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2. 王子を出迎え

 その日、私は国境近くまで馬に乗ってやってきていた。


「姫さま自ら、出迎えに来る必要ありますかねえ」


 なにやら不服な様子で、ラーシュがそう口にする。


「初めての国だ。不安だろうし、できれば私が案内して差し上げたい」

「姫さまがそれでいいならいいですけど」


 ラーシュは馬上で肩をすくめてそう返してくる。


 婚姻についての詳細はまた後日、ということでその詳細を翌日の夕食時に聞いたのだが、驚くべき話であった。


          ◇


「え? こちらに来られるんですか?」

「ああ。ジュリアン殿下は国を出られ、こちらで生活なさる。公爵位を与える予定だから、マッティアの貴族として生きていくことになるな」


 父が、夕餉のメインである赤ワインで煮込んだ猪肉をゆっくりと味わったあと、そう私に告げた。

 ちなみに猪は、兄が狩ったものであった。兄は仕留めるのも上手いが、仕留めたあとの処理も手際がいい。結果、大変美味しい猪肉にありつける。もちろん料理長の腕のおかげでもあるが、私や弟が処理をするのと兄がするのとでは、味に差が出るのだ。

 兄も自分の仕事に満足しているのか、うんうんと小さくうなずきながら、猪肉を口に運んでいる。

 悔しい。

 ということは置いておいて。


 つまり父の言によれば、私はマッティアから出て行かなくてもいいらしい。

 なんと。それは私にとっては、非常にありがたい話である。


「まあ、大丈夫かしら」


 しかし、王妃である母が、頬に手を当てて首を傾げる。


「エイゼンと我が国では、勝手がずいぶん違うと思うのだけれど」


 不安げな声にハッとして、母の心配ももっともなのだと考え直した。

 私がエイゼンに行くよりも、ジュリアン殿下がこちらに来るほうが、負担が大きいように思える。


 国力が違うのだ。つまり生活水準も違う。

 同じ王族とはいえ、おそらく今まで彼が信じてきた価値観は、すべて捨てなければならなくなるだろう。

 私は楽だと喜んでしまったが、ジュリアン殿下にしてみれば、私の苦労を引き受けるようなものかもしれない。

 マッティアでの生活を、少しでも苦痛のないものにするよう尽力して差し上げよう、と心の中で誓う。


 ほう、と物憂げなため息をつきながら、母は続けた。


「わたくしも当初は苦労したものだわ」


 母は、エイゼンほどの大国ではないとはいえ、他国の王女という立場にあった。ルーディラという国だが距離があるだけに、私にとっては特に身近というわけではない。


「母上は、エイゼンに行ったことは?」


 そう尋ねると、母は首を横に振った。


「ないわ。だってわたくしは箱入りだったもの」


 なぜか誇らしげにそう答えてくる。


「それにルーディラからなら、マッティアよりもエイゼンのほうが遠いわ。なかなか行く機会もなくて。だって、こちらに嫁ぐだけでも……もう……もう……本当に大変だったのよ!」


 あ。愚痴が始まる。

 父のほうに視線を向けると、俯いてしまっていた。

 この話が始まると、父はひたすら謝るしかないのだ。

 兄も弟も口を挟むことなどせず、黙々と食事に集中する。慣れたものだ。


「ルーディラからクラッセを経由したときに、途中、馬車道が整備されていないところも多々あって、そりゃあもう大変だったわ。なのにようやくマッティアに到着したと思ったら、出迎えてくれたのは従者で。そこから崖道を通って入城したら、陛下は謁見室でふんぞり返っていたのよ! なにが『お待ちしておりました』よ、せめて出迎えに来なさいな!」

「いやもう、それは……」

「今でも思い出したら腹が立つったら! わたくしは忘れてはいませんからね!」

「あのときは、本当に申し訳なかったと……」

「ええ、ええ、陛下は何度でも謝ってくださいますわ。けれどどうしても思い出してしまいますの。そしてもう終わったことですから、いくら謝られても取り返せませんのよ」


 母のその怒りを聞くと、いつも思う。

 取り返せないと言うならば、なぜ未だにグチグチと続けるのだろう。

 しかし、そんなことを口に出そうものなら、新たな火種が湧いて出てくる。

 そのことがわかりきっているので、父はその日もまた縮こまって謝り続けていた。

 もちろん私たち兄弟も黙ったままだ。


 せっかくの美味しい猪肉が台無し……と言いたいところだが、兄が獲ってきた猪肉は、どんなときでも美味しい。


          ◇


 だから私は、同じ過ちをするまい、と国境近くまで出迎えにやってきたのだ。

 先触れの早馬が王城に到着したと同時に腰を上げた。決して遅れてはならない。


 母の不満は王城中の誰もが知っているので、当然ラーシュも知っている。彼は顔の前でひらひらと手を振りながら、軽い口調で私に言った。


「いやあ、王妃さまは特別ですよ。普通は王女だの王子だのという立場の人間が、自ら迎えに来るなんてないですって」

「そうかもしれないが」

「驚いちゃうんじゃないですか」

「そうだろうか」


 けれど、やらないよりはやったほうがいいのではないかと思う。

 するとラーシュは、あ、となにかに気付いたようで、小さな声を出した。


「そういや、先に出迎えるって(ふみ)は送ったんだし、驚きはしないか」


 いや、と口にしようとしたところで、にわかに街道の向こうが騒がしくなってきた。

 ラーシュは目の上に手をかざして、遠くを見やる。


「おっ、ご到着みたいですね」

「ああ」


 私は馬から降り、国境検問所の砦の脇に立った。

 砦とは言うが、小さく簡素な作りのものだ。

 崖に挟まれた街道の上が隣国クラッセとの国境となっているので、その崖を利用して、大きな木製の扉で街道を塞いでいる。

 エイゼンの王子を迎えるということで、今はその扉も大きく開かれ、崖と崖を渡すような細い橋が掛かっているだけのような状態になっていた。


 私も街道の向こうに目を凝らすと、いくつもの人影が現れているのが見て取れた。

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