無しかつけられない女 1
ドリエルダが、シャートレーの屋敷で目を覚ましてから3日。
今は、謹慎中の身となっている。
そのため、屋敷の外には出ていない。
目覚めてすぐに見えたのは、母の顔だ。
泣き腫らした目に、ものすごく罪悪感をいだいた。
連絡を受けて帰って来た父も、疲れた顔をしており、ドリエルダは謝っている。
きっと2人は、ドリエルダが目覚めるまで眠れずにいた。
両親は、彼女の無事を喜んでくれたが、父から「謹慎」を言い渡されたのだ。
とはいえ、それも、ドリエルダの体と心を心配してのことだとわかっている。
ドリエルダ自身、深い後悔と反省があった。
お咎めなしでは、逆に落ち込んだに違いない。
それ以降、屋敷の中で過ごしている。
両親と一緒にいることも増えていた。
元々、仲は良かったが、この2人に引き取られた幸運を、しみじみ感じている。
あのあと、なにがどうなったのか。
ドリエルダは、詳しくは知らされていない。
彼女も訊けずにいる。
父が話さないのは、話せないか、話さないほうがいいと判断しているからだ。
わかっていたので、あらましを聞いただけですませていた。
ジゼルも含め、領地での不正や犯罪に加担した者は、極刑になるらしい。
そして、ハーフォーク伯爵家は、家名を失うだけではなく、爵位自体を取り上げられるという。
つまり、ハーフォーク伯爵家などという伯爵家は、そもそも存在していなかったことなるのだ。
(伯爵領は、ベルゼンドの直轄になるか、下位貴族のどこかに移譲されるっていう話だったけど……)
タガートは、どの道、領地改革をするつもりでいた。
もしかすると、これをきっかけに、ベルゼンドでは領地配分の大掛かりな見直しが成されるかもしれない。
それは悪いことではないのだろう。
だが、ドリエルダにとっては、心の重い話だ。
なにしろ、原因を作ったのは自分なのだから。
(……ベルゼンドの領民2人とハーフォークの護衛騎士1人……私が知ってるだけでも、3人は殺されてる……野盗の男も死んでるかも……)
死人を出したくなくて動いたが、結局は、人死にが出ている。
自分が動いていなければ、結果は違ったのではないか。
そう思わずにいられない。
自分の行動が単に無駄になるだけならまだしも、悪影響を及ぼしていたのなら、これほど恐ろしいことはなかった。
今までも、そうだったのだとしたら。
夢の出来事を回避すれば良い方向に進むと思っていたのが、愚かだったのだ。
今まで、そのあとどうなるかを、ドリエルダは考えたことがない。
悪いことが起きると知っていて見過ごしにはできないと、闇雲に動いていただけだった。
溜め息をついた時、扉が叩かれる音がする。
返事をすると、執事が姿を見せた。
「ベルゼンド侯爵家のタガート様が、お見えです。奥様からは、ドリエルダ様に、お任せすると、お聞きしております」
「そう……」
しばし考える。
謹慎の身で、人と会ってもかまわないのかと思ったが、母は任せると言ってくれているのだ。
おかしな言いかたかもしれないが「この際」会っておくべきだと結論する。
「客室に、お通ししてくれる?」
「かしこまりました」
執事が頭を下げ、扉を閉めた。
やはり、どうにも気が重くなる。
どういう顔をして会えばいいのか、わからなかった。
だが、引き延ばしても、いずれは会う必要があるのだ。
おそらくタガートも、重い気持ちを引きずっている。
ドリエルダに会わせてもらえないこともあると承知の上で、会いに来てくれた。
それを思えば、会わずにすませるのは失礼だ。
彼女のほうから、タガートを訪ねるのも、当分は無理だろうし。
「ちゃんと話さなきゃね……」
どれほど気が重くても、話す必要はある。
あの出来事を、なかったことにはできない。
ドリエルダは部屋から出て、客室に向かった。
大きく深呼吸する。
吐いた息が、溜め息のように聞こえた。
それから、扉を開く。
婚約解消後、ドリエルダを訪ねてくれた日のように、タガートは立って、待っていてくれた。
だが、向けられた表情に「待ち焦がれた」という雰囲気はない。
少し困ったように、微笑んでいるだけだ。
「お待たせして、ごめんなさい」
「私のほうこそ、突然、来てしまって、すまない」
