本当はいつも 1
「ですが、そのほうが早いのではないでしょうか?」
「お前、馬鹿なの?」
下士官とピッピの声は聞こえていたが、聞こえていない。
ブラッドは、集まってくる情報を、ありったけ取り込んでいる最中だった。
周囲からの会話も、自然と耳が拾ってくるが、無視することには慣れている。
ここは、ベルゼンド領にある宿屋の地下。
ブラッドが率いている機関が秘密裏に動くために造られていた。
こういう施設が、ロズウェルド中にある。
王都で、ドリエルダと話した宿屋もそうだった。
あの宿屋の店主は、ブラッドの配下なのだ。
これといった装飾のない、簡素な室内。
頑丈なだけが取り柄で、寛ぐような空間とはなっていない。
背もたれはあるがクッションのついていないイスに腰かけ、大きな机に散らばる大量の書類を、ブラッドは眺めていた。
「私は、状況を見て、最善と思われる提言をし……」
「そんなもん、いるか。いいから、邪魔すんな。手前の仕事だけやってろ、馬鹿」
「先ほどから、聞き捨てなりません! 人のことを馬鹿にするのも……」
「馬鹿に馬鹿って言ってるだけだろ、馬鹿」
うるさいし、面倒くさい。
全部隊を動員しているため、中には「ここ」のやり方を、まだわきまえていない新人もいるのだ。
「ピッピ」
2人のほうを見もせず、ピッピに指示する。
声をかけただけだが、ブラッドの指示を理解できないピッピではない。
証拠に、ものすごく大きな溜め息が聞こえてきた。
そういう「外音」は、聞こえていても、ブラッドは無関心でいる。
指示を出す相手も、ピッピだけなのだ。
「魔術師のこと、お前、わかってる?」
「ですから、王宮魔術師に助力を依頼し、魔力感知を行えば……」
「どこを? どの程度の範囲で?」
ドリエルダを危険に晒している者の中には、ハーフォークの雇われ魔術師がいる。
ドリエルダ自身は、魔力を持たないため、魔力感知には引っ掛からない。
だが、ハーフォークの魔術師であれば、魔力感知に掛かると考えたのだろう。
それは、間違いではないが、まったく正しくないのだ。
「それは……」
「そもそも、魔力感知ってのは個を特定できないってのに感知してどうすんだ? ロズウェルドに魔術師が1人しかいないとでも思ってんの?」
そういうことだ。
確かに、魔術師は魔力感知に引っ掛かりはする。
とはいえ、それは、けして「個」を特定するものではない。
どの辺りに、どの程度の魔力の大きさの魔術師が、何人くらいいるか。
わかるのは、そこまでだ。
ハーフォークの魔術師と同程度の魔力を持つ魔術師が、ロズウェルドにどれほどいるか。
ベルゼンド領付近だけでも、そこいら中にいるだろう。
つまり、空を舞う鳥の群れを見て「大きいのも、小さいのもいる」と思う程度のことに過ぎない。
「そ、それでは、魔術師長にご依頼をして、魔力の供給を止めてしまえば……」
「お前、本当に、馬鹿」
「なぜです? 魔力さえ止めてしまえば、魔術師の動きは制限でき……」
「で? 供給がなくなったら、その魔術師は、どうすんの?」
「魔術が使えなくなるのですから、計画を変更するでしょう」
ガターンッと大きな音が響く。
が、それもブラッドは完全無視。
止めることもせず、視線すら動かさない。
彼らの会話は、ブラッドにとって、単なる音という意味しかないのだ。
おそらく、ピッピが口数の多い、下士官を蹴飛ばしでもしたのだろう。
ブラッドが、ピッピを自らの側近としたのは、ピッピが十歳の時だった。
そのため歳若く、ピッピを認めようとしない者も少なからずいる。
とくに、新人は。
「な、なにを……っ……」
「お前、今、人質を見殺しにしろって言ったってわかってる?」
「わ、私は、そのような……」
「言ったんだよ、言ったの! 魔力供給が止まれば、事が露見したって、馬鹿でもわかる。言い逃れるためには証拠を消そうとする。この場合の証拠って、なに?」
下士官の声が聞こえなくなった。
自らの「提言」が、浅知恵に過ぎなかったと思い知ったのだ。
同時に、ピッピに対する感情も、多少は変わったに違いない。
新人教育は、ことのほか面倒なので、ブラッドはピッピ任せにしている。
「じゃ、お前の仕事は?」
「……書類を運び、整理することです……」
「そんくらいしかやれることないからなー、口閉じて働いてほしいなー」
「た、直ちに仕事に戻ります!」
バタバタという足音が聞こえ、遠ざかって行った。
くしゃくしゃと、ピッピが髪をかき回す音も聞こえる。
「邪魔にはならなかったでしょ?」
「俺の邪魔になるくらいなら、お前に馬鹿と言われておらんだろ」
「そっスね」
ブラッドは、集まってきた情報を頭の中で集約し、繋ぎ合わせていた。
