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不機嫌領主と笑顔と愛と 1

 タガートは、非常に複雑な気持ちになっている。

 目の前の書類を見つめ、どうすべきかを考えていた。

 思うところは様々あるが、なかなか決断を(くだ)せずにいる。

 

 小狭く、ほとんど何もないと言ってもいい部屋だった。

 あるのは、木製の机とイスだけだからだ。

 壁や床は石造りで、窓はない。

 地下でもないのに、地下にいるような印象がある。

 

「ブレインバークに責を取らせることもできるのだぞ」

 

 言われていることの意味は、わかっていた。

 ハーフォークは、ベルゼンドの下位貴族だが、ベルゼンドは、そもそもブレインバークの下位貴族だ。

 最も上にいるブレインバークの管理不行き届きとすることはできるだろう。

 だが、タガートは、首を横に振った。

 

「ハーフォークは、ベルゼンドの下位貴族だ。ベルゼンドが、しっかり管理できていれば、このようなことにはならずにすんだと思っている」

「そうか」

 

 そっけない口調が彼らしい、と思う。

 向かい側には、ブラッドが座っていた。

 ブラッドは「国の機関」で働いているのだそうだ。

 貴族屋敷の勤め人だと思っていたと言ったタガートに、彼は、たいしたことでもなさそうに「兼業」だと答えている。

 

 薄茶色の巻毛に、赤茶色の瞳が、なんだか懐かしい気がした。

 実際には、ハーフォーク伯爵の捕縛から、ふた月も経っていない。

 あの赤茶色をした、ぐしゃぐしゃ髪の男も壁際に立っている。

 焦げ茶色の大きな瞳で、タガートのほうを、じっと見ていた。

 

 サインするのか、しないのか。

 

 それを問うている瞳だ。

 ブラッドには()かすつもりがないのだろう。

 淡々とした会話が続いている。

 

「金は取っておけば良かったのではないか?」

「後ろ暗いところがあると、やりたいこともやれなくなるのでね」

「十年も遡って税をおさめるとは、律儀なことだ」

「元々、納めておくべき税だった」

 

 ハーフォークが不正に貯めこんでいた金は、すべて回収されていた。

 ブラッドの言うように、返納する必要はなかったのかもしれない。

 すでに納税期は過ぎている。

 知らん顔をして、そのまま受け取ることもできた。

 

「だが、ないより、あったほうが、今後の役に立っただろ? ハーフォークがなくなるとなれば、なにかと物入りになる」

「それはそうだが、1度でも楽をすると、引き返せなくなる気がして怖いのさ」

「確かにな」

 

 労せずして手にしたものは、その重みがわからない。

 そのため、気楽に使ってしまえるのだ。

 もとより税により生活を賄っている貴族には、そういう下地がある。

 あっという間に浪費癖がつくと、知っていた。

 

 その結果が父であり、悪くすればハーフォーク伯爵となる。

 自分が、彼らのようになるとは考えたくなかったが、タガートも貴族なのだ。

 可能性の芽を育てたくはなかった。

 

 タガートは、領民との信頼関係を築くために努力をしてきている。

 とはいえ、自らで働くのも嫌いではないと感じていた。

 領民たちと一緒に、毛刈りをしたり、乳搾りをしたりするのは、領民のためだけではなく、自分のためでもある。

 

「しかし、ブレインバーク以前に、私の責はどうなっている?」

「罰せられないのが不満か?」

「ハーフォークに好き勝手を許してしまったのは、私だからね」

「十年以上前から続いていたことだ。14の子に、なにができたという?」

 

 タガートの代わりと言うべきか、正しい裁定とすべきかはともかく、罰せられたのは、父だった。

 タガートの父は、半ば強制的に当主の座を降ろされている。

 起きていた事態を考えれば、緩い処罰だと言えた。

 

 なにしろ、ハーフォーク伯爵家は、この十年に渡り、何十人もの命を奪ってきたのだから。

 

 ブラッドに渡された調査後の書類を見て、愕然となったほどの数だ。

 加えて、人身売買も行っていたらしい。

 タガートに報告はされていなかったが、領民に無茶な貸しつけもしていた。

 そのせいで、ハーフォーク領の者たちは、口を閉ざさざるを得なかったのだ。

 

「お前の責は、これから取るべきだ」

「そのつもりでいる」

「つもりではいかんだろ」

「そうするよ、ブラッド。必ず」

 

 タガートは答えてから、書類に視線を落とす。

 いくつかの選択肢が用意されていた。

 

「議会では、極刑との裁定だったと聞いている」

 

 王宮の重臣であるブレインバーク公爵から、そのように聞いたのだ。

 極刑とは、死罪を意味する。

 書類には、4人の名が記載されていた。

 

 ハーフォーク伯爵、ジゼル、ムーア、ムーアの妻のメイド長。

 

