不機嫌領主と笑顔と愛と 3
しまった、と思ったが、もう遅い。
周囲から、やたらと口笛やら、歓声が聞こえてくる。
ピッピは、ニヤニヤしている。
(お、おのれ……このような公衆の面前で……)
してやられた、ということには気づいていた。
が、手遅れだ。
してしまったことを、しなかったことにはできない。
とはいえ、しかたがなかった。
ドリエルダに「口説いてもいい」と言われたとたん、理性が、ぷちっと。
「行くぞ」
ドリエルダの手を掴んだまま、歩き出す。
背中に感じる彼女の視線が気になったが、振り返る余裕はない。
ともかく、何事もなかったかのように、すたすたと歩いた。
間を与えれば、ドリエルダは「さっきのはなんだったの?」と聞いてくる。
それはもう、間違いなく聞いてくるに決まっている。
絶対に避けなければならない事態だ。
しばし歩いたのち、ブラッドは、ぴたっと足を止める。
くるりと振り向き、ドリエルダに言った。
「ここで待て。動いてはならんぞ。ここにいろ。わかったな」
「わ、わかった」
早口にまくしたてるブラッドに、ドリエルダは短く答え、うなずく。
これも「さっきのは……」との質問をさせないためだ。
内心では冷や汗をかきながら、ブラッドは、道沿いにある店に飛び込む。
すぐに嫌な気分になった。
「これが必要みたいですねえ、旦那」
「うるさい、さっさと寄越せ」
「あ、これ、実費ですんで。ツケとくだけですよ」
「わかっている」
「王族ご用達の品ですから、覚悟しといてくださいね、旦那」
バッと店主から「王族ご用達の品」を奪い取る。
この店の店主も、ブラッドの配下なのだ。
王都には、とくに配属されている者が多い。
もちろん、日頃は、今のような話しかたはしないのだけれども。
ピッピから、すでに情報が伝わっていたのだろう。
ブラッドが率いている機関では、魔術師の伝達系魔術に対抗すべく情報伝達にも力を入れている。
基本は人海戦術だが、いかに早く簡潔明瞭で確実に伝えるか。
そこに重点を置いているのだ。
自らの機関が、如何なく実力を発揮できているのは喜ばしいことかもしれない。
だが、今のブラッドには、恨めしい限りだ。
なぜ自分の周りには、性根の悪い奴しかいないのかと、我が身を嘆く。
奥にある部屋で、ブラッドは「王族ご用達の品」を身につけた。
ちゃんと自分で着替えができるようになっていて良かったと、思う。
しかも、仕事柄、今では着替えも素早いのだ。
鏡に映る自分を、ザッと見てから、店主には挨拶もなしに店を出た。
「行くぞ」
すぐさまドリエルダの手を握り、歩き出す。
今度は、少し速度を緩めた。
ブラッドが「すたすた」歩くと、女の足では引きずられるような格好になる。
服を着替え、落ち着いたこともあり、気を遣う余裕ができていた。
「あの……ブラッド……」
「行くのは、シャートレーの屋敷だ」
「えっと……あの……ブラッド……」
「お前の両親に会いに行くため、服を着替えた」
「そうじゃなくて……」
まずい。
非常にまずい。
絶対に避けなければならない事態が、そこまで迫っている。
「馬車を使うぞ」
道端で、馬車を拾った。
避けなければならない事態を避けられないのなら、せめて2人きりになりたい。
思いつつ、ドリエルダを馬車に乗せ、ブラッドも乗り込んだ。
向き合って座るのが、いたたまれない。
「ブラッド」
「なんだ」
無表情ではあれど、心臓は、ばくばくしている。
腕組みをし、不自然にならない程度に軽く目を伏せた。
「それ、正装よね?」
「それ以外に、なにがある」
「似合ってるけど、そこまで堅苦しくしなくても良かったんじゃない?」
「なにを言う。こういうことは、きちんとせねばいかん」
「そ、そういうもの……?」
うむ、と、ここは鷹揚にうなずいておく。
ブラッドも堅苦しいことは嫌いだが、こればかりはいたしかたがない。
そして、頭の中では、あれこれと考えていた。
実は、数日前、ピッピに言われたことを気にしている。
『初恋こじらせてる男は、これだから面倒くさいっス。超ウザいっス』
(なにが初恋だ。ふざけたことを……俺とて女を恋しく思ったことくらい……)
なかった。
ドリエルダが初めてのようだ。
気づいて、ちょっぴり落ち込む。
