29. 令嬢とダンス
皆、止めることはせずに私をただ目で追うだけだ。予想外の事態に、どうしていいのかわからないのかもしれない。
ぽかんと口を開けたまま、フレヤは目を瞬かせ、目前に立ち止まる私を見上げた。
「えっと、カリーナ殿下?」
「フレヤ、私と踊ってくれないか」
「へ?」
変な声を出して、フレヤは固まってしまっている。
私は男性たちがするように、胸に左手を当て、右手を差し出した。
「今宵の主役である、可憐な乙女と踊る機会をいただけませんか」
いつかのジュリアンに倣って、私は極上の笑顔を浮かべて誘う。
王女に誘われて、断ることもできなかったのだろう。フレヤは戸惑いつつも、私の手に、その手を乗せてきた。
ホッと息を吐くと、私は唖然としているフィリップに顔を向ける。
「フィリップ殿。婚約者をお借りする」
「えっ、あ、はい、……どう、ぞ……?」
わけがわからない、といった具合のフィリップの返事を確認して、ぎゅっとフレヤの手を握り返すと、引っ張って大広間の中央へ向かう。そこにいる人たちが、あっけにとられているのが目の端に見えた。
部屋の隅に控えていた楽団に視線を向けると、彼らは慌てて演奏を始める。
誰も、王女たる私を、咎めることはできないのだ。
「私のほうが身長が高いから、肩に手を」
「あっ、はい」
私は見よう見まねで、男性側のステップを踏む。上手くはできない。けれど構うまい。私は元々、ダンスは得意ではないのだ。
フレヤさえ、上手く踊れればそれでいい。
「ど、どうなさったんですか、カリーナ殿下」
不安げな声で、フレヤが問うてきた。
それはそうだろう。私だって、どうしてこんなことをしてしまったのか、少しばかり疑問に思う。
私はひとつ息を吐くと、フレヤに向かって口を開いた。
「少し、二人で話をしたかった。それだけだ。付き合わせてしまってすまない」
「い、いいえ」
「もし誰かに非難されたら、無神経な王女に面白がられてしまったとでも言っておけ」
「まあ」
私は、クスクスと笑うフレヤの耳元に向かって、声を下ろす。
「フレヤ、あなたの決断に、王家の代表として感謝する」
残念ながら、私にはこの政略結婚を止める力はない。そして止めるつもりもない。この婚約が国のためになることだとは、わかっているのだ。
私たちは、彼女に犠牲を強いている。
けれどフレヤは、それを受け入れた。
確かにこの婚約は、周囲が決めたものなのかもしれない。
しかし彼女は、私たちの元へやってきたときに、ぎこちなくも笑顔を浮かべて応えた。
それは、フレヤの覚悟だ。
「光栄ですわ、王女殿下」
弱々しく微笑むと、こちらを見上げてくる。
私はその悲しい笑顔を見届けると、顔を上げて壁際に視線を移す。
「さて、私は、慣れぬ男性役のダンスで疲れてしまった」
「えっ、お話とは、それだけ……でしょうか」
「次なる者に引き渡そう」
私は踊りながら、壁際に向かう。引きずるような格好になってしまっているが、この際、気にしなくていいだろう。
ジュリアンは私が意図したことがわかったのか、彼のほうからこちらに歩み寄ってきて、そしてフレヤに手を差しだす。
「では、フレヤ嬢。私とも一曲」
「はっ、はい」
さすがにジュリアンは、私とは違って、きちんとフレヤをエスコートして踊っている。
さきほどまでの私との変なダンスをおろおろとして見守っていた人たちも、心なしか安堵しているような表情だ。
輪舞のようで、社交ダンスのような。
ジュリアンが参加するときは、そういうダンスになるのだ。
呆然としていた来賓たちも、その頃から、子どもたちのすることを面白そうに眺め始め、自分たちも踊り出した。
マティルダはその様子を言葉を失って見つめていたが、少しすると意を決したように、きゅっと口元を引き結び、カツカツと靴音を鳴らしてフレヤの元に歩み寄った。
それを見て、ジュリアンはフレヤの手を放すと、笑いながら一礼する。パートナー交代の合図だ。
「フレヤ、わたくしとも踊りましょう」
「ええ、よくてよ」
しかし二人はモタモタとして、なかなか組めない。
「まあ! わたくしが女性側に決まっているでしょう!」
「あら、今宵の主役は誰なのかを忘れまして?」
「もう! 仕方ないですわね!」
どうやら、マティルダが男性役をやることに決まったらしい。
ああでもない、こうでもない、と言い争いながら、女友達はおそらく初めてであろうダンスを踊る。最後には二人して声を上げて笑っていた。
そうしてドタバタしたダンスを披露したあと、マティルダはフレヤと手に手を取って、こちらに歩み寄ってきた。
また、相手が変わる。
「エリオット殿下」
マティルダがうながすように、フレヤの手を握って前に差し出す。
「では、僭越ながら、僕がお相手を引き受けます」
エリオットは胸に手を当て一礼すると、フレヤの手を取り、大広間の中央へ二人して歩いて行った。
二人は曲に合わせて流れるように動き出す。
フレヤはエリオットに顔を向け、眩しそうに目を細めて、口元に笑みを浮かべていた。
パートナーが決まってしまったフレヤは、もうエリオットをダンスに誘うことはないだろう。
フレヤが、エリオットに何ごとかを耳打ちしている。エリオットは小さくうなずくと、それに小声でなにかを返していた。
これは、彼らの秘密の会話だ。誰も聞いてはいけない。
私がその様子を眺めていると、隣にラーシュが立ち、ため息交じりに言った。
「なにをしでかすのかと、気が気ではありませんでしたよ」
「それは、すまない」
「本当に姫さまは空気を読みませんね」
「そうだな」
「周りは困ってばかりです」
「それも……、すまない」
「けれどそれに救われる人間もいるんです」
「そうだといいんだが」
エリオットとのダンスを終えたフレヤは、最後に婚約者のフィリップの前に立ち、手を差し出していた。彼もそれに応え、彼女を伴って大広間の中央に向かう。
二人は見つめ合ったあと、柔らかな笑みを浮かべ、そしてお互いを支えるようにしてゆったりと組んだ。
今宵の主役たちは、拍手に包まれて、素晴らしいダンスを披露する。
そうして誕生会は、終わりを告げた。




