無礼な男 1
薄茶色の、ゆるい巻毛に、赤味がかった深い茶色の瞳。
歳は30前後というところだろうか。
胸元が編み上げになっている濃い青色の民服に、茶色のゆったりとしたズボン。
この寒い中、スリッパの前部分を切り取ったような変わった布靴を履いている。
(あの人がいいわ。身なりを整えれば、それっぽくなりそうだもの)
ドリエルダは、王都の街にいた。
カフェの目立たないテーブルにつき、人を見ていたのだ。
ドリエルダのいる場所から、右斜め方向のテーブルに、その男性は座っている。
長い足を組み、エールか何かの入ったグラスを手にしていた。
飲みながら、時々、行き来する人々と会話を交わしている。
その様子を見ると、彼は、頻繁に街に来ているに違いない。
だとしても、服装を変えて、あの巻毛を整えれば、街行く人も気づかないほど、ぐっと見た目は変えられるだろう。
ドリエルダには、最短で10日、長くても20日しか時間がないのだ。
彼女の計画に適した男性を見つけられたのは、幸運だったと思える。
貴族らしく振る舞えるよう教育する必要があるため、早目に人選はすませておきたかった。
立ち上がり、その男性のいるテーブルに近づく。
目立つ髪を隠すため、おかかえ魔術師に魔術をかけさせていた。
今日のドリエルダは、目立たない茶色の髪と瞳。
頭から顔をくるんと囲む形のボンネットをかぶっている。
望む望まないに関わらず、容姿でも彼女は目立つからだ。
そして、質の悪いドレスを、あえて身につけている。
下位の貴族であれば、街にいても不自然ではないだろう。
そもそも上級貴族の令嬢が護衛騎士もつけず、街に出ることはない。
なのに、上位貴族だと喧伝するようなドレスを着ていたのでは、かえって目立つに違いないと考えた。
実のところ、ドリエルダは、あまり街に出慣れていない。
以前、いたしかたなく「騒ぎ」を起こしたが、それきりになっている。
これまた、いたしかたなく夜会に行ったりするほかは、屋敷にいることのほうが多いくらいなのだ。
「少し、よろしいかしら?」
男性が、テーブルの向い側に立つドリエルダに視線を向けた。
大きいとも細いとも言えない目は、端が少し吊り上がっていて、精悍な雰囲気を漂わせている。
鼻筋もすっきりと高く、薄い唇と相まって、シュッとした印象があった。
早い話、彼は、とても顔立ちが良い。
「用はなんだ?」
あまりにぶっきらぼうな物言いに、ドリエルダは軽く衝撃を受ける。
彼は、平民で間違いない。
そして、彼女が「貴族」であることは認識しているはずだ。
にもかかわらず、対等な口を利いている。
愛想笑いもしない。
諂う態度も見せない。
無表情ともいえる彼に、ドリエルダは怯みそうになった。
が、ここで怯んでいるようでは、今後の出来事に対処できない。
そう自分を奮い立たせ、貴族らしく振る舞うことにする。
少し高圧的に出ることにしたのだ。
「先に、イスを勧めるのが礼儀ではないの?」
「用があるのは、お前だろ。俺は、お前に用などない。イスを勧める理由もだ」
ぴしゃりと言われ、いよいよ驚く。
平民が貴族を相手に、こんな口の利きかたをするなんて有り得ない。
もちろん、自分が知らないだけかもしれないが、それはともかく。
(もっと強気でいく必要があるみたいね。私が若いから馬鹿にしてるんだわ)
見るからに、彼は年上だ。
年下のドリエルダを侮っているのだろう。
ドレスの質を落としているため、下位貴族だと思われてもいるだろうし。
「それじゃ、勝手に座らせてもらうわよ」
向かいのイスに、ドリエルダは勝手に座る。
とはいえ、カフェでは、同じテーブルに無関係な者同士で座ることもめずらしくないのだ。
混雑時には、相手に声をかけずに座ることさえある。
