24. 王子と王女と騎士たち
私たちのお茶会は、それからも何度か開催された。
最初の頃のように、話が止まったりすることもない。ラーシュもマルセルも、最初から椅子に腰掛けるし、砕けたものになっていた。
基本は、私とジュリアンとラーシュとマルセルの四人だけだが、たまに父や母や兄弟が混じったりもしたし、ジュリアンもそれを楽しんでいるように見えた。
彼はもうすっかりこのマッティアという国に、慣れ親しんだのではないだろうかと思う。
「先日の姫さまの誕生会では、マルセルも踊っていましたね」
ラーシュが軽い口調でそう話し掛けると、マルセルは一気に顔を赤くした。見てすぐにわかるほど赤い。
「あ、いえ、誘われまして。お断りするのも恥をかかせてしまうのではと思いましたし、それで」
「じゃあ、彼女のことは、気に入らなかったの?」
ジュリアンが小首を傾げてそう問う。しかしこれは、からかいの前振りではないだろうか。けれどマルセルはそれに気付かず、乗ってしまう。
「いえっ、とんでもない。素晴らしいご令嬢でした」
「では機会があれば、今度はこちらからお誘いしたらどう?」
「いやっ、そんな。ご令嬢も、一人だった私を気の毒に思われただけではないでしょうか。私など、とても」
さらに顔を赤くして、ぶんぶんと顔の前で手を振っている。
ジュリアンもラーシュも、その様子をニヤニヤしながら眺めていた。
「お付き合いに発展したりして」
「そんな、まさか」
「あ、でも、マルセルはこっちに骨を埋めるつもり?」
そのラーシュの疑問に、その場に静寂が訪れる。
言われてみれば、確かに。もうずっとマッティアにいるものと思っていたが、私と結婚するジュリアンはともかく、マルセルはエイゼンに帰国する可能性もあるのではないか。
「いえ……私の今後は、どうなるかは私には」
少し沈んだ声で、マルセルは答える。
「しかしマルセルの主人はジュリアンだろう? ジュリアンならマルセルの要望を聞いてくれるんじゃないのか」
「違います」
私の言葉をひったくるように、ジュリアンが苦々しい声で答えた。
「彼の主人は私ではありません。マルセルがこちらに来たのは、エイゼン王城に命じられたからです。誰も、大した旨みもない第七王子のために、生まれ故郷を離れたくはないでしょう。彼は私のために犠牲になったようなもので」
「それは違います!」
自虐的に語るジュリアンの言葉を、今度はマルセルがひったくる。
私たちはその剣幕に押されて、ただ彼らの会話を聞くだけになってしまっていた。
「直前に、訊かれたのです。誰か、ジュリアン殿下とともにマッティアで暮らす覚悟がある者はいるか、と。だから私は自分で望んで来たのです」
「……聞いていない」
「そうでしたか。だって私は、ジュリアン殿下に拾われたようなものですから、できればお傍におりたいと思っております」
「拾われた?」
私の横やりに、マルセルはうなずいた。
「正直に申しまして、私はあまり器用なほうではなくて。お恥ずかしい話、あちらこちらに配属されました」
器用なほうではない、というのは、彼の場合、世渡りが上手くないということなのではないかと思った。
座ってもいいと許されても、なかなか腰を落とさなかった彼。一度信じたら、それをなかなか覆せない性格なのだろう。
「けれど、ジュリアン殿下はずっとお傍に置いてくださって」
苦笑いを浮かべて、そんな風に言う。ジュリアンはそれに応えた。
「私は、裏表がない人間には安心してしまうんだ。だからマルセルが良かった」
彼がそう理由を明かすと、マルセルは感激したように瞳を潤ませた。
「ありがたき幸せです……」
涙声でそう返すマルセルを、ジュリアンは目を細めて見つめている。
けれどそういうことなら、もしエイゼンがマルセルを呼び戻したら、彼は帰ってしまうのだろうか。
それは寂しい、と思う。
しんみりした空気が流れ、静寂がしばしの間、お茶会会場を支配する。
それを打ち破ったのは、私の騎士だった。
「拾われた、っていうなら俺もだなあ」
天井を見上げ、ラーシュがそう零す。
皆の注目を集めたことを知ると、彼はテーブルに向かって身を乗り出した。
「そちらのように良い話ではありませんけどね」
そうして、片方の唇の端を持ち上げる。
「拾ったつもりはないが」
私がそう異論を唱えると、彼は軽く肩をすくめた。
「ま、姫さまから見ると、そうなんでしょう」
「ではラーシュから見ると、どういう話なんですか?」
ジュリアンが小首を傾げて尋ねると、ラーシュは明るい声音で語り始めた。なんでもないことだと主張するかのように。
「いやね、姫さまの騎士を選ぶって話が回ってきたんですよ。俺は十二歳でした。選考会をやるから、姫さまを守りたい者は来たれ、って」
ラーシュの話に耳を傾ける三人は、うん、と同時にうなずく。
ここまで、私も同じ認識だ。
私が十歳になったとき、王女には騎士が必要だと強く勧められ、では選考会を開こうという話になったのだ。
十歳前後の腕に覚えのある者は王城前の広場に集まれ、と告示された。とはいえ誰でもいいというわけではなく、貴族に名を連ねている者たちだけだったと思う。だから、そんなに人数は多くなかったはずだ。
