23. 王子と婚約者
輪舞を終えて、壁際に向かう。
「姫さま、汗が」
すると侍女が慌てて私の傍に寄ってきて、額にハンカチを当てた。
「お化粧が崩れてしまいます。暑いのですか? 蝋燭を減らしてもらいましょう」
「い、いや、大丈夫だ」
大広間にはシャンデリアにも壁際にも蝋燭がたくさん灯されている。
けれど周りを見渡したところで、私のように汗をかいている人はいない。
ちら、と隣に視線を移すと、ジュリアンは俯いて口元に拳をやって、小刻みに肩を揺らしている。
本当に、笑い過ぎだ。
「カリーナは、いつも冷静沈着なように見えるのですが、案外、慌てるものですね」
「誰のせいだと思っているんですか」
私はジュリアンの皮肉に、眉根を寄せて応える。
すると彼は、わざとらしく首を傾げてみせた。
「あれ? 私のなにが、そんなにカリーナを慌てさせましたか?」
なんと彼は、そんな風にとぼけてみせた。
やはりジュリアンは意地悪だ。
「いいです、もう」
「拗ねないでください。愛しい姫君」
「うう……」
私がなにも返せないでいると、ジュリアンはまた俯いて、忍び笑いを漏らしている。
もしやこれは、面白がっているだけなのではないか。
「からかうのは、やめてください」
「からかってなんて、いません」
「からかっているではないですか」
「私は本心を口にしているだけです。美しいものを美しいと言って、なにが悪いのですか? ああ、あのときには伝えられませんでしたから、今、伝えますね。キジを狙って弓を射る姿は、狩猟の女神が降りて来たのだと信じられるほど綺麗だった」
弱点を見つけた、とばかりに次々と賛辞を呈してくる。これはたまったものではない。
誰か話を打ち切ってくれないか、と辺りを見渡す。しかし誰もが遠巻きにして、笑みを浮かべてこちらを眺めるばかりだ。
騎士たるラーシュは、壁に寄りかかって飲み物を口にしていて、こちらには視線を寄こさない。騎士のくせに、怠慢だ。
ちなみにマルセルもその隣にいて、その場から動かず私たちを眺めているだけだった。
まるで自分たちのことは自分たちで解決してください、と言わんばかりだ。そうに違いない。いや、それはそうで、ごもっとも、なのだが、上手くいなせる自信がないのに。
そうして迷っていると、パタパタという足音が響いてきた。
「姉上、お誕生日おめでとうございます。わあ、今日もとても綺麗です」
エリオットが、瞳を輝かせてそんなことを口にする。可愛い。
私は心の底からホッと安堵する。
「ありがとう、エリオット」
そして続いてマティルダもやってきた。
「おめでとうございます、カリーナ殿下」
「ありがとう、マティルダ」
その後ろにフレヤもいて、彼女も続いてお祝いの言葉をくれる。
「カリーナ殿下、おめでとうございます」
「ありがとう、フレヤ」
そのあと、いつもの言い合いでも始まるかと思って眺めていたのだが、なぜかフレヤはエリオットを上目遣いでチラリと見たあと、黙り込んだ。
それを一番意外に思ったのはマティルダのようで、不審そうにフレヤに視線を向けている。
元気がない。調子が悪いのだろうか。
同じように思ったのか、エリオットが一歩、前に出る。
「フレヤ、気分が悪いの?」
「い、いいえ、そんなことは」
ぼそぼそとそんな風に返している。
思わずその場にいた者で、顔を見合わせてしまった。
そのとき、曲が流れ始めた。ワルツだ。
「エリオット殿下、わたくしと踊りませんこと?」
ことさらに明るい声を出して、マティルダがエリオットを誘っている。
「あっ、ああ、うん」
エリオットはそれに応じる。
なのにフレヤは動かない。なにも発言しない。
これは本当に具合が悪いのでは、王女の誕生会だから無理をして参加したのでは、と心配していると、マティルダは腰に手を当てて、「もうっ」と声を上げた。
「エリオット殿下、まずはフレヤと踊ってきてくださいませ」
「あ、うん。行こう、フレヤ」
「え、でも……」
「行こうよ」
そう重ねて、少々強引に、エリオットはフレヤの手を引いて広間の中央へ向かっていった。
