無礼な男 2
おかしな女だ、と思った。
突然に話しかけてくる女がいないとは言わない。
だから、おかしいというのは、そこではないのだ。
「良かったンすか~?」
「なにがだ?」
ブラッドは、路地に入ったとたん声をかけられたことにも驚かない。
足音もなく、隣に並んできた相手に、チラっと視線を向ける。
赤茶色をした、ぐしゃぐしゃの髪と、焦げ茶色の大きな瞳。
体は小さいが、熊に似た愛嬌のある顔立ち。
とはいえ、子熊のぬいぐるみに似ているからと言って、大人しくはないと知っている。
むしろ、狂暴と言えるくらいの暴れん坊だ。
取柄は、ブラッドには忠実で従順であること。
でなければ、側には寄せ付けなかっただろう。
「もったいないでしょ、あんな美人、フっちゃうなんて」
「それなら、お前が雇われてやれ、ピッピ」
「あ! も~! オレ、その呼びかた、認めてないスからね!」
「俺が決めたことだ」
ちぇっと、ピッピことピアズプルが、不満そうな声をもらす。
が、ブラッドは気にしない。
ピッピとは十年来のつきあいで、十歳の頃から知っている。
それに、30歳のブラッドの、ちょうど十歳年下。
「ところで、あのご令嬢、誰か知ってます~?」
「シャートレー公爵令嬢」
「ありゃ? わかってたんスか?」
「当然だ」
ピッピが、なぜか嬉しそうに、にひひっと笑う。
ブラッドは誰に対しても、一貫して、ぶっきらぼうだ。
だが、ピッピは子供の頃から、いっこうにめげない。
むしろ、そっけない言いかたをされるのを喜んでいる。
時々、ある種の嗜好があるのではと疑ってしまうのだが、それはともかく。
「なんで気づいたんスか? 女には関心ありませーんって顔して、実は、欲望の塊だったりとかします~? 街で、めちゃくちゃ女を見てたりします~?」
「そのような節穴の眼はいらんな?」
「え? いります! 節穴でも必要です! 目潰しとかやめてほしいんスけど!」
「くり抜かれるほうがよいか?」
「ヤです」
ブラッドは無表情で、話を切り替える。
ピッピは顔だけでなく、性格にも愛嬌が有り過ぎるのだ。
路地裏を歩いているのは、用事のある店に向かうためだった。
ピッピと雑談をするために、散歩をしているのではない。
「魔術師の腕が悪かったに過ぎん。あれは“ぼったくり”されておるだろうよ」
ロズウェルド王国では、貴族言葉とは違う「民言葉」というものがある。
言葉通り、主に民が使う表現方法であり、俗語とされていた。
そのため、公の場で使われることはない
が、どこの家にも「民言葉の字引き」「民言葉の字引き その2」の2冊があると言われているほど普及している。
勤め人同士で話す時は、礼儀をわきまえる必要もないので、あたり前に民言葉が行きかっていた。
2人は、同じ貴族屋敷に勤めている。
そして、ブラッドのほうが、ひと月だけ「先輩」なのだ。
「ブラッドの眼が良いだけでしょ、それ」
「陽に透けていただろ?」
「遠目だったから、髪の色まではわかんなかったっス。オレは、目鼻の位置とかで見分けてるんで」
どちらが「優秀」と言えるのか。
しばしば、ブラッドは「先輩」として悩む。
本当には、ピッピの眼が節穴でないのは、わかっていた。
見抜くところは、ちゃんと見抜いている。
「わざと貧相なドレス着ててもねえ。あの爪、見ました~?」
「あえて手袋をせずにいたようだが、あれではかえって目立つ。頭の悪い女だ」
「精一杯、お忍び仕様してきたご令嬢相手に、それは、可哀想っスよ」
ピッピのそれは、ちっとも「可哀想」などとは思っていない口調だ。
心にもないことを平気で言うのだから、呆れる。