ドリエルダが知らないだけで。
注文を取りにきた女性が、ちらりと彼を見た。
が、彼は、じっとドリエルダを見ている。
「彼と同じものを」
親しげに振る舞うため、あえて、にこやかに、そう告げた。
注文を受け、その女性は、そそくさとテーブルを離れる。
ひとまず、2人になったところで当たり障りのない会話から始めることにした。
「あなた、名は?」
「ブラッド」
「私のことは、DDと呼んで」
承諾したのかどうかは不明だ。
彼は、ドリエルダの言葉に、うなずきもしなかった。
だが、それはどうでもいい。
この先、そう「呼ばせればいい」だけのことだ。
先ほどの女性が戻ってきて、ドリエルダの前にグラスを置いて去る。
ひと口で、彼が飲んでいたのは、やはりエールだとわかった。
日頃は、ほとんど口にすることのない飲み物だ。
貴族が飲料としているのは、主にワイン。
エールやビーエルは、庶民の飲み物とされている。
「ブラッド、あなたを雇うわ」
「断る」
あまりといえばあまりな即答に、ドリエルダは、ぽかんとしてしまった。
目の前の男は、考えるそぶりもみせずに断ったのだ。
ドリエルダが、そう気づくまでに、しばしの間ができる。
気づいて、グラスを握る手が、ふるふるっと震えた。
「話も聞かずに断るというのは、どうかしら? あなたにとって、良い話かもしれないでしょう?」
間違いなく、彼にとって「良い話」だと断言できる。
動揺を鎮め、ドリエルダは余裕をもった笑みを口元に浮かべてみせた。
貴族子息を手玉にとれるほどに、彼女は容姿に優れている。
水色の髪でなくとも、大きな違いはない。
が、しかし。
「2度も同じ答えを聞きたがるとは、お前は頭が悪いらしい」
ドリエルダの笑顔は粉砕。
石礫ほどの威力にもならなかったようだ。
ブラッドの表情は、微塵も変わっていない。
無表情を貫いている。
「理由を訊かせて。私は“頭が悪い”から」
嫌味にも、まるで動じた様子はなかった。
ここまでの冷静さは、最早、冷淡とも言える。
貴族嫌いの平民なのかもしれない、と思った。
平民は、概ね、貴族に阿っている。
それは、自らの暮らしと家族を守るためだ。
が、中には、それらを持たず、貴族嫌いを隠そうとしない者もいる。
ドリエルダは、その気持ちを理解できないわけではない。
「俺は、すでに勤めている」
「それなら、今の給金の3倍、いえ、5倍出すわ」
口に出してしまったあと、ハッとなった。
ブラッドの視線から逃げるように、顔をそむける。
「……今の言葉は、取り消したいけど……無理よね?」
「なぜ取り消す?」
「失礼なことを言ったからよ。あなたは、お金で動く人じゃない……と思う」
「わかっているなら、もう用はないな」
ブラッドが立ち上がった。
ほんのわずかな逡巡さえないのがわかる。
思わず、ドリエルダも腰を浮かせた。
なぜ呼び止めようとしているのか、自分でも、わからずにいる。
「待って!」
「ここには大勢の者がいる」
「あなたじゃなきゃダメなの!」
「理由は?」
「…………とにかく、あなたがいいのよ……」
「理由にならん」
そっけなく言い捨て、ブラッドが背を向けた。
もう引き留める言葉が見つからない。
ドリエルダ自身、ブラッドでなければならない理由がわからないからだ。
なのに、どうしても「彼がいい」と感じている。
(諦めないから……ギリギリまで粘って、どうしてもダメなら、その時に考えればいいわ)
ほかの男性であったなら、ドリエルダの言葉に、うなずいていた。
今まで、ずっとそうだったのだ。
いったんは拒絶されても、最終的には思い通りになった。
彼女の笑顔には「実績」がある。
ブラッドと、彼女の婚約者以外において、だけれども。