30. 王子の母国
誕生会が終わり、私たちが退場しようとしているとき、フレヤとフィリップはお見送りにと、こちらに歩み寄ってきた。
「本日は、本当にありがとうございました」
フィリップがそう礼を述べると、二人は並んで頭を下げる。
「いや、こちらこそ。少々羽目を外してしまって、すまない」
「いえ、楽しかったです」
フレヤはクスクスと笑いながらそう応える。
その笑顔が本当に愉しげなものだったので、私は心の中でほっと胸を撫で下ろす。
「どうか、お幸せに」
そう声を掛けると、フィリップはフレヤに一度視線を移して、こちらに顔を向けると口角を上げた。
「僕たちが夫婦になるのは、実際はもっと先の話ですから、王女殿下のほうがお先かもしれません」
「そう……かもしれないな」
「ええ、ですから、王女殿下もどうぞお幸せに。僕たちはそれをお手本としていこうと思います」
そう言うと、彼らはまた頭を下げる。顔を上げたとき、二人は爽やかな笑みを浮かべていた。もう心配事は吹っ切れたのだと思えるような表情だった。
それから私たちは、ヨンセン邸を後にする。
帰りの馬車に揺られながら考えた。
お手本か。
王女たる私の政略結婚は、皆の手本となるべきものなのだ、と私は再認識して、前の座席に腰掛けるジュリアンのほうを窺う。
その視線を受けた彼は、こちらを見上げると、にっこりと微笑んだ。
それを見た私は、彼とならきっと大丈夫だ、とそう思えたのだった。
◇
その日も、私たちはお茶会を開催していた。
少しずつ気温も低くなっていき、入山も次第に難しくなってくる頃で、その前に国民はなにをしなければならないか、などというマッティアにおける生き方について話をしていたときのことだった。
「エイゼン王国のバイエ侯爵閣下がお見えになりました」
侍女がやってきて、私たちにそう告げた。
私たち四人は顔を見合わせる。事前になにも聞いていない。
「……今? 謁見室だろうか」
「はい、さようでございます」
私の問いに、侍女はうなずく。
「ジュリアン殿下とカリーナ殿下を呼ぶようにと」
「先触れもなしに……」
ジュリアンが呆れたような声音でそうつぶやく。
エイゼン王国のバイエ侯爵といえば、外務卿を務めている人物のはずだ。
エイゼンとマッティアに挟まれた国、クラッセにでも訪問していたのだろうか。クラッセはエイゼンに匹敵する大国だから、外交で訪れることも多々あるだろう。ついでに第七王子の様子を窺おうとやってきたのかもしれない。
不意打ちなのは、事前準備をされると、第七王子へのマッティア側の振る舞いを見たいのに、取り繕われると困るということかもしれない。
いくらでも理由は思いつくが、どうしても知りたければ訊いてみればわかることだろう。そもそも大した理由ではない可能性もある。
「すみません、バイエ侯爵が……」
エイゼン側の代表という気持ちか、ジュリアンがそう謝罪しながら立ち上がる。
「いえ、なにか理由があるのでしょうし」
私も立ち上がり、四人で謁見室に向かうことにする。
今日はちゃんとドレスを着ていて良かった、などと考えた。ジュリアンが入国したときのように乗馬服で迎え入れたとしたら、やはり失礼に当たるだろう。
私はマッティアで生まれ育っているから、どうも大国の礼儀作法というものに疎いのだ。
謁見室にたどり着くと、そこには父も母もいて、玉座に腰掛けていた。難しい顔をしている。やはり急な訪問だから、にこやかに応対はできないのか。
玉座から伸びるように敷かれた深紅の絨毯には、バイエ侯爵と思われる人物と従者が玉座のほうを向いて立っている。
しかし、やたら堂々と胸を張っていて、一国の王の前での態度とは思えず、父と母が苦々しい表情をしているのはこれが原因かもしれない、などと思った。
「バイエ侯爵」
それを感じ取ったのか、ジュリアンは眉根を寄せ、早足で侯爵に近寄って行った。
「これはどういうことだ? 先触れもなしに訪問などと、失礼……」
「ジュリアン殿下」
しかし侯爵は王子のお叱りの言葉をひったくると、ふいに膝を折った。
「侯爵?」
突然の行動に、ジュリアンは言いかけた言葉を引っ込めて、戸惑うように呼び掛ける。
すると侯爵は、もったいつけたように口を開いた。
「お迎えに上がりました、ジュリアン殿下。早急にエイゼンへの帰国をお願い申し上げます」
◇
しん、と謁見室が静まり返る。痛いほどの静寂だった。
謁見室の中には、父や母を始め、私もラーシュもマルセルもいたし、壁際には衛兵が並び、侍女たちだって控えている。
けれどその場は、まるでバイエ侯爵とジュリアンしかいないように思えるほど、他からの音という音が消え去ってしまったように感じられていた。
その静寂を打ち破ったのは、ジュリアンの声だった。
「なにかあったのか?」
彼の素朴な問いに、侯爵は頭を上げないままに答える。
「反乱です」
その短い返答に、今度こそジュリアンは固まってしまった。
『なにかあったのか』という問いは、おそらく、そこまでの事態は想定していないものだっただろう。
たとえば、誰かが病に倒れただとか、どうしてもジュリアンへの謁見を望む者がいるだとか、そういった答えを彼は予想していたに違いない。
「いえ、反乱という言葉は、正しくはありませんな」
皮肉めいた声が侯爵から発される。
「あるべき姿に戻ったとでもいいましょうか」
そう言って顔を上げた侯爵は、苦々しげな表情をしていた。
以前、兄と話した。
エイゼンでは第一王子が立太子し、そしてそれと同時に第二王子は幽閉されたと。
それは、反乱の恐れあり、という理由からだと聞いた。
本当に元々、反乱の兆候があったのか、それとも第二王子が幽閉されたことで第一王子への不満が爆発したのか。それは私にはわからない。
今ここにいるバイエ侯爵は、どちら側に付いていたのだろう。彼は以前から外務卿を務めていた。けれど今もその地位は揺らいでいないらしい。ならば完全な中立派か。
さきほどの表情から見て、王太子が誰であろうと国王を上として、自分の仕事をこなすだけだと思っているのだろうか。
「ご説明いたします」