不要なもの、相互の関係のあるもの、国内での情勢、犯罪と、それらは、膨大な量となっている。
それもそのはずだ。
ロズウェルドの人口は、現在、約1千万人。
シャートレーが率いているような、いくつかの騎士団にいる騎士が約8万。
王宮に属する魔術師は1万人程度だが、これは見習いも含めての数となる。
上級魔術師や、国王付の魔術師など腕の立つ者は、ほんのひと握り。
5百人いるかどうか、というところだ。
対して、ブラッドの配下は、約20万人。
騎士団を遥かに越える人数となっている。
なにしろ、貴族も平民もない。
ありとあらゆる場所で、常には、普通に生活しているのだ。
もちろん通常任務はある。
だが、騎士団のように、固定された生活をしているわけではない。
ただし、例外がひとつだけあった。
ブラッドが呼びかければ、全員が一斉に動く。
組織としての序列はあるものの、「特務」と呼ばれる機関に属する者たちは、天辺のみを見ているのだ。
上官に従うのも、それがブラッドの指示であるからこそだった。
いつもはバラバラに活動しているのだが、今回は違う。
すべての配下が動員されていた。
その人数を考えれば、集まってくる情報の量が半端でないのは当然なのだ。
「ピッピ」
「どこ動かすんスか?」
「国境だ。北方方面を主として固めろ」
「北方となると、5と12と24部隊辺りに繋いどくっスね」
「ノヴァク方面に追い込め」
ピッピが、さっさと部屋を出て行く。
室内には、ブラッド1人きりになった。
手で、散らばった書類の上を、ザッと撫でる。
ここに至るまでは断定できずにいたことに、今は確信が持てていた。
とはいえ、そのせいで、安堵とともに怒りがわいている。
(あれは、生きている。いや……生かされている)
陽が傾きつつあった。
相手が、本格的な動きを見せるのは、夜も遅い時間になる。
人目を気にせずに行えるようなことではないからだ。
人身売買は。
元々、ブラッドは、ジゼルに違和感をいだいていた。
夜会で、ドリエルダに対して取った言動を、不自然に感じている。
タガートを己のものにしたいのであれば、ドリエルダとブラッドの仲をジゼルは推奨すべきだった。
なのに、現実には、逆の態度を取っている。
(あの女の目的は、奴自身ではない。奴への感情よりも、DDに対する憎悪感情を優先させたのだからな。だが、奴との婚姻には執着している)
そして、今日、ベルゼンドの屋敷に行った時のことだ。
そこでも、ブラッドは不自然さを感じた。
(ベルゼンドの執事は屋敷を去った。時を見計らったように、だ)
集めた情報には、街や町であったことに、貴族関連のものと、多種多様。
雑多な中から、ブラッドは関連性を見出している。
(あの女につけた護衛は4人。犯人は3人の男。おそらく、1人は囮であろうな。すでに殺されている。そもそも、あの女は母親の実家になど行ってはおらん)
さらに、ベルゼンドの主たる財源となっている生産品の価格がおかしい。
十年以上に遡り、その頃の時勢と加味しても、不正があるのは明らかだった。
王都で売られている、それらの生産品の価格が、ベルゼンドから納められている税の額と折り合わない。
(奴は気づいておらんのだろう。手口が巧妙だ。ベルゼンドから安値で買い上げたのち、別の名義を使い、高値で売りさばく。年に寄っては、買い占めまでして値を吊り上げている)
ベルゼンドの執事は、これに関与している。
そうでなければ、タガートに知られず不正を続けられはしなかっただろう。
報告書の類を、改竄する必要があったのだから。
だが、状況が変わり、事が露見する前に、早々に屋敷を去らなければならなくなった。
(あの女の目的は、ベルゼンドの屋敷を管理することだ。女主人となって、執事の後釜となる予定だったわけか……つまり、不正の元は、ハーフォーク伯爵家)
タガートは領民との関係を取り戻そうと、屋敷を空けることが多かったらしい。
だからこそ、執事は好き勝手ができている。
とはいえ、いずれは屋敷を去ることになるのは必然だ。
その不正を続けるための後継者がジゼルとなるはずだった。
「DDは、ハーフォーク伯爵家自体の存続を危険に晒す邪魔者であったのだ」
それでも、ジゼルの資質を鑑みれば、易々と殺しはしない。
死ぬよりも恐ろしい目に合わせ、留飲を下げようとする。
確たる証拠を残さないための手も打っているに違いない。
その後は、傷心のタガートに近づき、ゆっくりと手懐ければ思惑通りだ。
ブラッドは、すくっと立ち上がった。
ピッピに指示した「ノヴァク方面」には意味がある。
そこに、自ら赴く予定だった。
「ツイーディアの花の色を、デルシャンの者は、好む」




