本当はいつも 2
ドリエルダに、なにかが起きている。
それはわかっていたが、ブラッドからは、なにも聞かされていない。
具体的に起きている事態は、わからないのだ。
だが、かなり悪い状況だとは予想している。
夜会でも、街でも、ブラッドは無表情で、飄々としていた。
なのに、さっき屋敷に来た時は、余裕のない態度を取っている。
タガートの襟首を掴み上げるほどに。
今、タガートは馬を走らせていた。
今さらでも、確かめずにはいられなかったのだ。
最初から、こうしていれば良かった、と思っている。
ドリエルダの意見を聞き入れず、ジゼルにこだわったのが間違いだった。
最近は、後悔ばかりだ。
2日ほど前、ようやく手紙について、タガートは彼女に訊いている。
ドリエルダは「何通も」手紙をくれていたという。
彼女の口振りから察するに、つい最近まで手紙を出していたようだった。
しかし、タガートの手元には1通しか届いていない。
理由には、すぐに思い至っている。
手紙は屋敷に届くのだ。
管理を行っていたのは執事のムーアだった。
ドリエルダから届いた手紙を、ムーアは破棄していたに違いない。
ジゼルのことがあったからだとは察している。
ドリエルダと話していた時は、ついムーアを庇ってしまった。
長年、勤めてきた者だったし、タガートは幼い頃からムーアを知っている。
屋敷を空けがちな自分を支えてくれていたと思ってもいたからだ。
どの道、ムーアは、すでに屋敷を去っている。
呼び戻してまで、過去のことで責める必要はないと判断した。
ドリエルダにも、手紙が届いていなかったとは話していない。
自分の中でおさめるつもりでいた。
けれど、ドリエルダになにかが起きたと知り、気になり始めたのだ。
ムーアは、手紙を破棄し、タガートとドリエルダの距離が近づくのを阻止しようとしていた。
そこまでして、ジゼルに肩入れしていたことを、不審に感じたのだ。
いくらジゼルを可愛がっていたとしても、ムーアは、ベルゼンドの執事であり、仮に手紙の破棄が露見すれば、咎められる程度ではすまない。
執事として屋敷にいた頃であれば、間違いなく解雇している。
タガートが、もっと早くにドリエルダと和解する可能性はゼロではなかった。
ムーアは、かなりの危険を冒していたと言える。
なぜ、そこまでする必要があったのか。
まるで「ジゼルでなければならない」とでも決めていたかのように思えた。
そのため、タガートは、これまでムーアが関わってきたことを、すべて見直している。
報告書の類や屋敷の管理など、すべてだ。
とはいえ、最初は気づかなかった。
とくに、おかしなところはなさそうだと判断しかけている。
けれど、どうにも気になり、父の代から見直すことにしたのだ。
十年以上も遡って、ようやく気づいている。
ムーアは、不正を行っていた。
もちろん、タガートも報告書に目を通していなかったわけではない。
ムーアを信頼し、任せてはいても、最終的な判断はタガートがしている。
それでも気づけずにいたのは、基準となっていた、そもそもの数値がすでに改竄されていたからだ。
父の放蕩が原因で、領民に税の負担を押しつけていると思っていた。
まったく無関係だったとは言わない。
だが、その父の放蕩につけ込まれたのだ。
それを理由に、様々な事柄で巧妙に数値が書き換えられている。
(ハーフォーク伯爵め……奴だ。すべて奴が仕組んでいた)
ベルゼンド直轄の領地では、怪しい動きは、ほとんどなかった。
改竄されていた大半は、ハーフォーク伯爵領のものだ。
その不正で得た金を、裏で動かしていたのだろう。
ほかの下位貴族に対し、ハーフォーク伯爵が力を持っていたのも、うなずける。
(ハーフォークには問題がないと、それとなく言っていたのも、ムーアだった……ジゼルも領民との仲は良好だと……)
もとよりハーフォークに実務は任せていた。
タガートは、その分、直轄領や、問題が起きているとされる下位貴族の領地に、力を注いできたのだ。
屋敷に訪ねて行くことは、たびたびあった。
食事をしながら、領地の状況を訊いたりもしていた。
だが、実際の視察は、通り一遍のものに過ぎない。
伯爵の用意した場所に行き、説明を受けて終わる、というような。
『俺に、今後は自分の目と耳を信じると言ったが、あれは、偽りであったのだな、タガート・ベルゼンド』
今後もなにも、今までもずっと、自分の目と耳を使ってはいなかったのだ。
それを思い知っている。
こんなことになるまで、気づかずにいたなんて。
(私の問題に……きみを巻き込んでしまった……DD……)