ドリエルダも、小さく微笑み返す。
タガートは、これも、あの日と同じく、イスを引いてくれた。
腰かけて、タガートが正面に座るのを待つ。
あんなことがあったので、しかたがないのだろうが、色々と変わってしまった。
タガートを前にしても、以前のように胸が弾まないだとか。
「私の問題に、きみを巻き込んでしまって、本当に悪かったと思っている」
「それは……私が、あなたに夢の話をしてしまったせいよ。黙っていれば、何事も起きなかったかもしれないわ」
「どうかな。遅かれ早かれ、起きていたのではないかと思うよ」
タガートが、ドリエルダから視線を外す。
結果は変わらなかったと、彼は思っているらしい。
その理由が、ドリエルダはわからずにいた。
タガートは、小さく溜め息をついてから、視線を戻す。
「私とジゼルが、婚姻する必要があったからね。少なくとも、彼らは、そう考えていたはずだ」
言われて、そうか、と思った。
けれど、口には出さない。
タガートがジゼルとの婚姻を望んでいなかったと、ドリエルダは誰よりも知っていなければならないはずだったのだ。
タガートは、ジゼルではなくドリエルダを選んでいる。
婚約の解消を考えてはいなかったと、彼は言っていた。
なにより、タガートが「妻の実家に無心したくない」と、どんな気持ちで言ったのかを、彼女はわかっていなければならなかったのだ。
(こだわりを持っていると覚えておくなんて言っておいて……)
夢の話を理由に決断を後回しにしていたが、あの時にはもう、タガートとの婚姻は、ドリエルダにとって、現実的なものではなくなっていた。
そのことに、気づいている。
きっと、タガートも気づいているはずだ。
「私は、きみの手を2度も離してしまった」
タガートは、とても寂しそうに言う。
ドリエルダも、とても寂しかった。
「1度目は、きみに、やり直す機会を与えてもらった……だが、2度目をくれとは言わないよ。私から、きみの手を離してしまったのだからね」
1度目は、夜会に来るなと言われた日だ。
そして、2度目は、夢の話をしにきた日だった。
ベルゼンドの領民が犯人だと言うドリエルダの手を、タガートは離している。
『DD、私もきみも、正しいと思うことをしている。それだけのことなのだよ』
そう言って微笑んだタガートに、泣きたくなったのを覚えていた。
折り合いをつけられたとしながらも、お互い折り合いがついていないとわかっていたからだ。
タガートの青い瞳を見つめる。
以前の自分たちを、とても遠くに感じた。
『空と海はね、繋がっているのよ』
過去に、ドリエルダは、タガートに、そう言っている。
彼女の髪を、彼は空の色に例えていて、それに対して返した言葉だ。
あの頃は、確かに繋がっていると信じられた。
けれど、空と海は繋がっていない。
水平線という、けして消えることのない線が引かれている。
ぴったりとくっついているようでいて、果てしなく離れているのだ。
空は海に映るだけ。
海は空を映すだけ。
繋がることも、交わることもない。
どちらが悪いわけでもないのだろう。
おそらく、なにをしても「結果」は変わらなかった。
タガートから「婚約を見直す」と言われる夢を見た日から、こうなると決まっていた気がする。
だからこそ、こんなにも寂しいのだ。
「あなたは、いい領主になるわ」
ドリエルダの言葉に、タガートが小さくうなずく。
テーブルを挟んでいるだけなのに、手を伸ばしてもとどかない気がした。
「必死になるよ、今度こそね。きみを……手放してまで手にしたものだから」
ドリエルダにも手放せないものがある。
タガートにも、手放せないものがある。
水平線のように、それが2人を分かつのだ。
どこまでいっても、互いの正しさは重ならない。
ドリエルダもタガートも、わかっている。
折り合いはつかないのだと。
「それでは、これでお暇するよ。私に機会をくれて、ありがとう」
タガートが立ち上がった。
ドリエルダは、立ち上がれずにいる。
扉に向かう彼に、声だけをかけた。
「さようなら、タガート」
タガートは答えず、そのまま姿を消す。
きっと彼も、ドリエルダを2度と「DD」とは呼ばない。




