14. 王子と踊れない
輪舞も終わり、私たちはまた壁際に集まって歓談を始める。
ジュリアン殿下は少し顔を紅潮させていて、楽しそうだった。退屈なのではないかと心配していたので、心の中で安堵の息を吐く。
「たくさん間違ってしまいました」
頭の後ろを掻きながら、彼はそんなことを報告している。
「初めてなんだから当たり前ですよ」
「見ていましたけれど、わかりませんでしたよ」
ラーシュとマルセルは、慰めの言葉を掛けていた。
私も彼に向かって声を掛ける。
「ええ、隣で踊りましたからわかりますが、初めてなのによくついてきておられました。あれだけ踊れれば十分過ぎるほどです」
常日頃、よく人を見ているからなのか。そして周りに合わせようとする癖が活きたのか。とにかく彼は、輪舞に関してもそつなくこなしてみせた。
「やはりエイゼンとは踊りが違いましたか?」
そう問うと、ジュリアン殿下はこくりとうなずいた。
「かなり似ているようには思います。けれどエイゼンのほうが簡素ですね」
「そうなんですか」
「そもそも、輪舞はそんなに盛んではないので」
「へえ」
「二人一組で踊る社交ダンスがほとんどかと思います」
「ではそちらは、お得意?」
「得意と言えるほどではないですが、一応、習っています」
そのとき、ちょうどよく次の曲が流れ始めた。
各々パートナーを伴って、二人一組で踊る曲だ。
こちらは二人同時に、とはいかないので一人を選ばなければならないが、どうやらマティルダがエリオットのお相手を勝ち取ったようだった。
フレヤは頬を膨らませていたが、家族が宥めているのが見えたので、安心する。
大人たちの中で、子ども二人が踊るのを見るのは微笑ましいものがあるのか、エリオットとマティルダを見る皆の視線も優しい。
「ああ、こちらは同じですね」
二人を眺めていたジュリアン殿下がそう話し出す。
「同じ踊りですか」
「はい」
「でしたら、踊りましょうか」
そう提案したが、ジュリアン殿下は驚いたように身を引いた。
「踊りたいのは……山々ですが……でも」
なぜか、もごもごと口ごもっている。首を傾げて次の言葉を待つと、彼は少し言いにくそうに続けた。
「その……身長が……」
「ああ」
納得してうなずく。
確かに相手が私だと身長差がありすぎて、不格好なダンスになってしまうだろう。私と踊って恥をかかせてはいけない。
「では、あとでマティルダかフレヤを誘いますか?」
「えっ」
彼女たちなら身長もちょうどいいかと思ったのだが、なにやら驚きの声を上げられてしまった。
「あの……大丈夫なんですか」
「なにがでしょう」
「ダンスは……その、恋人とか夫婦とか婚約者とか、もしくは意中の相手と踊るものでは……? 変な誤解をされては……」
「ああ、エイゼンではそういうものなんですか。いえ、そんなこだわりはありません。だってほら、エリオットだって……」
そこまで言いかけて。
ラーシュが呆れたような半目で私に視線を向けているのが見えた。
うん?
「なんだ、ラーシュ」
「いえ……なんでもないです」
「その顔は、なんでもないようには見えないのだが」
そう問い詰めるとラーシュは頭を掻いて、しばらく唸ったあと肩を落とした。
「……まあ、後学のために教えておきますが」
「ああ」
「確かに、そういう関係でなくとも踊ることはあります。家族とか大切な人とか……騎士とか。けれど基本的には我が国でも、意中の相手を誘うことが多いですよ。まあ一緒に踊ったからといって、両想いだとは限らないのが難しいところですが」
「え? ちょっと待て」
私は顎に手を当てて考え込む。
「私も誘われたことは多々あるが、そういう感じではなかったが」
「姫さまの場合は、仮にも王女ですから」
「仮にもって」
「滅多に会えない高嶺の花と踊っておきたい、という憧れの気持ちなんじゃないですか」
「そう……なのか。あ、いや、ちょっと待て」
頭の中が整理されないうちに、新たな疑問が湧いて出てきた。
「じゃあ、マティルダがエリオットを誘うのは理屈に合わない」
「合わない?」
「だって、どう見ても彼女は……え、いや、待て。え?」
思考を巡らす私に、誰も話し掛けてこない。なので私はゆっくりと考える。
これはもしや、ラーシュが言うところの『そのうちわかる』ということではないのか、という気がした。
ならば、真剣に考えなければならない。
「ええと、マティルダはいつもエリオットを誘うよな?」
「そうですね」
「ということは、意中の相手……?」
「いやまあ、そこはなんとも言えませんが」
ごにょごにょとラーシュが返事をする。
エリオットは王子なのだから、先ほどの『仮にも王女』のパターンに当てはまる。しかしマティルダは王家と親しくしている侯爵家の娘だし、エリオットを高嶺の花とするのは違う気がする。
とすると、意中の相手と見做したほうがいいだろう。で、このまま考えを進めてみるとだ。
「では好意を寄せている相手に、マティルダはあの態度なのか? なぜ?」
「なぜ……なんでしょうね」
目を逸らしたまま、ラーシュがそう答える。答えにはなっていない。
だから自分でもしばらく考えてはみた。みたけれど。
「なぜだろう。わからない」
「わからなくていいですよ、もう」
ガックリと肩を落として、返される。なぜか憐みの視線を受けている気がした。
同じ目をしたジュリアン殿下とマルセルも会話に加わってくる。
「確かに、素直でないのは感心はできませんけどね」
「でもそれが乙女心というものだと思います」
「どうしてこんなことになったんでしょう……? さすがの俺もここまでとは」
「まあ、王女として育ったのですから、恋愛事に疎いのは仕方ないのかも」
「けれど騎士殿の責任もあるんじゃないですか」
「そうかも……」
ラーシュは顔を自分の両手で覆ってしまっている。
その様子を見て、とにかく私が非常識らしい、というのは理解した。
「どうもこのところ、私の中の常識が崩れてきている気がする……」
そう口にすると、ますますそれが事実として押し寄せてきたような気分になった。
どこからだ? と考えて、チラリとジュリアン殿下に視線だけを向ける。やはり彼がこの国にやってきてからだ。
彼が私の世界を変えつつあるのでは、という思いが沸き上がってきたとき。
私の視線に気付いたジュリアン殿下は、こちらを見上げてくると、立てた人差し指を自分の口元にやった。
「マティルダ嬢にも、エリオット殿下にも、言ってはいけませんよ。内緒です」
「はい……」
八歳も年下のジュリアン殿下に諭されてしまった。情けない。