「俺の家は、一応は貴族なんですけど、辛うじてって感じで。しかも五男だったし、なんとか這い上がりたくて、参加しました」
「へえ」
「けれど、有力な候補がいたんです。大人たちは、姫さまにやたらとそいつを勧めてね。それを見ていた周りは皆、そいつになるんだろうって思ってた」
「そうだったか?」
「そうだったんですよ」
ラーシュは苦笑交じりに返答する。
「ほとんど決まっている状態だったのに、選考会は開かれたんです。まあ、そいつに箔付けしたかったんじゃないかなって、今になってみれば思いますけど。剣闘会をしたり、弓術とか披露して。俺はそんな中、なんで決まってるのに集められたんだ、こんなの茶番だ、って腹も立ってて。だから、がんばりましたよ。俺が一番活躍できたと思います」
「すごい」
そう言ってジュリアンは褒めたが、ラーシュは小さく笑う。
「周りはやる気を失ってたし、皆、十歳くらいですからね。大したことではなかったんですけど」
そうだろうか。私の記憶の中では、彼がずば抜けていたように思う。
「まあ大人たちに主張されれば、普通は、じゃあそいつにするかってなると思うんですけどね。というか、あの様子だとたぶん、それ以前からずっと言い含められていたんじゃないかって気がするんですけど」
そしてラーシュはこちらに視線を向けて、口を開いた。
「けど、姫さまは俺を指さして。彼にする、って言ったんですよ」
そこで皆の注目は私に集まった。いや、それは普通のことだと思う。
「ラーシュが一番強かった。比べるべくもなかった」
「それはありがとうございます」
おどけたように笑って、彼は頭を下げる。
「ところがね、大人たちは慌てて、いや本当にそれでいいんですか、他にもいますって言い出して。なんだこれって思ってたら、姫さまはまったく空気を読んでいなかったんでしょうね、『一番強そうな人間を、私が選ぶんじゃなかったのか』ってすっごく驚いていて」
残念ながら、そこは覚えていない。
「でも、そんなに抵抗はしないんですよ。『変えたほうがいいのか? じゃあ変えよう』って、あっさりと」
小刻みに肩を揺らして笑いながら、そう続ける。
「だから俺、慌てて『それはおかしい』って主張して。そうしたら周りのヤツも、最初から決まってたのか、なんのための選考会かってザワザワしだしてね。結局、俺に決まりました」
自身も関わっている話のはずなのに、私はまるで物語を聞くかのように、それは良かった、と心の中でホッと胸を撫で下ろす。
「そいつはむちゃくちゃ不貞腐れていたなあ。だからかその場は、なんともいえない空気が漂っているんだけど、姫さまだけはなにも気にしていない感じで、堂々としていましたよ」
くつくつと喉の奥で笑いながら、そんなことを付け足す。つられてジュリアンとマルセルも小さく笑っていた。
「でもちょっと不安になってしまってね。だからそのあと、ちゃんと姫さまと対面したときに、本当に俺でいいんですか、大丈夫ですか、って尋ねてはみたんです。そうしたら、『なぜそんなことを訊く。本当は嫌なのか?』ってキョトンとして訊き返されちゃって。『嫌じゃないですけど』って答えたら、『そうか』って」
ジュリアンは、口の中でボソッと「言いそう」とつぶやいていた。私はなんだか気恥ずかしくなって、テーブルの上の紅茶に手を付ける。もう冷めてしまっていた。
ラーシュは話を続ける。
「でもなにか思ったんでしょうね。『嫌になったら私に言え。解雇してやる』って追加で言われました」
あ、と思う。その言葉は、先日の誕生会の前に聞いた。あれは、選考会のときの話だったのか。
ラーシュの話を聞く限り、けっこうな大騒ぎの出来事のような気がするのに、信じられないことに私は本当に覚えていなかった。
「俺、それ聞いてビビッてしまってね。嫌々仕事をするな、いつでもクビにできるんだぞ、って意味かと思って」
「ああ、確かに、そう取ってもおかしくないですね」
ジュリアンが小さくうなずきながら、相槌を打つ。
「正直なところ、俺、それまで姫さまのことはあんまり知らなかったんですよね。だから、なに考えてるのか全然わかんなくて。でもずっと一緒にいたら、この人、本当のことしか口にしなくて、嫌味や皮肉を言う人じゃないってわかって。だから、解雇してやるって、本気で俺のために言ったんだな、と思ったらおかしくて」
そうして口の端を上げると、私のほうに振り向く。まるで、遠くにあるなにかを見つめるような瞳をしていた。
「本当に姫さまは、あの頃からまったく変わっていないです」
「そ、そんなことはないだろう。私だって大人に……あ」
そうだった。ラーシュは私が大人には見えないらしかった。
私は自分自身に呆れかえってしまい、額に手を当てて、うつむく。
するとその場に笑いが溢れた。
十歳のときの話。今のジュリアンと同じ年齢のときの話。
うつむいたまま、チラリと上目遣いで視線を向ける。その視線に気付いた彼は、にっこりと私に向かって微笑む。
彼だったらきっと、もっとうまく立ち回れたのだろうな、と思った。




