1. 王子と政略結婚
政略結婚をすることになった。
マッティア王国の第一王女であるこの私、カリーナが、である。
もうすぐ十八歳。そろそろそういう話が舞い込んでくるのではと思ってはいたけれど、お相手は大変に意外な方であった。
エイゼン王国の第七王子、ジュリアン殿下である。
御年十歳である。
「少々……年が離れすぎているのでは」
その縁談話を謁見室にて、玉座に座る父から聞いたとき、私は思わずそう訊いてしまった。
王女たるもの、政略結婚に異議を唱えることなどあってはならないのだから、私はうなずくしかなかったはずである。
けれど衝撃のあまりに、「唯々諾々」という言葉が頭の中からすっぽ抜けた。
しかし父は私の無作法を咎めることなく、首肯する。
「離れているな」
「ですよね」
「では訊くが」
「はい」
「カリーナは、マッティアとエイゼンと、どちらが国力が上だと思う?」
「エイゼンです」
比べるまでもない。
「そういうことだ」
「わかりました」
私は深く一礼する。
高いところで結った一房のまっすぐな黒髪が、パサリと顔の横に垂れてきた。
◇
「いやいやいやいや」
私の騎士であるラーシュが斜め後ろを歩きながら、しきりに立てた手を顔の前で振っている。
ラーシュは幼いころからずっと私の騎士をやっているが、のどかなこの国では剣の腕前を披露して仕事に活かすこともない。
なので彼の仕事は、もっぱら私の話し相手だ。
「姫さま、物わかりが良すぎではないですか?」
「そうか?」
詳細はまた後日、ということで、私たちは自室までの廊下を連れ立って歩いている。
子どものうちは同じような身長だったのに、あっという間に私よりも頭ひとつ分大きく成長した彼は、身体を屈めて私のほうを茶色の瞳で覗き込んできた。歩きながらなので彼の赤色の巻き毛が揺れている。
「昔から、なんでもスッと引いちゃいますよね」
「そんなつもりはないが」
「どんなことでも呑み込む癖、やめたほうがいいと思います」
「そう見えるのなら、気を付けよう」
「だから、そういうところですって」
呆れたような声でそう指摘してくる。
しかしだからと言って、荒れるようなことでもない。顔に出すほどのものでもない。私の表情は、凪いだ海のように落ち着いているだろう。
ジタバタしても仕方ない。そんなことをしても時間の無駄である。
国王である父が口にした時点で、これはもう、決定事項だ。
そしてその事情にも納得がいく。
国力があまりにも違い過ぎる。エイゼン王国から申し出があったのだとしたら、マッティア王国に断るという選択肢はない。
だいたいこのマッティアは、他国との政略結婚を繰り返して生き残った国でもある。むしろ大国からの申し出は大歓迎である。
そう納得はできるが、すべてをすんなり呑み込めるわけでもない。凪いだ海でも、海中では流れが荒れ狂っていることだってあるのだ。
だからラーシュの指摘するように、どんなことでも呑み込んでいるわけではない。ただ顔に出ないだけだ。
そういうわけで、頭の中は疑問符だらけである。
なぜその強国であるエイゼンが、第七王子の結婚相手としてマッティアの王女を選んだのか。
あまりにも差がありすぎる年の差をなんとも思わなかったのか。
それとも実はエイゼンでは、八歳程度、女が年上であることなど当たり前のことで問題にもならないのか。
そもそもそのジュリアン殿下はどのような御方なのか。
御本人は八歳も年上の女を娶ることを納得されているのか。
そんなふうに頭に浮かぶ疑問は数あれど、マッティア王女である自分は「ありがたく」そのお話を受けるしかない、というだけだ。
けれどやはり表情には浮かばず落ち着き払っているように見えるのか、私の代わりにラーシュが次々と疑問を呈してくる。
「だって姫さま、十歳なんて子どもですよ? 城下の子どもたちを見てくださいよ。イタズラばっかりしているじゃないですか」
「エリオットは大人しいぞ」
エリオットとは、私の弟である。ジュリアン殿下と同じ十歳だ。第二王子である彼は、王太子である兄の背中に隠れていることが多い。
それはそれで問題ではあるのだが、イタズラばかりするよりかはマシな気がする。
「エリオット殿下は、まあ……大人しいですが」
近くにいる例を挙げられて、ラーシュは気まずげに一旦は言葉を引っ込めた。しかし少ししてまた口を開く。
「いやでも姫さまにとって十歳のエリオット殿下は、可愛くて幼い弟でしょう?」
「幼い……まあそうかな」
「その幼い弟と同い年の男の子が夫になるって、ちょっとは抵抗してみたほうがいいんじゃないですか」
「まあ……少し年が離れてはいるようには思うが、なにせ私はエイゼンのことをあまり知らないからなあ」
遠く離れた国だ。大国であるという知識はあれど、その慣習や価値観などまで知っているわけではない。
「もしかしたらエイゼンでは、妻は年上なのが普通なのかもしれん」
マッティアでは夫が年上であることが普通……とまでは言わないが、多くはある。
渓谷の国の我が国では狩りが盛んで、それで生計を立てている者も多い。そしてそれは腕力や脚力が必要なため、男性が圧倒的多数だ。
一人前になるには時間がかかることもあり、必然的に夫が年上になる夫婦が多くなる。
そして妻は、家で子どもを育てながら夫の帰りを待つのだ。
「そう……なんですかねえ……。エイゼンもさして変わりないと思うんですけど……」
ラーシュは納得できかねる、という表情をして首を捻る。とはいえ彼も、このマッティアで生まれ育った人間だ。他国の細かい事情までは把握していないのだろう。
実際のところはわからない。
だから今度調べてみよう、と思い立つ。
「まあ、いずれにせよ、詳細は追って説明してくださるということだから」
そこでちょうど自室にたどり着き、私はドアノブに手を掛ける。
「今日のところは、私はもう休むよ」
「はい。では俺はこちらで待機しておりますので」
「ああ」
ラーシュを部屋の外に置き、私は中に入って扉を閉めると、息を吐く。
やれやれ。
王女とはいえ、自由気ままであった独身生活もついに終わりがやってくるのか、と私は慣れ親しんだ自室を見渡した。
華美なものは何ひとつなく、質素倹約を地でいく部屋だ。
きっと他国の王女というものは、もっと豪華な部屋に住んでいるのだろう。
木製の書き物机がひとつ。同じ木から作られた本棚がひとつ。壁際には白いシーツが掛けられたベッドがひとつ。衣装戸棚と鏡台が、かろうじて女性らしいものと言えるかもしれない。
「結婚……ねえ」
ぽつりとつぶやく。
実は私専属の侍女が二人いるのだが、あまりにもやることがなくて、ベッドの横に置かれたサイドテーブルの上の鈴を鳴らす以外には来なくてもいい、ということになっている。けれど鳴らしたことなど、ほとんどない。
できることは、なんでも自分でやってきた。
それは性に合っているのか、気楽でもあった。
別に豪華な部屋など欲しいとも思わない。
けれどエイゼンに行くのなら、そうも言っていられないのだろう。なんと言っても、大国エイゼンの王子妃だ。
豪華な部屋と引き換えに、王子妃としての所作が求められる。
「気が重い……」
私はベッドの傍に歩み寄ると、ドサリとその上に倒れ込んだ。