自分はピッピの言うように「初恋をこじらせている」のだろうか。
そのせいで、理性が「ぷちっと」いったのかもしれないと情けなくなった。
理性と自制心には自信があったのに。
非常に不本意で、眉間に皺が寄る。
自分のことをなにもさせてもらえなかった王宮を出て、自分のことは自分でするようになっていた。
そのため、自分で自分を御しきれないことは、ブラッドにとって、居心地のいいものではない。
さりとて。
目を開き、ちらっとドリエルダに視線を向けた。
すぐに後悔する。
彼女が、じぃぃぃっと、ブラッドを見つめていたからだ。
「なんだ?」
「さっきは色々と言っちゃったけど、心配しなくて大丈夫よ? 私が必ず説得するから、安心して」
「なにを言うか。これは、俺が成すべきことであろう」
「そうだけど……でも、私だって、たまには、ブラッドの助けっていうか……役に立ちたいっていうか……いつも助けてもらってばっかりだったから」
きゅうっと、胸が「おかしな」具合に締め付けられる。
すぐにでもドリエルダを抱きしめたくなった。
狭い馬車の中で立ち上がり、隣に、すとんと座る。
「DD、お前の両親は、俺が説得してみせる。万事、俺に任せておけ」
「元々、お父さまとは知り合いなんでしょ? それなら断られるとは思えないんだけど、兼業っていうのがね」
「シャートレーの騎士にはなれんからな」
うなずくドリエルダの左手を取り、反対の手で水色の髪をすくった。
その髪に、口づける。
「どの道、早くても3ヶ月先にはなる」
「え? そんなに先? すぐじゃないの? 私は、明日にでも……」
「DD、1度きりの人生なのだぞ。生涯、腰を据えるのだ。しっかりと準備をし、記憶に残るものとせねばならん」
「そうね。あなたが、どこにも行かないって言うなら、そのほうがいいわ」
「むろん、どこにも行かぬさ」
顔を上げ、ドリエルダの頬にも口づけた。
なぜか、ドリエルダが、びっくりしたような顔をする。
照れているのだろう。
以前「練習」をした時も、彼女は、こんなふうだった。
「婚姻の式では、お前に、ツイーディアのブーケを持たせてやる」
「婚、姻……ブーケ……」
「3ヶ月後であれば、おそらく間に合うだろ」
夏にさしかかる少し前だが、ちょうど、その頃から咲き始める花だ。
きっと間に合う。
「……あの、ブラッド……さっきの話……正装……それって……こ、婚姻の話?」
頬を赤くしているドリエルダに、ブラッドは首をかしげた。
ずっとそのつもりで話していたからだ。
「ほかに、なにがある?」
「や、雇い入れの話、かなって……」
「なんだとっ?!」
バッと、体を離す。
どこをどうすれば、そうなるのか「ちっとも」わからなかった。
「俺が、お前を好いていると言ったのを、もう忘れたか?! なんという頭の悪い女だ!」
「あ、あれは、や、雇い入れが嬉しくて……か、感極まるとか、そういう……」
ブラッドは、額を押さえ、天を仰ぐ。
といっても、見えるのは馬車の天井だけだけれども。
「わからなくてもしかたないじゃない! 求婚もされてないのに!」
かなりの衝撃を食らったが、ともかく、それには一理あった。
改めて、ブラッドは、ドリエルダの手を取った。
「お前は、目を離すとなにをしでかすかわからん女だ。ゆえに、妻として、一生、俺の傍に置くと決めた。わかったか、ドリエルダ・シャートレー」
ブラッドなりの「求婚」に対し、ドリエルダは無言。
なぜ返事をしないのか、不安になってくる。
もしかすると「初恋をこじらせて」いて、勘違いし過ぎたのだろうか。
「なぜ返事をせぬのだ」
「ツイーディアの花言葉を知ってる、ブラッド?」
「知らぬはずがなかろう。それより……」
「すべきことをすれば、私の返事がわかるわよ。あなた、頭がいいんでしょ?」
色々と、段取りを間違えてしまったが、しかたがない。
恋をするのも、求婚も、そして、婚姻も初めてのことなのだ。
ブラッドは、ドリエルダの頬を両手でつつむ。
夜会の日、ドリエルダが「破壊力がある」と言っていた笑みを浮かべていたが、ブラッドに自覚はない。
「ツイーディアの花言葉は、幸福な愛と信じあう心だ、DD」
答えてから、今度は想いをこめて、唇を重ねた。




