無しかつけられない女 3
あれから、ひと月以上が経ち、新しい年を迎えていた。
少しだが、気持ちが落ち着いてきている。
現実になる夢も見ていない。
ドリエルダは、自室にいる。
そろそろ眠る時間だ。
だが、まだベッドには入らずにいる。
最近は、ずっとこんな調子だった。
「こういうのって、ズルいわよね」
わかっているのだが、自分からは動けずにいる。
あまり期待はしていないのだけれども。
ドリエルダは、待っていた。
月の光が射すのを、ほんの少しだけ期待している。
とはいえ、すでに半月は経っていた。
いいかげんにしなければ、と思い始めている。
こんなことを続けていても、解決にはならないのだろう。
「鍵は閉めておけと言ったはずだぞ、DD」
声に、ハッとなった。
バルコニーの戸が開かれている。
そこには、ブラッドの姿があった。
夜なのに、きらきらと金色の髪が光っている。
パッと立ち上がり、駆け寄った。
抱き着きたくなったが、やめておく。
よく考えてみれば、不自然な態度なのだ。
よく考えてみなくても、本当は、わかるはずだった。
ブラッドとは、そういう関係ではない。
協力者ではあったし、命を助けてもらいはしたが、特別な仲とは言えないのだ。
親密な間柄でもないのに、ちょくちょく抱き着くのはおかしい。
以前は、不安もあったので、つい抱き着いてしまった。
けれど、不安も危険も、今はないと感じている。
「不用心だと言ったのを、もう忘れたのか」
「信じられないほど、頭の悪い女だから、しかたないでしょ」
ブラッドは、戸を閉めてから、あたり前のように室内に入ってきた。
勝手に、ソファに座る。
ドリエルダも、向かい側に座った。
腕組みをしているブラッドは、相変わらず無表情だ。
それでも、怒ってはいないとわかるのが、不思議だった。
「それで? 今度は、どのような夢を見たのだ?」
「あ……」
ブラッドは、ドリエルダが新しい夢を見たため、呼ばれたと勘違いをしている。
彼女は、ここ半月ばかり、バルコニーに布を巻きつけていたのだ。
それに気づいて、ブラッドが来てくれるのを期待していた。
会いたいのであれば、ドリエルダが街に通えばいい。
わかっていて、こういう手段を取っている。
だから「ズルい」のだ。
自分からは動かず、ブラッド任せにしたのだから。
「もうなにか手は打ったのか?」
「そうじゃなくて……夢は見てないの」
「見ていない? ならば、なぜ、俺を呼んだ?」
ドリエルダは、ソファから立ち上がる。
小箱を取り出し、それを手にソファに戻った。
テーブルの上に、小箱を置く。
「これを返そうと思って」
蓋を開いて、中を見せた。
夜会で、ブラッドにつけてもらったネックレスとイヤリングが入っている。
とたん、ブラッドが、ムッとした顔になった。
大きな変化ではなくとも、不機嫌になったのがわかる。
「これは、返さずともよいと言っただろ」
「でも、高価なものでしょ? だから、簡単にはもらえない」
「なぜだ? 高価だからというだけか?」
ドリエルダは、少し躊躇った。
ブラッドには、ブラッドなりの考えがある。
そこに踏み込めば、また痛い目を見るのではないか。
タガートと折り合いがつけられなかったとの経験をしたばかりだ。
踏み込まず「高価だから」との理由で押しきろうかと思った。
(でも、それじゃ、やっぱり、なんにも解決しない)
ドリエルダは、ブラッドを見つめる。
もう「お忍び」は必要ないと判断したのだろう。
金色の髪に、翡翠色の瞳。
これまで見てきた色とは違うのに、ブラッドの色だ、と思った。
12歳で、ハーフォークから逃げ出したドリエルダの頭に浮かんだ色でもある。
彼女自身に自覚があるわけではない。
だけれども。
ドリエルダは、あの時すでに、選んでいた。
ベルゼンドの屋敷に行くこともできたのに、そうはしていない。
連れ戻されるに「決まっている」と、なぜか、そう感じていた。
