不機嫌領主と笑顔と愛と 2
「ここんとこ、毎日、来てるみたいだけど、誰か探してんの?」
また、これか。
ドリエルダは、そう思った。
前にもあったことなので、今度は騙されたりはしない。
彼女は、ここ数日、街に来ている。
お忍びではなく、髪も目の色も、そのままだ。
目立ってもかまわない、と思っている。
そのほうが、都合がいいくらいだった。
「知っている人を待っているのよ。だから、あなたに探してもらう必要はないの」
ブラッドに最後に会ってから、ひと月ほどが経っている。
もう会わないほうがいいのだろうか、と考えたこともあった。
けれど、半月前に、タガートから来た手紙により、気持ちが変わったのだ。
ドリエルダは、タガートに、手紙を添え、ネックレスを返していた。
その返事だ。
「あっちに行ってもらえる?」
声をかけてきた男性にそう言って、ぷいっとそっぽを向く。
ドリエルダが会いたいのは、ブラッドなのだ。
ほかの男性に用はない。
頬杖をつきながら、手紙の内容を思い出していた。
指摘されるまで、気づかずにいたことだ。
『気づいていなかったようだが、きみは、ブラッドと話す時、貴族言葉を使っていなかったね。それくらい、彼の前では、自分でいられたのではないかな』
本当に、少しも意識していなかったので、読んだ時には驚いている。
そして、様々な会話を思い返した。
結果、気づくことになったのだ。
指摘された通り、タガートとブラッドとでは、話しかたが違っていた。
ブラッドを平民だと思っていたからではない。
無意識だった。
実際、最初に会った時は、貴族言葉を使っていた気がする。
なのに、どんどん崩れていった。
路地裏で助けられてからだ。
心で自分に語るのと同じように、そのまま口に出すことが増えている。
単純な話だが「い」が抜けたり、「る」が「ん」になったりする、ということ。
たとえば、タガートに「こうしているのではないかしら?」と言うのであれば、ブラッドには「こうしてるんじゃない?」となる。
元々、ドリエルダは平民だ。
だが、シャートレーの養女になってからは貴族言葉で話すよう心掛けている。
両親に恥をかかせたくなくて、悪評をたてられようとも、言葉使いにだけは注力していた。
その上、理性が強く働くこともあり、言葉が崩れるなんてことは滅多にない。
(でも、ブラッド相手だと、感情的になることも多かったのよね)
なぜだか箍が外れる。
そう感じてはいたのだ。
タガートにだけではなく、誰に対しても、ほとんど怒鳴ったことなどない。
ジゼルに対して、数回あったくらいだ。
なのに、ブラッドには、何度も感情を爆発させている。
不安や怒り、弱音まで吐いていた。
『きみも必死になったほうがいい。でなければ、逃げられてしまうよ』
手紙には、そうも書かれていたのだ。
それで思い出したこともある。
(あんな……言いたいことだけ言って、サッといなくなるなんて。あれは、絶対に逃げたんだわ。なによ、勝手に優しくしたり助けたりしておいて、逃げるって!)