二人の背中を見送るとマティルダは、ふう、と息を吐いた。
「よくわからないんですけれど、フレヤは最近、おかしいんですの」
「そうなのか。なにかあったのだろうか」
「さあ。乙女心というものかもしれませんわ。張り合いがないったら」
そうブツブツと零して、唇を尖らせている。
大変わかりにくいが、彼女は優しい。十歳なりに、いろんなことを考え、そして気を配っている。
むしろこれは、私は見習うべきなのかもしれない。
「マティルダ嬢」
するとジュリアンが彼女に声を掛けた。
「では、私と踊ってくださいませんか」
胸に手を当て、逆側の手をマティルダに向かって差し出している。
「えっ」
「エリオット殿下とフレヤ嬢も、楽しんでいるようですし」
そう言って、広間の中央のほうに視線を向けた。つられてそちらを見てみると、弱々しくもフレヤも笑顔を見せ始めている。
「で、でも……」
マティルダは、こちらを上目遣いで窺ってきた。
「身長差があって、私はカリーナと踊るのは難しいんです。一曲も踊らないままだなんて寂しいですし、踊っておかないと足運びを忘れてしまいそうです。マティルダ嬢がよろしければ、可憐な乙女と踊る機会をいただけませんか」
そうして極上の笑顔を浮かべ、ずいっと手を差し出している。マティルダは珍しく、もじもじと頬を染めていた。
やはりエイゼンの王子さま。女性の誘い方も心得ている。むしろ怖い。
「マティルダ。私に遠慮することはないぞ」
「で、では……」
マティルダはジュリアンの手に自分の手を乗せた。
そして一歩を踏み出そうとしたところで、ジュリアンは振り返って声を張る。
「ラーシュ!」
「あっ、はい」
壁に寄りかかっていたラーシュは慌てて身体を起こすと、こちらに駆けてきた。
「なんでしょう」
「ラーシュ、カリーナと踊ってきて」
「えっ、いや、俺は」
「今日の主役が、いつまでも壁の花だといけないだろう。広間の中央まで誘導して、皆に美しい姿を見せてあげなければ」
その言葉に、ラーシュは思いっきり眉根を寄せた。それはいかがなものだろう。
「……かしこまりました」
しかし反論はすることなく、ラーシュは腰を折る。
ニコリと笑って、ジュリアンは今度は私に向かって口を開く。
「いつも決まった相手でなくてもいいんでしょう? この国では」
「いや、それは先日……あ、いや。そうです。そうなんです」
彼は知らないふりをして、そういうことにしようとしているのだ。ならば少なくとも私は、その話に乗らないといけないだろう。
ジュリアンとマティルダ、エリオットとフレヤ。ラーシュと私。
意中の相手かどうか、今、そういうことは関係ないのだと、彼は発言した。周りにもその言葉を聞いた者もいただろう。いらぬ詮索を周りにさせてはいけない、という彼なりの配慮なのだ。
「……本当に十歳なんですかね」
ぼそりとラーシュが口にする。
「舌を巻いてしまうな」
苦笑交じりにそう答えると、ラーシュも小さく笑った。
「敵いませんね」
「ああ」
そうして私たちは踊り始める。
エリオットと踊り終えたフレヤは、今度はジュリアンと組んでいた。そしてエリオットはマティルダと。
マルセルも、どこぞのご令嬢に誘われて広間に出てきている。
兄は母と踊っていた。父は老伯爵夫人と。そうするうち、参加している皆、思い思いの相手と組んで踊り始めていた。
くるくる、くるくる。
社交ダンスのようで、輪舞のような。
いつもとちょっと違う舞踏会を、皆が笑顔で楽しんでいた。
けれど結局、私とジュリアンが組むことはなかった。
◇
一息ついて壁際に戻っているときに、ジュリアンが私の横に並んでこちらを見上げてきた。
「楽しいですね」
「ああ、楽しい。良い誕生会になって、嬉しく思う」
そうして私たちは笑い合う。
誕生日を迎えて、私は十八歳になった。八歳の年の差だ。
ジュリアンは冬が誕生日ということだから、またそうすると七歳違いになる。
けれどそうしてどこまでも追いかけっこをするだけで、いつまで経っても私の歳はジュリアンに並ぶことはない。
その当たり前で、変わらない事実が、少し、もどかしく思えた。