せめて、ドリエルダの言う通りにしていればよかった、と思う。
領民との関係が崩れたとしても、また取り戻せるよう努力すれば良かったのだ。
信頼は失うこともあるが、取り戻すことだってできる。
けれど、1度でも失うと、取り戻せないものがあった。
それは、命だ。
死んだ人間をよみがえらせることはできない。
ロズウェルドには魔術師がいるが、いかなる魔術を持ってしても、死を生に戻すことは不可能なのだ。
「うわ……っ……」
タガートは、思わず声を上げる。
馬がいななき、急停止をかけていた。
手綱を引いて、なんとか馬を押さえる。
目の前に、複数の民服姿の男たちがいた。
「お前たちは……」
犯人の仲間だろうか。
思う、タガートに、その中の1人が、とても無造作に近づいてくる。
赤い髪に、ひょろりとした体つきで、糸のように細い目の男だ。
「タガート・ベルゼンド次期侯爵でしょう?」
「そうだ。お前たちは、どういう者だ? 私は急いでいる。道を開けろ」
「それなんですがね、もう片付いてるんで、行く必要はないんですよ」
「片付いた……?」
男が、肩をすくめる。
「まあ、どうしてもって言うなら、止めはしませんが、行かないほうがいいと思いますがねえ」
「どういうことだか、はっきり言え!」
曖昧で遠回しな言いかたに、苛々した。
タガートは、ベルゼンドの直轄領の中でも、ハーフォークに近い土地に向かっていたのだ。
そこは、十年以上前、ハーフォーク領だった。
「あなたが行こうとしてるのは、元は羊を飼育してた場所の管理小屋。ですがね、その小屋の中は血の海になってまして。いやあ、誤解はなしでお願いしますよ。我々が着いた時には、もうその有り様だったんですから」
「だ、誰、誰が殺され……」
男が、細い目を、少しだけ見開いた。
それでも糸のような細さに変わりはない。
ただ、その目の奥が冷たく光った気がする。
「あなたの思った人とは違うんですが、あなたの知り合いではありますよ」
「DDではないのだな?!」
「はい、ええ、まあ。頭をカチ割られてたのは、男2人」
「男……私の領地の者か……」
おそらく、ドリエルダが犯人だと言っていた「ベルゼンドの領地の人」だ。
彼女とは、ハーフォーク領には行っていない。
顔を知っていたことからすると、ここ十年の間に、ベルゼンド領となった土地に住む者になる。
「そんな……彼らが……」
羊の毛刈りを教えてくれた領民に違いない。
ドリエルダに見せた写真に、彼らが映っていたのを覚えていた。
タガートがまともに鋏を使えるようになってからは、毎年、一緒に毛刈りをしていた者たちだ。
「そ、そうだ、では、DDは?! 無事なのか?!」
感傷に浸っている場合ではないと、正気に戻った。
ドリエルダが無事かどうかが、今は優先される。
男が、また肩をすくめた。
「あそこにはいなかったんで、移動したんでしょうな。無事と言えば、まあ、無事ですけどねえ。命があるって意味で言えば」
目の前の男たちには、ドリエルダは、さほど重要ではないのだろう。
だから、平気で落ち着いていられるのだ。
命はあるから無事だなどと言われ、頭に血が昇る。
「お前たちは、DDの居場所を知っているはずだ! どこだ?! 教えろ!」
「それはできませんよ。ウチの旦那の邪魔をしないでもらいたいんでねえ」
「誰だ、それは?! 私は……っ……私は彼女の……っ……」
「“元”婚約者。今は、関係ない人のはず。我々も暇じゃないんで、これで、失礼しますよ。あの小屋に行きたければ、どうぞ。ああ、我々の仲間が後始末中ですが、お気になさらず」
男が、体を返す。
同時に周りにいた男たちも、タガートに背を向けた。
引き留められないのを感じる。
背中からは、拒絶の意思しか伝わってこなかった。
『あんた、DDのために信念を捨てられます?』
ブラッドと一緒に来ていた、焦げ茶色のくしゃくしゃ髪の男に訊かれた。
すぐに答えられずにいたタガートに、その男は言ったのだ。
『あんたが、どんくらい努力してきたかは知らないけどね、あの人は、あっさり捨てた。十年以上、頑なに貫いてきた信念ってやつをさ、DDのために、一瞬で、捨てたんだ。わかる? あんたとあの人とじゃ、必死さが違うんだよ』
タガートは動けなくなっている。
言われたことの意味の重さが、彼を身動きできなくさせているのだ。
(……私の必死さ……そうか……彼らは、きみの……)
どんな手を使おうと、なにをしてでもドリエルダを救う気でいるに違いない。
ブラッドは、それこそ信念どころか命懸けで、彼女を探している。