 だが、王宮で裁定が下されたのは、もっと大勢だった。

 それも、ブレインバーク公爵から聞いている。

 ドリエルダはシャートレーの公爵令嬢だ。

 その令嬢を(さら)ったあげく売り飛ばそうとしていたのだから、関わった者が軽い刑ですまされるはずがない。

 そんなことになれば、シャートレーが黙ってはいないだろう。

 

 シャートレーは、公爵家の中でも、現状、高位に属している。

 ブレインバークの下位貴族のために、シャートレーを敵に回す重臣はいない。

 もちろん、ブレインバークも含めて。

 

「この4人は主犯なのでな。ほかの奴らとは扱いを変えねばならん」

 

 表面上は、王宮の出した「極刑」となったことになる。

 だが、実際に、どうするかを、タガートは選ぶことができるのだ。

 

(彼は、通達役の下っ端だと言っていたが、おそらく違うのだろうな)

 

 ブラッドは、自らの立場を、そんなふうに言っていた。

 どういった「国の機関」なのか、タガートは知らされていない。

 だが、間違いなく大きな組織だ。

 裏でとはいえ、王宮の出した裁定をも覆せることから、その力の大きさを察することができる。

 

 ブラッドは、その機関の上層部の者なのではなかろうか。

 もしかすると、彼の上に、上はいないのかもしれないとさえ思える。

 

 けれど、そこは追求してはならないところだ。

 そのくらいは、タガートもわきまえている。

 

「最後まで、お前が仕組んだとほざいていたようだ」

「彼らは、そのために領民を犠牲にしている。私に罪を着せようと必死だ」

 

 ドリエルダが消息不明になっていたら、ハーフォークの思惑通りになっていた。

 タガートは、絶対にジゼルと婚姻はしなかったと断言できるからだ。

 たとえ、ドリエルダとうまくいかなかったとしても、ジゼルを選ぶことはない。

 

「ひとつ訊いてもいいか?」

「ああ、それは、最終的には殺す、という意味だ」

「最終的に……」

 

 選択肢には、国外追放、労役、公開処罰、死刑などがある。

 その中にあった「処刑」の意味がわからなかったのだ。

 死刑とは別に記載されていたため、異なる意味があるとは思ったのだけれども。

 

「どっちでもかまわないスけど、殺したほうがいいっスよ」

「これは、ベルゼンドが決めることだ。口を挟んではならん」

「でも、ああいう奴らは生かしとくと、(ろく)なことしないっス」

「やめろと言っているだろ」

 

 くしゃくしゃ髪の男が、不貞腐れたように、そっぽを向く。

 ブラッドは止めたが、タガートは、くしゃくしゃ髪の男の言うことも、もっともだと思っていた。

 

 国外追放にしても、労役にしても、緩い罰とは言えない。

 いっそ死んだほうが良かったと思うほどの苦痛が待っている。

 だが、彼らは根っからの悪党であり、悪知恵が働くと知っていた。

 どこにいても生きている限り、悪事を行おうとするに違いない。

 そのためなら、どんなことでもする。

 

「公開処罰はやめておこう。確かに、最大の被害者は領民だが、奴らのために手を汚させるのは気が進まない」

 

 とはいえ、だ。

 処刑は、想像することもできないような「なにか」が行われるのだろう。

 最終的に殺すということは、死までの道のりが長いということになる。

 死刑のような、一瞬の死ではない。

 

 タガートは、目を伏せた。

 なぜ、この項目が入っているのかを考える。

 王宮でも極刑が言い渡されているのだ。

 選択肢にわざわざ「処刑」を入れなくても、死刑だけで事足りる。

 

 報復、ということではない。

 もちろん、殺された領民に対して自責の念や、ハーフォークの4人に対する怒りや憎しみはある。

 来年は、ともに羊の毛刈りはできないのだ。

 けれど、そうした恨みを晴らすための報復や復讐との意味ではないと感じた。

 

 タガートは、目を開く。

 そして「処刑」に印をつけてから、サインをした。

 

「良いのだな」

「私が背負うべきものだ」

「そうか」

 

 ブラッドが書類を机から取り上げ、くしゃくしゃ髪の男に渡す。

 なにが行われるにせよ、残酷な結果となるに違いない。

 それでも、時には「戒め」が必要なのだ。

 誰に明かされることがなくても、タガートだけは知っている。

 

(それが嫌なら、同じことを繰り返さないようにする。それが私の今後の責だ)

 

 思って、立ち上がった。

 そのタガートに、くしゃくしゃ髪の男が言った。

 

「その人、あれからほとんど会ってないんスよ」

「ピッピ!!」

 

 くしゃくしゃ髪の男は、ピッピというらしい。

 タガートは、小さく笑って、ブラッドに言う。

 

「今のきみは、必死さが足りていないようだな」


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