17. 王子の呼び方
兄に事と次第を説明し、無事に許可も下り、そして狩りの日がやってきた。
「そういうことなら、私も参加します」
というわけで、兄までやってきた。満面の笑みだ。
兄と私とラーシュと、ジュリアン殿下とマルセルの五人は城門前で円になって集まっている。
ジュリアン殿下は狩りに適した服を持っていなかったので、急遽、エリオットのものを借りてきていた。
「乗馬服でいいかと思っていたんですが……」
「できなくはないですが、やはりなるべく怪我しないようにしないと」
弓を背負ったり鉈やナイフを携帯するための剣帯も装着するから、あまり重装備にして動けなくなってもいけない。革のブーツと手袋とベストで最低限に身を守るが、それ以外は薄手の布で作られた服だ。
兄やラーシュは慣れたものだから軽量化のほうを重視して、いろいろと省いた服装ではあるが、初心者のジュリアン殿下はそれではいけない。
慣れぬ服装に戸惑っている様子のジュリアン殿下を眺めながら、兄が私に向かって口を開く。
「オークランス伯爵家は、皮の鞣し技術に優れた職人が育っているようだよ」
「そうなんですか。ではもう少し柔らかくて軽い革もできるでしょうか」
「きっとね」
軽い革ができたら、今は重そうにしているジュリアン殿下も楽になるだろう、と考える。
「では本日はよろしくお願いします」
そう挨拶して、マルセルが頭を下げる。
「ご迷惑をお掛けするかもしれませんが……」
「マルセルは、とにかくジュリアン殿下をお守りすることを考えてください。狩ろうとはしなくていいですから」
にこやかに兄がそう指示している。それにマルセルは神妙な顔をして首を縦に動かした。
「コンラード殿下もいらっしゃるとは、心強いです」
ジュリアン殿下がそう話し掛けると、兄は「お任せください」と胸に手を当てている。
「そろそろ私も狩りに出たいと思っておりましたし、ちょうどよかった」
「そうなんですね」
「今から行く山は王家の山なので、管理もしないといけませんから」
「管理、ですか」
「最近、鹿が下りてきて畑を荒らすことがあるそうなので、ちょっと狩っておかないと。遭遇できれば仕留めてやります」
「なる、ほど……」
ジュリアン殿下は、なにやら心配そうに眉を曇らせた。なので私は声を掛ける。
「大丈夫です、兄ほど山を知る人間はおりません。兄がいるなら百人力です」
「は、はい」
なぜか殿下はますます不安そうな表情になった。やはり初めての狩りは、なにを言われても心許ないものなのだろう。
「じゃあ、行きますか」
ラーシュがそう声を上げると、皆がうなずく。
兄は単騎で馬に跨り、私たちはラーシュが操る荷馬車の荷台に乗り込んだ。
兄がいるなら大物が獲れるかもしれない。だとしたら荷馬車の用意は必要だ。けれどこの荷馬車に乗り切らないほど狩る必要もない。それが管理というものだ。
動き出した荷馬車の荷台で、ジュリアン殿下とマルセルは、ソワソワと辺りを見回している。
初心者である彼らに、なにか言っておかなければならないことはあるだろうかと考えて、あ、とひとつ思いつく。
「ジュリアン殿下」
「は、はい」
呼び掛けると、彼は戸惑うようにこちらに振り向いた。
なにを言われるのだろうかと身構えている様子だ。やはり緊張しているのだろうか。
「今後、私のことはカリーナとお呼びください」
「えっ」
「マルセル殿も」
「ええっ?」
二人は驚いたように声を上げる。特にマルセルは。
しかしこれは、守ってもらわないといけない。
「敬称もなにも必要ありません。ただ、カリーナと」
「いや……そんな、畏れ多いことです……」
「でも危険が迫れば、敬称など邪魔なだけです。極力、簡潔にお互いを呼ぶべきですから。どうぞ遠慮なく」
「あっ……ああ……」
「ですから私も、敬称は略させていただきます。申し訳ないのですが」
「は、はい」
「敬語もけっこうです。情報を早く伝えることが最優先なので」
「はい……」
「本当に、気にしなくていいですよー」
御者台から、振り向かないままラーシュが声を掛けてくる。
なぜかジュリアン殿下とマルセルは、ますます不安そうな顔になっていた。
◇
山の入り口で待っていたのは、兄の馬だけだった。
「もー、コンラード殿下は……」
入り口の木に繋がれた馬を見て、ラーシュはがっくりと肩を落としている。
兄の馬は足元の草をのんびりと食んでいた。
「先に行って、目印でも付けてくれているのだろう」
私は荷台から飛び降りながら、そう言って、山の中に目を向ける。
「ああ、本当ですね。なんだ、待ちきれなかったのかと思いましたよ」
入り口から入ってすぐの木の枝に小さな白い布が結び付けられていて、ヒラヒラと風に揺れていた。
私は荷馬車に振り返り、そろそろと荷台から降りている二人に声を掛ける。
「兄が、安全な道を選んでくれているようです。その先に兄もいます」
「そうなんですね」
安全、と聞いて、少し安堵したように二人は息を吐いている。
「では行きましょう、ジュリアン」
そう呼び掛けると、彼は目を瞬かせながら私を見つめ返してくる。
うん?
「えっと、さきほど言いました、よね?」
「あっ、ああ、なんとなく耳慣れなくて」
そうして身体の前で手を組んで、上目遣いで私に視線を向ける。
「で、では……行きましょう、……カリーナ」
「はい」
私が返事をすると、ジュリアンははにかんだ笑顔を見せた。