ドリエルダは、憤慨している。
だから、こうして街でブラッドを待っているのだ。
文句を言ってやらなければ、気がすまない。
それに、ほかにも言いたいことがある。
「なんか怒ってる?」
「あなた、まだいたの?」
「待ってる相手って、ブラッドだろ?」
「ブラッドは有名だものね。あなたが知っていても不思議ではないわ」
つんっとして、言い放った。
前にも同じ言葉でやられている。
今度こそ「頭の悪い女」と言われないようにするのだ。
思うドリエルダの前に、その男性が座った。
勝手に。
「座ってもいいとは言っていないのだけれど?」
「でも、ブラッドは勝手に座るよなー」
「彼は、そういう人だもの」
「オレも、そういう人なんだ、DD」
瞬間、目をパチッとさせる。
「あなた、本当に、ブラッドの知り合い?」
「同じ屋敷に勤めてたんだよ」
「ブラッドは辞めたと言っていたわよ?」
「オレも一緒に追い出された」
相手が、困ったように肩をすくめた。
ドリエルダの警戒心が、一気に下がっている。
もう騙されたりしない、と思っていたのも忘れていた。
「彼、今どうしているの?」
「宿に泊まってる。オレもだけど、同じ部屋じゃないぜ?」
「もちろん、そうでしょうね」
「まぁ、それも、近々、追い出されそうなんだよなー」
ふう…と、本当に困ったように溜め息をつかれて、ドリエルダは戸惑う。
目の前の相手が追い出されるということは、ブラッドも宿を追い出されるということではなかろうか。
「どうして? 宿賃を払っていないの?」
「宿代より高いもんがあるんだよ」
「どういうこと?」
「男女の密会で使う宿ってのはさ、信用が必要なの。そこに、同じ奴らがずーっと泊まってたら、どうなると思う?」
ドリエルダは、そういうことか、と思った。
確かに、信用というのは、宿賃より高くつくかもしれない。
「顔を覚えられるかもしれないと不安になるわね」
「そうなんだよ。だから、そろそろ出てけって言われるんじゃないかなー」
その言葉に、そわそわし始める。
警戒心など、どこかに吹っ飛んでいた。
宿を追い出されたら、ブラッドは、どこに行くかわからない。
王都を離れてしまう可能性もある。
「それで、なんだけど、DD」
急に体を乗り出してきた相手に、うっかりドリエルダも身を乗り出した。
内緒話でもするかのように。
「DDは、シャートレーの令嬢だろ? だったらさ……」
こそこそっと囁かれ、思わず耳をすませる。
その時だ、ぐいっと体が後ろに引っ張られた。
びっくりして振り向く。
「ブラッドっ?!」
「なにをしている」
「なにって……」
ちょうどブラッドを待っていたところだ。
言うつもりだったのだが、その前に、向かいの男性が口を開いた。
「オレが、DDを口説いてたとこっスよ」
「なんだと?」
「ブラッドが口説かないから、オレが口説こうと思ったんス」
ブラッドのほうが年上だからなのか、一応、少しばかり丁寧な口調で、男性は話をしている。
「DDなら、いいかなって。うんって、うなずいてくれそうかなって」
おそらく、男性は「雇い入れ」の話をしようとしていたのだろう。
2人は、勤め先を追い出されたばかりだ。
そして、近々、宿も追われる身となっている。
仕事があるからといって家があるとは限らない。
ブラッドは国の仕事をしていたが、屋敷勤めもしていた。
つまり「家持ち」ではないのだ。
屋敷勤めであれば、衣食住は保証される。
そこを追い出されて、さぞかし2人は困っているに違いない。
けれど。
「なんで、そんな大事なこと、ブラッドは、私に言わないのっ?」
「な……なにを、なにを言うか……」
「この人が、私を口説こうとするのもしかたないわよ! だって、あなたは、私に言わないんだから! なによ、そんなに恥ずかしかった?!」
肩に置かれていたブラッドの手を、はたき落として立ち上がった。
それほど困っているというのに、ブラッドが、なにも言わず「逃げた」ことに、ドリエルダは怒っている。
めずらしく驚いているようで、ブラッドは間の抜けた顔をしていた。
それが、よけいに腹が立つ。
「いつもは偉そうにしてるくせに、意気地がないのね! そんな簡単なことも言えないなんて……この、おたんこなすびっ!!」
きっと、ブラッドは自分に頼るのが恥ずかしかったのだ。
最初に、ドリエルダが雇うと言った時、即答で断ったということもある。
今さら「雇ってほしい」と言えなかったに違いないのだ。
と、ドリエルダは思っている。
「俺が、おたんこなすびだと?」
「そうよ!」
「俺が、お前を口説いてもかまわんと言うか?」
「そうよ!」
ブラッドが言うのなら、シャートレーの屋敷で「2人」を雇い入れてもいい。
どういう勤めかたになるかはともかく、ブラッドは料理上手らしいし。
「俺は、おたんこなすびではない」
「だったら、ちゃんと言えば?」
ブラッドに、がしっと、腕を掴まれた。
へ?と思う間もない。
腰にも腕を回され、ぐいっと抱き寄せられる。
「俺は、お前を好いている、DD」
は?と思った瞬間。
ブラッドとドリエルダの唇が、重なって、いた。