加えて、悪気がないのだから、始末に悪い。
咎める気にもならないからだ。
「あんなに手入れされてる下位貴族の令嬢なんていないスもん」
「あの令嬢、噂とは違うのかもしれんな」
「そっスね。街に出慣れてる令嬢なら、もっとうまくやるでしょ」
ピッピの言う通りだった。
シャートレーの令嬢は「放蕩」が過ぎると噂されている。
街で馬鹿騒ぎをするのが好きだとか、サロンに通い詰めているだとか。
とかく、悪い噂しか聞いたことがない。
だが、さっき会った印象が、噂とはそぐわないのだ。
街にしてもサロンにしても、慣れた貴族令嬢ならば、すぐに身元がバレるようなしくじりはおかさない。
顔も、もっときちんと隠すし、相応の身なりもする。
あえて爵位を下げるような服装をすれば、ボロが出易いからだ。
「特定されなきゃいいだけなのに」
上位貴族も大勢いる。
身なりから爵位が公爵家だとわかっても、どこの家かまでわからなければ、それでいい。
そして、そういう上位貴族の令嬢は、お忍びで着たドレスを2度も身につけたりはしないのだ。
「にしても、ブラッドを雇うって……」
ぷはっと、ピッピが吹き出す。
わざわざ上げた手をブラッドの肩にかけ、体を折り曲げて笑っていた。
背の高いブラッドの肩より少し上くらいに、ピッピの頭がある。
ぐしゃぐしゃの髪を、ブラッドは、さらにぐしゃぐしゃとかきまわした。
「そう笑ってやるな。可哀想だろう」
「オレの真似してもダメっスよ。ブラッドには可愛げってもんがないスからね~」
「お前にも可愛げなんぞない」
ははっと、ピッピが軽く笑い飛ばす。
口ではどう言っても、ブラッドが「後輩」を可愛がっていると知っているのだ。
そのあたりが、小憎たらしいところでもある。
「夜のお相手だったりしちゃったり?」
「有り得ん」
「なんでスかあ~? ブラッド、愛嬌はないスけど、見た目は悪くないでしょ? カラダも悪く……いてっ……」
ぺしっと、ピッピの後ろ頭をはたいた。
あの令嬢が、そういう手合いでなかったのは、ピッピも気づいているはずだ。
わかっていて言っているのだから、いよいよタチが悪い。
「DD、か」
「ディディ? なんスか、それ?」
「愛称のようなものだろ」
「ドリエルダだから?」
うむ、と鷹揚にうなずく。
腕組みをして、彼女の姿を思い浮かべた。
必死だったのは確かだ。
ブラッドを引き留めた際のまなざしには、なにか思い詰めたような色が浮かんでいたと記憶している。
「おかしな女だ」
「そっスね」
チラッという視線を感じた。
ピッピが、もの問いたげに、ブラッドを見上げている。
関わる気があるのかどうか知りたいのだろう。
「はなはだ不本意なのだがな」
「オレも、そう思うス」
ドリエルダは諦めないのではないか。
そんな気がしていた。
あんな忍べてもいないナリで、頻繁に街に出ていれば、いずれ厄介事に巻き込まれるに違いない。
もちろんブラッドには関係のない話だ。
さりとて。
「ブラッドに会いに来て攫われたら、後味が悪い。でしょ?」
あえて口に出さずにいたことを言われ、ブラッドは無言で、ピッピの後ろ頭を、もう1度、はたいた。
いてっと声をあげつつ、ピッピは悪びれもせず、にししと笑う。
毎日が退屈なのか、厄介事が好きな奴なのだ。
「願わくは、2度と来てほしくないが……」
「りょーっかい! 来たら、教えるっス!」
「嬉しそうに言うな。はたくぞ」
ちょうど路地を抜け、行きつけの食料品店の前に出る。
今日は、野菜や小麦などを注文する予定だった。
あのカフェに立ち寄らず、まっすぐ店に来れば厄介事の種を拾わずにすんだのにと、自分の行動をブラッドは悔やんでいる。