18. 王子と狩り
兄の目印に沿って、山の中を歩いて行く。先陣を切るのはラーシュで、殿を務めるのは私だ。
とはいえ、さすがは兄だ。山の中に入るのは初めてのジュリアンやマルセルでも、楽に歩ける道を選んでいる。
私は前を歩くジュリアンに、背中から声を掛ける。
「ジュリアン、足元や木の根元をよく見て」
「あっ、はい。危ないですものね」
「それもあります。あと、獲物の気配を探さねばならないので」
「気配」
ジュリアンは私の言葉をおうむ返しにして黙り込む。
「そこ」
先頭を行くラーシュが、近くに伸びていた木を指さす。ミズキの木だ。
「樹皮が剥けているでしょう。鹿が食べたんです」
「へえ」
ジュリアンとマルセルは感心したように、何度もうなずいていた。
私はラーシュの説明に補足する。
「食べてから時間が経っているみたいです。この辺にはもういないかも」
「なるほど」
最初はおどおどとしていた二人も、そう解説しながら山の中を歩いていると、次第に目を輝かせ始めた。
「わかりますか? これ、鹿の足跡です」
「……よく、わかりません。普通の穴となにが違うのか……」
マルセルは地面を見つめて首を捻っている。
「まあ、慣れるとわかるようになりますよ」
「そんなものですか」
「あの、この木に泥が擦り付けられているような」
ジュリアンが近くの木を指さす。
「あ、本当だ。見逃してたなあ」
「猪が泥浴びをした跡ですね」
「よく見つけましたね」
皆が感心した声を上げると、ジュリアンは照れ臭そうに頬を染める。
おそらくは、ここにいる他の人間よりも身長が低いため、獣が付ける跡に気付きやすいのだ。これはなかなかの戦力かもしれない。
二人は話を聞いているうちに、俄然やる気になってきたのか、あちらこちらに目をやっている。
「足を滑らせないように」
「あっ、はい」
慣れてきた頃が危ない。私はそう小声で声を掛ける。
気を抜くと危険なのはわかったのか、ジュリアンもマルセルも、道を踏みしめるようにして歩き始めた。
すると。
カサリ、という音が耳に届いた。私はその場に足を止める。
「カリーナ?」
「しっ」
視線を動かさないまま、唇に人差し指を当てる。
それを見た三人ともが、動きを止める。獲物がいるのだ、ということはわかったのだろう。
今歩いていた道の左側には、かつて川だったのか、広くくぼんでいるところがある。そしてその向こうには平地があり、その先に上に伸びる傾斜がある。狙いは平地の茂みの中。
いる。キジだ。茂みに隠れている。黒い頭に目の周りの赤。チラチラと茂みの隙間から見え隠れしている。間違いない。
私は背中に背負った弓と矢をなるべく音を立てないように矢筒から取り出すと、まっすぐに構えた。
幸い、キジと私との間に、障害と呼べるものはない。キジの背後の傾斜は、矢がどこかに飛んで行くのを防いでくれる。いい場所にいてくれた。
矢を弓に乗せ、弓弦を引く。
届くかどうか、ギリギリのところだ。
めいっぱい後ろに引き、そして矢じりと視線を合わせた。
ジュリアンが目を瞬かせて私をじっと見上げているのが目の端に映る。
期待しているのだろう。絶対に仕留めなければ。
私は狙いを定めると、矢筈を持っていた手を放す。
矢は風を切ってまっすぐに飛んで行き、そして。
「当たった!」
ジュリアンの声が響いた。よく見えているのだ。
私は構えを解くと同時に、駆け出す。
「カリーナ?」
「行くぞ!」
「えっ」
「早く!」
見失って見つけられなくなるかもしれないし、狐にでも先に見つけられるとまずい。
私はくぼみに滑るように降りると、そのまままっすぐに平地に向かった。
後ろに振り返ることなく、木の根や石を避けながら、ただ自分の放った矢が向かった方向に走る。足音は聞こえるから、誰かがついて走っているのはわかった。この音は、おそらくジュリアンだ。マルセルとラーシュは遅れて追っているようだ。
しかし山に慣れている私と違って、おぼつかない足音は次第に遠くになっていく。
けれど私は構わず走った。マルセルとラーシュがいるなら大丈夫だ。
平地の草むらに入ると、私はさきほどの茂みを目で探す。あった。
そちらに駆け寄ると、茂みを掻き分ける。私の矢が見えた。そしてその先に、首元に矢が刺さってピクピクと震えるキジが。
大物だ。身体が大きい。だからこそあの距離でも当たったとも言えるか。
私はキジから矢を抜くとそのあたりに転がした。それから腰の剣帯に佩いていた小型の鉈を引き抜く。
「カリー……」
私は鉈を振り上げると、それをそのまま振り下ろした。
一息で首を切り落とされたキジの尾の根元を掴むと立ち上がり、目の前に掲げる。よかった、素早く血抜きができた。
すると、カサ、と背後で草を踏んだ音がした。ジュリアンが追い付いたのだろう。そういえば、さきほど声がした気がする。急いでいたから、意識から追い出してしまったのかもしれない。
そちらに顔を向けると、やはりジュリアンがそこに立っていた。
「今日の夕餉はキジですね」
キジを手にしたままジュリアンに向かって、にっこりと笑うと、彼は少し身を引いた。
「あ、ああ……」
喜んでくれるかと思ったけれど、彼はおどおどとこちらを眺めている。
「ジュリアン?」
「あ、いや……」
「姫さまー! 見つけましたー?」
向こうからラーシュの声が聞こえる。
「見つけたぞー!」
大声で返すと、しばらくしてから、ラーシュとマルセルが平地にやってきた。
肩で息をしているマルセルのほうは、顔色が悪い。走るのは苦手なのだろうか。
「ああ、良かったですね。……っと」
ラーシュはジュリアンのほうに視線をやってから、そして私のほうに顔を向けた。
「血抜き、やっちゃったんですね」
「え? やったが?」
「初心者にはちょっと難しいのでは」
「だから初心者にやらせずに、私がやったんだが」
「いや、初心者に見せるのはちょっと」
「そうか? いやでも、慣れなければ」
マッティアでは子どもだって狩りをする。最初は怖がっていた子どもだって、しばらくすれば、それは当然のことなのだと理解するし慣れるのだ。
「あ」
けれど、そうか。それでも子どもたちはマッティアで生まれ育っているから、大人たちが狩りで仕留めた動物たちを、目にしながら生活する。
まるでそんな経験のない人間には、きついものかもしれない。
特に、エイゼンの王子であるジュリアンには。
マルセルが顔色を悪くしているのも、ジュリアンが立ちすくんでいるのも、私のせいだ。
また無神経だった、と肩が落ちる。
しかし。
「ならば、慣れる」
ぼそり、とジュリアンがそう零して、顔を上げた。
きっぱりとした、凛とした表情だった。
「それがこの国の流儀というのなら、慣れる」
その言葉を聞いて、ラーシュの口の端が持ち上がった。