13. 王子と輪舞
そうしていると、どなたかとの挨拶を終えたらしい兄がこちらに近寄って来た。
「盛り上がっているようだね」
これを盛り上がっていると評していいのかどうかはわからないが、兄は苦笑交じりにそう声を掛けてきた。
「コンラード殿下!」
マティルダは兄の姿を認めると、華やいだ声を上げる。
「ごきげんよう、コンラード殿下」
そしてまた美しく淑女の礼をしてみせた。エリオットを前にしたときとは、ずいぶんな違いだ。
「やあ、マティルダ嬢、また綺麗になったね」
そう兄が褒めると、マティルダはポッと頬を染めた。
「まあ、嬉しいです」
もじもじと恥じらいながら、そんなことを返している。
正直なところ、誰もこの状況に口を挟む余裕はなかった。マティルダの独壇場だ。
しかし少しすると兄は、別の貴族に呼ばれてしまい、こちらに手を上げて断ってくる。
「ああ、もうちょっと話したいところだったけれど、なかなか会えない御仁からの呼び出しだ。では、どうか楽しんでくれ」
王太子である兄は、あちらこちらから声を掛けられて大広間を歩き回っているのだ。ほとんど立ち止まっていないのではないだろうか。
貴族たちはもちろんだが、そのご令嬢たちにも話し掛けられるので、一ところに留まってはいられないのだ。
というわけで、私とは一言も言葉を交わすこともなく立ち去ってしまう。
「やっぱりコンラード殿下は素敵だわ」
うっとりとその背中を見送って、マティルダはそんなことを口にした。
それからくるりと振り返ると、そこにいたエリオットに向かって容赦のない言葉を浴びせる。
「エリオット殿下も、見習うといいですわ」
つんとすまして言われてしまい、エリオットは少し口を尖らせた。
「まあ! なんですの、その顔は。なにか不服ですの?」
マティルダは腰に手を当て、上半身をエリオットのほうに傾ける。
やられっぱなしでは終われないと思ったのだろう、エリオットはなんとか背筋を伸ばした。がんばっている。
「ぼ、僕だって」
「エリオット殿下だって?」
「あ、兄上の年になれば……」
そして小さな小さな声でそう応戦したが、すぐさま言い返されてしまった。
「エリオット殿下が、大人になったらあんなに素敵になれるんですの? まあ、それは楽しみですこと!」
今度こそ、エリオットは黙り込んでしまった。
しかも彼だけではなく、その場にいる皆がなにも言葉を発しなくなってしまう。
これは、なにか声を掛けたほうがいいかと迷っていると。
「ごきげんよう、エリオット殿下」
機会を窺っていたのか、他のご令嬢がエリオットに挨拶をしに来た。
「ああ、フレヤ嬢、こんばんは」
どこか安心したように、エリオットは息を吐いた。
「エリオット殿下も来られると聞いて、楽しみにしておりましたの」
「本当? 嬉しいな」
エリオットはニコニコと応対している。
しかしその斜め後ろで、マティルダは唇を尖らせていた。もしかして、このご令嬢が嫌いなのだろうか。マティルダはどうも人の好き嫌いが激しいように見える。
「殿下、よければあとで、わたくしと踊ってくださいませんこと?」
頬を染めつつ、そのご令嬢はエリオットに申し出た。
「うん、もちろん」
さして迷うことなくエリオットは笑顔でうなずく。
「まあ、嬉しいです! ではまた後ほど」
令嬢は一礼すると、弾んだ足取りで立ち去っていく。最後にチラリとマティルダのほうに視線を寄こして、そして笑った。
うん? と思ってマティルダに視線を向けると。
彼女は顔を真っ赤にして、プルプルと震えていた。
これはどうやら、本当にあのご令嬢が嫌いなのだろう。もっと穏便に人付き合いができればいいのだろうが、この性格では難しそうだ。
マティルダはつかつかとエリオットに近寄ると、ふいにその手首を握って歩き出す。
