無しかつけられない女 4
ブラッドは、手を伸ばす。
ドリエルダの肩口から流れ落ちている髪に、そっとふれた。
すくいとるようにした髪を、少し眺めてから、手を離す。
「とりあえず、座れ」
言葉に、ドリエルダが、すとんとソファに腰を落とした。
じっと見つめてくるまなざしから、逃げたくなる。
だから、本当には、会わずにいたかったのだ。
次に会えば、様々なことを話さなければならなくなるとわかっていた。
ドリエルダは、とても無防備に、ブラッドの懐に飛び込んで来る。
そういう女なのだ。
そして、ブラッドは、ドリエルダの真摯なまなざしから逃げられない。
ブラッドも、嘘をつくことを苦手としている。
ドリエルダに対する忠告も、自らの経験から得ていた。
嘘をつかず、言いたいことだけを言う。
周りが、それをどう受け止めるかは、相手の勝手。
あれこれ嘘を考え、ついた嘘を覚えておくより、ずっと簡単な手法だ。
とはいえ、ドリエルダが相手では、それもできない。
好きに考えろと、突き放すのは無理だとわかっている。
「まず、俺は魔術師ではない。魔力は持っておらん。だが、お前の父が、騎士団を持つように、俺にも配下がいる。王族として動くと、貴族どもがうるさいからな。民として動くほうが都合が良かったのだ」
「王族は政に関わらないって話と同じ?」
うむ、とブラッドは鷹揚にうなずいた。
ここからは慎重に、注意深く話す必要がある。
ドリエルダの夢の話にも関わってくるからだ。
「あの日、バージルが、俺のところに来た。お前が丸1日、屋敷に戻っておらんと言いにな。お前のことだ、新しい夢を見たと察した」
「さすが、頭がいいわね」
「そうだ。俺は、頭がいいのだ。ゆえに、あれこれと情報を配下の者に集めさせ、お前が売り飛ばされるだろうと予測を立てた」
ドリエルダが、目を見開いている。
ブラッドにすれば、それほど驚くことでもないのだが、それはともかく。
「あのジゼルという女の資質を見極めたに過ぎん。あの女は、お前を殺すよりも、酷い目に合わせようとするはずだ。女に限ったことではないが、死ぬよりも酷い目とはなんだ? たいがい予測はつこう?」
「……まぁ、そうね……直接的な暴力で、体を痛めつけられるより……酷いわ」
ドリエルダが、その時のことを思い出したのか、両腕で体を抱き締めていた。
震える体を抱き締めてやりたかったが、やめておく。
彼女から抱き着いてきたのなら抱き締め返すこともできた。
だが、今夜、ドリエルダは、ブラッドに抱き着いては来なかったのだ。
胸の奥が、ちくりと痛む。
嫌なことを思い出した。
『フラれるのが怖いのだろう、ブラッド』
『叔父上、ビビってんの?』
『ヘタレ』
最後のひとつが、最も効いた。
さすがは兄だ。
無自覚に、急所を突いてくる。
気づきたくなかったので、わざと気づかずにいようとしていたのに。
なにも総がかりで、現実をつきつけてこなくてもいいはずだ。
おかげで「逃げ場」を失ってしまった。
だが、ブラッドにもブラッドなりの考えがある。
できることと、できないことがあるのだ。
「お前は、俺が助けたと思っているようだが、それは違うぞ」
「でも、助けてくれたじゃない」
「俺は、お前しか助けられなかったのだ」
ドリエルダが、ハッとした顔をする。
そして、悲しげにうつむいた。
言わずにいようと思っていたことを口にする。
「死ぬべき者は死ぬ。おそらく避けられはしない」
「領民の人たちね……」
「お前の実父もだ。お前が見過ごしにしようとすまいと、命を落としていた」
ドリエルダは死ぬはずではなかったのだろう。
だから、助けられたに過ぎない。
領民2人と野盗、それに護衛騎士は死んでいる。
たとえ、進むはずの道をわずかにずらせたところで、終着点は変わらないのだ。
「私も……それは感じてたわ。むしろ、私が動いたせいで……悪い影響が出てたんじゃないかって……人助けなんて、おこがましいにもほどがあるわよね……誰も、助けてなんかいなかったのに」
ドリエルダが顔を上げた。
少し苦笑いを浮かべ、軽く肩をすくめる。
空元気としか思えない仕草だった。
「タガートのことも傷つけただけだったわ。せっかく、あなたに協力してもらったのに、うまくいかなかった。こんなことなら……あの夢の通り、夜会に乗り込んで彼に詰め寄って……婚約を解消されてれば、良かった。そうすれば……そのあとのことは起きなかったかもしれない」