そして、ぼろぼろの姿でも受け入れてもらえると信じ、街に行ったのだ。
そこには、金色の髪を持つ「彼」がいたから。
「あなたは誰なの、ブラッド? 私は、あなたのことを、なにも知らない。だから嫌なのよ。知らない人から物をもらうわけにはいかないわ。だって、あなた、今はパン屋さんじゃないもの」
あの日、ブラッドは、ドリエルダにパンを食べさせてくれた。
彼女は、泣きながら、それを食べたことを覚えている。
ひたすら嬉しかったのだ。
その相手が、目の前にいる。
どういう人物だか知りたくなるのは当然だった。
しかも、ブラッドは、どう考えても、ただの勤め人ではない。
「ブラッドというのは、本当の名なの?」
「これは……愛称だ」
「なら、正式名は?」
いよいよ、ブラッドが嫌な顔をする。
不機嫌さが増しているのは、感じていた。
答える必要はないと、弾き返されることも覚悟はしている。
ブラッドには、ドリエルダの問いに答える義務はないのだ。
「……ブレイディード・ガルベリーだ」
「が……ガル……ガル、ル……」
「そのような、獣の鳴き声を真似た声を出すな」
「だって……それじゃ、ブラッドは……王族……?」
むううっと、ブラッドは顔をしかめる。
王族と扱われるのが不本意らしい。
とはいえ、彼は「ガルベリー」なのだ。
間違いなく王族だった。
「生まれを選ぶことはできんからな。しかたなかろう」
「まぁ……そうだけど。でも、なんで王族が貴族屋敷の勤め人なんてしてるの?」
「王宮暮らしは、俺の性に合わんのだ。勤め人をしているほうが気楽でいいということに過ぎん」
確かに、ブラッドは、王宮で大人しくしている人には思えない。
そういえば、新年の「お手振り」行事でも見たことがなかった。
だから、気づかなかったのだ。
おそらく公務にも参加せずにいたのだろう。
「それで? 今は、どこの屋敷に勤めてるの?」
「…………もう勤めも辞めた」
「え? 王宮に戻ることになったから?」
「違う。王宮に戻る気はない。ただ……追い出されただけだ」
「追い出された? あなた、なにをやったの? 主を殴ったりしてないわよね?」
ブラッドは、いつも冷静だし、飄々としている。
とはいえ、無表情の裏に感情が垣間見えるのだ。
なにか気に食わないことがあれば、実力行使していてもおかしくない気がする。
路地裏では、男2人を簡単に、のしてしまったし。
が、すぐに考えを変えた。
ドリエルダは、ブラッドのほうに身を乗り出す。
「私のことが原因なのね? 私を助けに来た時、仕事をサボってたんじゃない? それで馘首になったの?」
「お前という奴は……俺が、どのような男だと思っているのだ」
「知らないわよ! だから、聞いてるんじゃない!」
わかっているのは、ブラッドが「優しい」ということ。
そして、信じられる人だということだ。
子供の頃に2度、大人になってからも2度、彼女はブラッドに助けられている。
どちらも「無償の善意」だった。
見返りを要求されたことはない。
今夜もドリエルダが呼ばなければ、ブラッドが姿を現すことはなかったはずだ。
「どうして、私の居場所がわかったの? 誰にも言ってなかったのに」
ブラッドは、デルシャン方面に向かう馬車を追いかけて来ている。
まるで、どこに向かうかを事前に知っていたかのような動きだ。
でなければ、間に合うはずがない。
父とて、自分を必死で探していたはずだが、見つけられずにいたのだ。
シャートレーの騎士総出で捜索していたというのに。
「ブラッド、あなたが王族でも、魔術師でも、簡単じゃなかったはずよ? ねえ、教えて。あなたは、誰なの? あなたが、どういう人か、私は知りたい」
ブラッドが「サボり」で解雇になったというのなら、話は終わり。
本当のことを話す気はない、ということだから。
ドリエルダは、身を乗り出したまま、ブラッドの瞳を見つめる。
翡翠色の瞳の中で、ドリエルダの水色の髪が揺れていた。




