20. 王子と家族
王城の城門をくぐると、荷馬車にわらわらと人が寄ってきた。
先に帰った兄が、城内の人間を呼んだのだろう。騎士団の人間やら衛兵やら料理人やら、キジ一羽と鹿一頭という獲物の割には多い人数だ。
「おー、大きいな」
「姫さまはキジを獲ったんですよね」
「ああ、これだ」
「立派なキジじゃないですか」
「おーい、洗って、とっとと解体しよう」
ワイワイと賑やかな人だかりの中、私に続いて荷台から下りてきたジュリアンに、皆が次々と話し掛けている。
「どうです、狩りは」
「それが、私はなにもできなくて……」
「そりゃそうです。最初からできるヤツなんていませんよ」
「何回も行ってようやく、ってのが普通ですからね」
「運もあるしなあ」
これだけの人数が集まったのは、きっと、初めての狩りを終えたジュリアンとマルセルを労おうという気持ちもあるのだろう。
他国からやってきた彼らに、我が国を気に入ってもらいたい、という願いも込められているように思う。
「美味しく調理しますからね、楽しみにしていてください」
「はい」
そして、わらわらとやってきた人たちは、鹿とキジを抱えて、またわらわらと去っていく。
「疲れたでしょう。山を駆けずり回りましたし、身を清めては」
「そうですね」
そんなことを話しながら城内に入ると、すぐに父と母と、そしてエリオットが玄関ホールにやってきた。おそらく、帰ってきたと聞いて出迎えに来たのだろう。
父はジュリアンの前に立ち止まると、笑みを浮かべて訊いた。
「いかがでしたか、初めての狩りは」
「楽しかったです」
「ほう、それは良かった」
「いろいろと教えてもらいましたし」
「動物が付ける跡とか?」
「はい。あっ、私も猪の跡を見つけたんです!」
少し興奮気味に、前のめりになってジュリアンは父にそう誇る。
父はうんうんとうなずきながら返した。
「それはなかなかやりますな」
「初めてなのにすごいね!」
「偶然なんです。泥が木に擦り付けられているようなところがあって」
「泥浴びした猪でしょうね」
エリオットと母がそうして彼の話を聞いていたが、はた、とジュリアンは口を止める。
「あっ……すみません、つい、喋り過ぎて」
恥ずかしそうに彼がそう謝ると、父は、ははは、と声を上げて笑った。
「いやいや、初めての狩りのあとはそういうものです」
それを聞いて、ジュリアンはホッと安堵の息を吐いた。
父は嬉しそうな声で続けて提案する。
「ではまた、いつでも狩りに行くといい。今はコンラードに入山の許可を取るようにしていますが、カリーナと一緒なら、許可なしでいくらでも」
「本当ですか? では、ぜひ」
けれど彼は、すぐに目を伏せる。
「でも、あの……怖くもありました」
「怖い?」
「その、動物に襲われないかと心配でもありましたが、それとは別に……処理とか……」
「ああ」
「本当に自分でできるようになるのか、不安です」
父は顎に手を当てて、しばらく逡巡したあと、口を開いた。
「処理については他の者にやらせますか? どうしてもできない、という者も、実は我が国にもおります」
「そう、なんですか?」
「ええ。血を見るだけで気絶してしまう者とか。特に、ジュリアン殿下はマッティアで生まれ育ったわけではない。どうにも受け入れ難い、ということもあるでしょう」
それを聞いて、ジュリアンは少し俯き、けれど顔を上げて首を横に振った。
「いえ、狩りの最中、慣れると誓いました」
「ほう」
「正直に言えば……残酷だと思う気持ちもあって……慣れようとは思うのですが、時間が掛かるかもしれません」
もじもじと自分で自分の指先を弄びながら、そう口にする。
父は目を細め、そして柔らかな声音で返した。
「我々は山に生かされています。それを理解し、山に感謝し、美味しくいただく。我々にできることはそれくらいです。まあ、人間に都合のいい、詭弁とも言えますが」