その可能性は、ゼロではない。
ブラッドは、それを知っている。
タガートは、ドリエルダとやり直そうとした。
ドリエルダもタガートを許し、うまくいきかけていたのだ。
そのため、ハーフォーク側は、事を急くしかなくなった。
不正の証拠を隠滅する目的で、ジゼルが攫われるという筋書きは作られている。
ハーフォーク伯爵は「大事な娘」のためなら身代金をいくらでも支払う、と。
その身代金を持って、帳尻を合わせるつもりだったのだ。
もちろん、金は、どこかに隠すつもりだったには違いない。
護衛騎士3人も共謀していたのだから「犯人」は見つけたものの、金は見つからなかったと言えばすむ。
そして、犯人は「ベルゼンド直轄領の領民」だ。
「……あのことのせいで、タガートは犯罪者にされちゃうところだったのよ……」
ブラッドの集めた情報の中、犯人役とされた2人が、なぜ危険を冒し、加担したかも、わかっていた。
彼らの父親の代、あの辺りは、まだハーフォーク領だったのだ。
そして、彼らの父親は、伯爵に多額の借金をしていた。
長らく督促されていなかったようだが、ここにきて、いきなり返せと言われたのだろう。
しかし、返せるアテなどあるはずがない。
そこに野盗の登場だ。
ジゼルを攫い、金を巻き上げる計画を2人に持ちかけたというところ。
その野盗も唆されていたのだろうが、つまり、3人にとって「人攫い」は本気だった。
ハーフォーク伯爵が裏で動いていたとも知らず、操られている。
彼らは、犯人役としては都合が良過ぎたのだ。
なにしろ、現状は、ベルゼンド直轄領の領民となっている。
殺してしまえば、ハーフォークに都合の悪い話もされない。
あれこれと口実をつければ、タガートに罪を押しつけるのは簡単だった。
彼らとの信頼関係が、逆に、タガートを窮地に追いやっていたはずだ。
「だが、そうはなっておらんだろ。お前が動いた結果、死人は出たかもしれんが、悪事が明るみに出たことも確かだ」
「それって、どっちが正しいの? 人の命と引き換えにしても、暴く必要のあった悪事だって言える?」
「言える」
すっぱりと、ブラッドは断言する。
ドリエルダは軽率に動いたかもしれない。
けれど、結果は正しい方向に進んだと思っている。
「ハーフォークを放置していれば、より大勢の犠牲が出ていた。あのジゼルという女と奴が婚姻していたとしても、いずれ、奴は罪をかぶせられることになっていただろうよ」
「……本当に、そう思う?」
「むろんだ。俺は、頭がいいのだぞ」
ドリエルダが、泣きたそうな顔で、少しだけ笑った。
ブラッドは、テーブルに手を伸ばし、小箱の蓋を閉じる。
そして、それをドリエルダのほうに押し返した。
「というわけで、これは返さずともよい」
「どうして?」
「俺は、国の機関で働いている。今回のことで、お前は国の役に立ったのだ。褒美と思っておけ」
「役に立てたとは思えないんだけど……」
「お前が、どう思おうと関係ない。俺を信じよ」
言って、ブラッドは立ち上がる。
つられたように、ドリエルダも立ち上がっていた。
やはり、抱き着いては来ない。
そのことに、ちょっぴりがっかりしている自分を情けなく感じる。
(ビビっているとでも、ヘタレとでも、好きに言うがいい。これは、俺のものではないのだ。まだ……奴を想っているところに、つけこめるはずがあるか)
離れがたさを感じつつも、バルコニーへと向かった。
ドリエルダが、後ろからついてくる。
「あまり無茶をするなよ、DD。お前は、無しかつけられん女だからな」
「無意味で無謀なことばかりするってことでしょ?」
自嘲するドリエルダの言葉の響きに、ぴたっと、足を止めた。
振り向いて、ドリエルダを見つめる。
「無邪気で、無防備で、無自覚……そして、お前は……」
ブラッドは、ドリエルダの顎を掴み、顔を寄せた。
頬に軽く唇を滑らせてから、耳元で言う。
「無垢だ」
およそ無しかつけられない女。
だからこそ、見ていられなくなる。
放っておけなくなる。
目が離せなくて、否応なく、気づけば惹かれていた。
スッと体を離し、ブラッドは、バルコニーから外に飛び降りる。
あとはもう、振り返らずに走り去った。




