無礼な男 4
ブラッドは、本気で、そう思っている。
いかにも「お忍び」に慣れていない上位貴族の令嬢が、こんな路地裏に、1人でのこのこ入っていくなど、不用心にもほどがあった。
ドリエルダは、やはり噂とは違う。
噂通りとするには、あまりにも警戒心がなさ過ぎるのだ。
「ブラッド……」
たたたたっと、ドリエルダが駆けてくる。
そして、そのままブラッドに抱き着いてきた。
一瞬、ぎょっとしたが、突き放せずにいる。
彼女の体が、小刻みに震えていたからだ。
「わ、私、あ、あなたを探して……」
それは知っている。
ピッピから、この3日、定期的に連絡が入っていた。
ほぼ同じ時間で同じ場所。
その上、相変わらずの格好だという。
(狙ってくれと言わんばかりではないか)
街には、善人しかいないとでも思っているのだろうか。
ロズウェルドにも、事の大きさはともかく、犯罪はあった。
だからこそ、近衛騎士が巡回をしている。
女が1人で路地裏に入るなんて、絶対にしてはならないことだ。
「これに懲りたら、もう街には来るな。お前には不似合いな場所だ」
「そういうわけにはいかないわ!」
がばっと、ドリエルダが顔をあげる。
が、ブラッドを逃がすまいとでも言うように、抱きついたまま離さない。
瞳には、やはり追い詰められているという雰囲気が漂っていた。
ピッピのニヤニヤ顔が目に浮かぶ。
どうせ、近くで見ているに違いないのだけれど、それはともかく。
「話だけは聞いてやる」
「本当に? そう言っておいて逃げる気なんじゃないの?」
「もとより、俺は逃げておらん。避けていただけだ」
ドリエルダの目が、大きく見開かれた。
その隙に、肩を掴んで、体を離させる。
ピッピに、ニヤつかれるのは、ごめんだ。
あとから「イチャイチャ」していたなとど言われるに決まっている。
「ついて来い」
短く言って、すたすたと歩き出した。
ドリエルダが小走りでついて来る。
女の足には速過ぎるが、歩調はゆるめない。
彼女が無理をしてでもついてくるとわかっていた。
入り組んだ路地を何度か曲がり、さらに人気のない場所に連れて行く。
さっきあんなことがあったばかりだというのに、ドリエルダはブラッドを疑いもせずについてきた。
それほど必死なのだろうけれども。
(俺が怪しき男であれば、売り飛ばされているぞ)
思いながら、狭い路地にある宿屋の戸を、ドンドンと叩く。
すぐに戸が開かれた。
赤髪に、糸のような細い目の男が、ひょいと顔を出す。
体はひょろりとしていて、非常に胡散臭い雰囲気を醸し出していた。
「奥の部屋を貸せ」
「あいよ」
男は、それ以上の言葉を口にしない。
ここは「そういう宿」なのだ。
男女が密会に使う場とされることが多い。
とくに、表だった関係になれない者たちには「最適」との定評がある。
店主は、こう見えて口が堅かった。
誰が誰と来ようとも、それを、けして明かさないのだ。
相手が近衛騎士でも、のらくらと逃げ切ってしまう。
それくらい胡散臭いところが、逆に信用になっている。
「釣りはいらん」
店主に、宿賃より多目に金を渡した。
ドリエルダが後ろで慌てていたが、無視して歩を進める。
鍵は、基本的に内鍵になっており、外から開けられるのは店主だけだ。
奥の部屋の戸を開き、中に入る。
「鍵を閉めるかどうかは、お前が決めろ」
「それなら……かけておくわね」
はあ…と、心の中で、大きく溜め息をついた。
どこまで警戒心がないのか、ほとほと呆れる。
名を知っていれば知り合い、とでもいう意識なのだろうか。
素性もわからない男と、怪しげな宿に2人きり。
室内には、安っぽいベッドと、木製の簡素なテーブルにイスが2脚。
窓はなく、出入りができるのはドリエルダの後ろにある戸だけだ。
なのに、彼女は、平気で鍵をかけている。
「人に聞かれたくない話なの」
無表情な中にも、ブラッドの咎めるような視線を感じたらしい。
言い訳をするような言葉も、根本から話がズレているので言い訳にもなっていなかった。
ブラッドは、ドリエルダのを無視して、イスに座る。
背もたれのないイスなので、後ろにひっくり返らないよう注意した。
「話とは、なんだ?」
ドリエルダが、カフェの時とは違い、断りを入れずに、ブラッドの向かい側へと腰かける。
彼がイスを勧めないことを学んだらしい。
テーブルには、気の利いたものはなにもなかった。
この宿の「用途」は限られていて、温かい紅茶や花は必要ないのだ。
「断る、と言う前に、とりあえず話を聞いてくれる?」
「よかろう」
結果的に断るにしても、ひとまず話を聞かなければ、彼女は納得しない。
納得しなければ、また街に来る。
厄介事が重なるよりは、1度で終わらせたほうがいいと判断した。
「あなたを雇いたいの。長期ってわけじゃなくて、短期でいいわ。お休みの日に、手伝ってくれるだけでもかまわない。もし休みがもらえないのなら、私が雇い主に話をつけるわ」
「俺を雇ってどうする」
契約内容は後回しだ。
ドリエルダの意図を訊き出してから、断るつもりだった。
彼女は、ただ「断る」と言っても聞かないだろうから。
ドリエルダは、少し逡巡した様子を見せる。
なにか後ろめたさを感じているようだった。
が、顔を上げ、真正面からブラッドを見つめてくる。
とても真摯なまなざしだ。
「ある女性を口説いて、夜会に誘ってほしいの」
瞳の色とは真逆に、依頼内容は不純。
その矛盾した状況が、ブラッドの関心を、わずかに引いた。
とはいえ、もちろん表情には出さない。
承諾したと思われては困るからだ。
「理由は?」
「話す必要がある?」
「すべてを話す気がないのなら、これで終わりだ。帰れ」
ドリエルダが、きゅっと唇を噛みしめる。
彼女は貴族だ。
しかも、上位の爵位を持っている。
ブラッドを相手に折れる必要は、微塵もなかった。
だが、信頼できないのであれば、そもそも頼み事をすべきではないのだ。
金を払ったからといって、信頼が買えるとは限らない。
むしろ、この宿屋の店主のような者のほうが稀とも言える。
彼女が、どう判断するか、ちょっぴり興味があった。
「お前は、俺でなければならんと言った」
選んだのは彼女だ。
ブラッドには、ドリエルダを信頼する義理もなければ、根拠もない。
ブラッドの信頼を得たいと考えるか否かは、彼女次第。
ただし、信頼できない相手の依頼を引き受ける気はなかった。
だいたい、なぜ自分でなければならないのかも、不明。
最初に聞いた際、ドリエルダ自身ですら答えられずにいた。
おかしな依頼内容と言い、すべてが曖昧なのだ。
「全部、話すわ。その代わり……いいえ、なんでもない。とにかく話が先ね」
ドリエルダは「他言無用」と、釘を刺したかったに違いない。
だが、それはブラッドが決めることだと考え直したのだろう。
彼女には選択肢がないのだと、ブラッドにもわかっている。
金で動かない彼の口を塞ぐとなれば殺すしかないのだから。
「私は夢を見るの。10日から20日後に起きる出来事の夢を見るのよ」