど、狩りをする国民性であるが故、武器を扱える者は多いのです。カリーナを見てごらんなさい。弓を扱わせれば一級です」
こちらをチラリと見る、いくつかの視線を感じる。
確かに使える。人に対して使ったことはないが、覚悟さえあればできるだろう。
その覚悟ができるのかどうかが一番難しいのは自明の理だ。だが、どうだろう。今の私にならできるのではないか。
「大人も子どもも、戦える。平野での戦いならともかく、マッティアに攻め入ろうとすれば、渓谷が我らを守ってくれる。守る戦いならば、できるのです」
それを聞いた衛兵たちが、力強くうなずいている。気分が高揚しているのは明らかだった。
ジュリアンはそれを、不安げな瞳で見渡している。
「ジュリアン殿下。もしあなたが国に帰りたくないというのならば、我が国は手をこまねくだけでなく、もうひとつの選択肢も選ぶことができるのです」
再び、謁見室は静寂に包まれた。
そんな中、すべての者の視線を集めるジュリアンが、ぽつりとつぶやいた。
「おそらく、第一王子の派閥を完全に潰すつもりです」
「殿下……」
彼の発言を、マルセルが心配そうに聞いている。
「その調整に、私の息が掛かった者が必要なんだ。大した数ではないけれど、まったくいないわけではない。私が帰国すれば簡単に終わる話です」
彼は自分の身体の側面で、ぎゅっと両の拳を握った。
「私は、このマッティアを私一人のために、戦火の渦に巻き込みたくはない」
絞り出すような声だった。
「エイゼン王国第七王子、ジュリアンは、帰国いたします。今までマッティア王国の方々から受けた温情に、心からの感謝を申し上げます」