父の語っていることは、私も子どもの頃に聞かされたことだ。マッティアの子どもたちは、いろんな大人たちの話を聞きながら、自分の中で狩りという行為と、そのときに湧き上がる感情とに、折り合いを付けて育っていく。
「我々はそのように考えるが、ジュリアン殿下はジュリアン殿下で、違う答えを見つけてもいいのですよ」
父はまるで、兄や弟や私に対して言うような、そんな表情をしていた。
「はい」
すべてを呑み込めたかどうかはわからないが、ジュリアンは神妙な顔をしてうなずいた。
「わたくしは、そこまで割り切れてはおりませんけれどね」
ほほ、と笑いながら母は言う。
「僕も、可哀想だって思うとき、あるよ」
慰めのつもりなのか、エリオットもそう声を掛けている。
「ああ、つい、話し込んでしまいましたな。今日の夕食が楽しみです」
「疲れたでしょう。夕食まで少し休んでは」
「ねえ、猪は見た?」
「いえ、見てはいません」
そんなことを話しながら、四人はその場を去っていく。
マルセルも一緒に動くかと思っていたが、彼はその場に立ち尽くしていた。
「マルセル?」
「あ、いえ」
ハッとしたように、マルセルは顔を上げ、それから目を伏せた。
「私は……あんなに生き生きとした殿下を、初めて見たような気がします」
皮肉げに口の端を上げると、続ける。
「きっと、エイゼン王国にはなかったものが、この国にはあったんでしょう。私は、ジュリアン殿下が年相応な表情をすることに、少なからず衝撃を受けてしまって」
そこまで語って、慌てたように胸の前で手を振った。
「あっ、申し訳ありません。王女殿下の前でこのような愚痴を」
「そうですか?」
私はマルセルの言葉に違和感を覚えて、つい反論してしまう。
「私には逆に、彼が子どもだと感じられることが少なくなってきました」
「え……そうなんですか?」
「はい」
こくりとうなずく。マルセルは釈然としない風に首を捻った。
「そうですか……。どちらなんでしょうね」
「わかりません」
私は結局、ジュリアンについて、まだまだ理解を深めてはいないのかもしれない。
◇
その日の夕食では、家族の他にも、ラーシュとマルセルに椅子が用意されていた。
マルセルは恐縮している様子だったが、ラーシュは堂々としている。
「そりゃあもう嫌というほど走らされましたから、当然ですよ」
そんな嫌味にも、兄は堪えた様子はない。
「本当によくがんばってくれたよ」
くつくつと喉の奥で笑いながら兄が宣う。
「一番美味しいところを食べさせると約束しましたからね」
そう言って、ジュリアンとマルセルの前にある、空の皿を手のひらで指した。
「私は背中が一番美味しいと思います。なに、料理長も慣れていますから、美味しさを引き出すのも訳ないですよ」
「そう言われると緊張しますなあ」
笑いながら、料理長は二人の皿に肉を置いていく。
「どうぞ。あなた方の協力なしには仕留められなかったものです」
兄にそう勧められ、二人はおそるおそるといった体で、肉を口に運んだ。
「……美味しいです」
ぼつりと零すように、ジュリアンは感想を述べる。そしてまた一口。
「本当に美味しいです」
それを耳にしたマルセルも、目を輝かせて鹿肉を食べている。
その様子を、父も母も兄も、目を細めて眺めていた。
ジュリアンは、私に向かって問う。
「私も、弓なら扱えるだろうか」
さすがに兄のような狩りは難しいと思ったのだろう。兄も今日のような荒い猟は滅多にしないし、基本的には弓だ。
私はうなずく。
「ええ、もちろん」
「練習しないと」
「はい」
すると料理長が次の皿を持ってくる。
「さあ、こちらもどうぞ。姫さまが狩られたキジですよ」
そちらも、二人は美味しそうに手を付けている。
私はその様子を見て、なんだかホッとしてしまったのだった。




