27. 令嬢の政略結婚
その日、夕食には私の狩った鹿肉が出された。
うん、なかなか良い味である。もちろん料理人の腕も大きいが、鹿肉そのものの味も良い。
私は自分の仕事に満足すると、上機嫌でフォークで鹿肉を次々に口に運んでいた。
「カリーナ、嬉しそうですね」
からかうような声音で、ジュリアンがそう話し掛けてくる。
「ええ、今回の処理は上手くできたと思うので」
「なるほど」
私の返事を聞くと、ジュリアンは拳を口に当て、俯いて肩を揺らした。
どうやらまた、なにかが面白かったらしい。
しかしそうして笑っている彼を眺めるのは、私もまた楽しいのだ。
「ジュリアン殿下。カリーナ。それから、エリオット」
ふいに兄に声を掛けられ、慌てて口元を押さえると、口の中に残っていた鹿肉を咀嚼してから顔を上げる。
すると、思いの外、真剣な表情の兄がこちらを見つめていた。
食事中の会話が切れるときを待っていたのだろうか。
「三人は、フレヤ嬢とは親しくしていたね?」
突然に兄の口から出たその名に、私はフォークを置く。
「フレヤが、どうかしましたか?」
彼女はずっと、元気がない様子だった。
先日、マティルダが王城にやってきたときにも、彼女はフレヤを誘ったのだが、またしても断られたということだった。
「もしや、体調が?」
ひょっとすると病に伏せているのではと、私は問う。ジュリアンもエリオットも、心配そうな瞳をして、兄の次の言葉を待っていた。
すると兄は、苦笑交じりに答えた。
「いや、身体のほうは、いたって元気だそうだよ」
その返事に、私はホッと息を吐く。
けれど次の瞬間、兄の言葉に違和感を抱いた。
身体のほうは?
兄は私の心の中に浮かんだ疑問に気付いているのかいないのか、そのまま続ける。
「来週、彼女の誕生会がフレヤ嬢の屋敷で開催されるんだが、三人とも、その誕生会に参加してほしい」
なんだ、それはおめでたいことではないか。
拍子抜けしてしまって、身体から力が抜ける。
しかし兄は、さらに続けた。
「通常、一貴族の舞踏会にここまで王家の人間を揃えることはないんだが、三人は親しいということだし、それに、国にとっても重要なことが発表されるからね」
「……え?」
兄は、ジュリアン、私、と順番に視線を移す。
そして最後に、エリオットを見据え、そして告げた。
「ヨンセン伯爵家のフレヤ嬢は、オークランス伯爵の子息と、婚約することが決まった」
◇
兄が言うところによると、これはフレヤの父、ヨンセン伯爵主導で進んだ話なのだそうだ。
ヨンセン伯爵家所有の山では、猪の生息数が増加してきており、これを革製品として売り出せるかと試行錯誤していたのだそうだ。
そこで、皮の鞣し技術に優れたオークランス伯爵家と協力関係を結ぼうと画策していたらしい。
オークランス伯爵家としても、安価で猪の皮が手に入るなら願ったり叶ったりだということで、この二家は手を結んだ。
そのための、政略結婚である。二家の繋がりをもっと強くするための、結婚だ。
すでに二家が制作した革製品は、他国にも売り出され、好評を博しているという話だった。
兄が、以前の狩りのときに言っていた。
『オークランス伯爵家は、皮の鞣し技術に優れた職人が育っているようだよ』
あのとき私は、どう返した?
『ではもう少し柔らかくて軽い革もできるでしょうか』
今思えば、なんて軽い言葉だったのだろう。
皆の望む、柔らかくて軽い革は、もちろんできるのだろう。それ自体は素晴らしいことだ。
ただ、一人の少女が、自分の恋心を押し隠さねばならなくなった。
私たちは、フレヤの恋心と引き換えに、素晴らしい革製品を手に入れることができるようになったのだ。
◇
ヨンセン伯爵邸に到着し、案内された大広間に三人と従者たちで向かうと、まずは伯爵が私たちの傍に歩み寄ってきた。
「娘のために、王女殿下に王子殿下、それにエイゼンの王子殿下にもお越しいただき、感謝のしようもございません」
少しばかり、彼は声を張っている。それで、元々注目を集めていたものが、さらに大広間中の視線を集めることになってしまった。
『高嶺の花』の私たちは、ひっそりと参加することは許されないのだ。
「多いですね」
伯爵が私たちの前から去ったあと、ぼそりとラーシュが背後でつぶやいた。
そう、多い。王家主催の舞踏会にも勝るとも劣らない人数が、その場に集まっている。
皆、知っているのだろう。この舞踏会は、フレヤの誕生日を祝うだけの集いではないのだと。
伯爵が立ち去るとすぐ、主役をそっちのけにして、貴族たちが私たちの周りに集まってきた。
私たちはその挨拶の列をなんとかこなすと、フレヤの姿を探す。すると彼女のほうからこちらにやってきた。
「本日は、わたくしの誕生会にお越しくださいまして、感謝申し上げます」
そう礼を述べると、美しく淑女の礼をする。
そして彼女が顔を上げたとき、その表情は誕生日というめでたい日を迎えた少女とは思えない、固いものだった。
「フレヤ、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
笑みを顔に張り付かせて、彼女が答える。
続いて、ジュリアンも声を掛けた。
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
やはりジュリアンにも、固い声音で返している。
「おめでとう、フレヤ」
けれど、エリオットがそう祝いの言葉を掛けたとき。
一瞬の間があったあと、フレヤは震える声で応えた。
「ありがとうございます」
そして唇をきゅっと引き結び、ゆっくりと両の口の端を上げた。懸命に笑みを浮かべようとしているように、見えた。
「どうぞ、ゆっくりしていらしてくださいませ」
そう締めくくると一礼して、フレヤはくるりと背を向けて立ち去っていく。彼女はあちらこちらで捕まり、祝いの言葉を掛けられていた。
ちらりと、エリオットに視線を移す。
彼はただ、じっとフレヤの背中を見送っていた。
その表情を見て、思う。
エリオットは、彼女の淡い恋心を知っているのだ。告白などはされていないだろう。けれど彼女の気持ちは、王子に対する憧れだけではないと、知っているのだ。
彼自身の想いはわからない。けれど好意を向けられていることを理解している。
エリオットはこうして、幼くて可愛い弟ではなく、思慮深い男性に育っていくのだろう。
悲しいけれど王侯貴族の恋は、なにも告げられずに、ひっそりと終わっていくものなのだ。