「行きますわよ! 最初はわたくしが踊って差し上げます! まったく、鼻の下を伸ばして、みっともないですわ!」
「みっともないは酷くない?」
「酷くないですわ!」
「待ってよ、マティルダ。早く歩き過ぎだよ」
そんなことを喋りながら、二人はその場を去って行った。
その場には、呆然とする四人が残される。
「これはまた……」
「なかなか、……激しいご令嬢ですね」
唖然として、ジュリアン殿下とマルセルは去っていく二人を眺めていた。
「まあ、いつものことですよ」
ラーシュが呆れたような声音でそう返事している。
そう、いつものことなのだ。
マティルダはやたらエリオットに絡み、エリオットはいつもやり込められている。
毎度のこと過ぎて、もう誰も二人のやり取りに口を挟んだりしない。しないのだが。
「マティルダは、そんなにエリオットのことが気に入らないなら、近付かなければいいと思うんだが……」
私がぼそりとそう口にすると、ラーシュとジュリアン殿下と、ついでにマルセルまでもが勢いよく私のほうに振り向いた。
「それ、本気で言っているんですか、姫さま」
「初対面の私ですら、わかったのに……」
「嘘ですよね……?」
なんだなんだ。
「俺もさすがに、いくら姫さまでもそれくらいはわかっていると思ってましたよ」
「いや、知らぬふりをしているんですよね」
「でも先ほど、言葉のほうを信じたほうがいいって……」
マルセルの最後の言葉に、三人は黙りこくってしまう。
なんだなんだ。
「私の言うことに、なにかおかしなことがあっただろうか」
よくわからないので素直にそう問うと、ラーシュがため息交じりに口を開く。
「あのですね、姫さま。マティルダ嬢は……」
「ラーシュ」
しかし言いかけた言葉を、ジュリアン殿下は彼の袖口を引っ張って制した。
「それは、たとえ相手が本人でなく姉君であっても、ラーシュの口から伝えてはいけないと思う」
「えっ……ああ」
言われて初めて気が付いた、という表情をして、ラーシュは何度もうなずいている。
「そう……そうですね。そうですよ」
「うん」
「止めてくれて感謝します。俺も姫さまのこと、無神経って言えませんね」
「無神経?」
その言葉に、ジュリアン殿下は小首を傾げる。
けれどそれを無視して、ラーシュは私に向かって言った。
「ま、姫さまにも、そのうちわかりますよ」
「そうか。とにかく、マティルダについて私が理解していないことがあるというのは把握した」
ラーシュがそのうちわかると言うのなら、いずれはわかるのだろう。いつまでも首を捻るのも時間の無駄だ。
すると、大広間に曲が流れ始める。片隅にいる楽団が音を奏で始めたのだ。
見てみれば、エリオットの両脇にマティルダと、そして先ほどのフレヤ嬢がいて、なにやら言い争いをしている。間に挟まれたエリオットは居心地が悪そうだ。
周りに大人たちがいてその様子を眺めているが、誰もなにも口出ししていないようなので、大した問題ではないのだろう。
「輪舞だというのに、なにを争っているんだか」
はあ、とため息をつきながら、ラーシュがごちる。
舞踏会の最初のダンスは、輪舞であることが多い。壁際で談笑していた人たちも、ゆるゆると中央に向かって足を進め始める。
エリオットと令嬢二人も、どうやら弟を挟んで三人で手を繋ぐことで話はついたらしく、楽しげに歩き出した。
「ジュリアン殿下」
「はい」
呼び掛けると、彼はこちらを見上げてくる。
「輪舞です。行きましょう。エイゼンの踊りとは違うかもしれませんが、簡単なので周りに合わせれば大丈夫かと」
私は彼に手を差し出す。するとしばらくその手を見つめていたジュリアン殿下は、照れ臭そうに笑った。
「お誘いいただき嬉しいです」
そうして私の手に、自分の手を乗せてきた。




