折り合いがつけられれば 3
「弟よ! 話がある!」
現れた2本の柱の向こうから、兄が駆け寄って来る。
ブラッドは、無表情に、その姿を見つめた。
内心では、イラっとしている。
まさかローエルハイドの屋敷にまで踏み込んで来るとは、というところだ。
安全圏が、またひとつ減ったような気分になった。
「王宮に戻るつもりはないと言っているだろ」
「そのようなことで、ここに来たりはせぬ!」
「そもそも、兄上は魔術が使えないことになって……」
「ブレイディード!」
言いかけた言葉を、ブラッドは飲み込む。
兄が、ブラッドの正式名を呼んだのだ。
ただ事ではない。
なにしろ、30年の人生で、1度しか経験のないことだった。
「申し訳ございません、ブレイディード殿下」
後ろから姿を現した人物に、ハッとなる。
たちまち、ブラッドの頭が正しい回答を弾き出した。
「DDに、なにがあった?」
点門の柱の向こうから現れたのは、ドリエルダの父バージル・シャートレーだ。
バージルは、ブラッドとドリエルダに面識かあることを知っている。
兄は夜会で、2人のダンス姿を見てもいた。
つまり、兄とバージルがブラッドを訪ねる理由は、ひとつしかない。
「娘が……帰って来ないのです」
バージルのひと言で、頭の中に、様々な推測が広がり散らかる。
まるで、木の幹から枝が伸び、その枝から、さらに枝葉が伸び、広がるように、ブラッドの思考が動き出していた。
まず、ドリエルダは、噂とは違い、外泊をするような女ではない。
たとえ、外泊をするにしても、シャートレーの両親を心配させることはしない。
彼女は、両親を大切にしている。
そして、バージルがここに来たということは、ベルゼンドにもいなかったのだ。
その確認も取らずに、バージルがブラッドの元を訪れるわけがなかった。
外泊する相手としては、ブラッドよりタガートのほうが可能性は高い。
きっと魔術師、いや、姿を消した兄が、直接、ベルゼンドの屋敷内を探し回っている。
タガートとベッドをともにしているかもしれないと考え、ドリエルダに知られず確認しようとしたはずだ。
だが、ベルゼンドのところにはいなかった。
結果、一縷の望みをかけ、ここに来たのだろう。
(あれは、新たな夢を見たのだ。それを回避しようと動いた)
その途中で「なにか」があったのだ。
屋敷に戻れなくなるような、なにかが。
「いつからだ」
「昨日の昼過ぎに出たきり……」
ということは、夕暮れまでには帰るつもりでいた。
時間のかかる場所に行くのなら、もっと早く出ている。
「……丸1日近く、帰っておらんのか」
ブラッドの言葉に、バージルが顔を歪ませた。
ドリエルダの行方がわからなくってから、一夜が明けている。
護衛騎士を私心で動かすことはできなくても、シャートレーの騎士は動いているはずだ。
なのに、見つけられずにいる。
最悪の事態も考えられた。
ドリエルダは、殺されているかもしれない。
ブラッドは、きつく目を閉じる。
見え過ぎる眼が、今はわずらわしかった。
だが、その瞼の裏に、ドリエルダの姿が浮かんでくる。
『頭の悪い女だもの』
そう言って、笑う姿だ。
そして、ブラッドの言葉に、寂しそうに揺らがせた瞳も見える。
路地で、彼女の部屋で、ブラッドに抱き着いてきた小さく華奢な体。
今も、ドリエルダは、どこかで震えているのかもしれない。
ブラッドは、パッと目を開いた。
両手を体の横で握り締め、一瞬だけ、唇を噛む。
「兄上、頼む。点門を開いてくれ」
「ブラッド……ちょ……」
「黙っていろ、ピアズプル」
隣にいたピッピを、ひと言で黙らせた。
それから、兄に深く頭を下げる。
「頼む」
馬車や馬を走らせる時間すら惜しい。
ブラッドの読みをもってしても、彼女がまだ生きているとは断言できなかった。
それでも生きていると仮定して動きたかったのだ。
「私に頭など下げるでない、弟よ。どこに開けばよいか申せ」
「ベルゼンド侯爵家だ」
即座に、2本の柱が現れる。
その向こうに、屋敷が見えた。
「行くぞ、ピッピ」
黙って、ピッピがついてくる。
振り返らず、兄とバージルに言った。
「ここから先は、俺の領分だ。万事、任せておけ」
バージルは父親だ。
手伝いたかったに違いない。
だが、はっきり言って、足手まといになる。
連れて行くわけにはいかなった。
ピッピだけを伴い、柱を抜ける。
ベルゼンドの屋敷の扉を、乱暴に叩いた。
蹴破ることも考えたが、ここにドリエルダがいるわけではない。
待たされずにすんだのも、幸いだった。
出てきたのは、執事ではなく、タガートだ。
ブラッドを見て、驚いている。
「ブラッド……? なぜ、きみがここに?」
「時間がない。すぐに答えよ。DDから聞いた夢の話を教えろ」
「どうして、それを知っている? 彼女に聞……」
ブラッドは、がしっとタガートの襟首を掴み上げた。
顔を近づけ、タガートを睨む。
「時間がないのだ」
「わかったから、放せ」
タガートも、ドリエルダになにかあったと気づいたようだ。
顔つきが変わっている。
ブラッドが手を離すと、すぐに夢の話をし始めた。
ジゼルが攫われる、という内容だったらしい。
犯人は、ベルゼンドの領民だということだが、それを、タガートは認めていないようだった。
なにかの間違いか、行き違いから生まれた誤解だろうと、言っている。
「現状、ジゼルは攫われていない。母親の実家にいる。今日も確認した。20日後までは、毎日、魔術師に確認を取るよう言いつけてある」
領民に話を聞くのが手っ取り早いのは、タガートにもわかっているはずだ。
だが、領民を疑うことができず、その方法を取らずにいる。
苦労して手にした領民との信頼関係を手放せないのは、わからなくもない。
それでも、言わずにはいられなかった。
「俺に、今後は自分の目と耳を信じると言ったが、あれは、偽りであったのだな、タガート・ベルゼンド」
「なにを……なにを言っている! 私は、毎日、ジゼルの無事を確認している!」
「では、なぜここにいるのだ。なぜ、その女が行ったという地に赴き、己の目で、確認しておらんのだ!」
タガートの顔色が蒼褪める。
魔術師が偽りを述べていた可能性に気づいたのだ。
「俺は、俺の目と耳を使う。お前は好きにいたせ」
言い捨てて、ブラッドはタガートに背を向ける。
夢の話を聞きはしたが、情報がまだ足りない。
そして、ここですべきことは、もうなにもなかった。
「ピッピ、行くぞ」
見れば、ピッピが、タガートと何か話している。
ブラッドの呼びかけに、すぐにピッピが戻ってきた。
目的地は決めてある。
そこに向かって、全力で走っていた。
息切れひとつせず、2人は会話をする。
「奴と、なにを話していた?」
「情報不足は天敵でしょ? ほかに思い出せることはないかって聞いてたんス」
「なにかあったのか?」
「なんもないっスね。犯人が、どの領民かまでは訊いてないって話っスもん」
「DDしか犯人の顔は知らんということか」
無駄であっても、念のための確認は必要だ。
ピッピは、ブラッドのし忘れたことを、代わりにしている。
いつもなら、徹底するのを忘れたりはしないのだけれど。
「全部隊、動員して情報を集めろ」
「全部隊っスか? マジで?」
ブラッドは返事をしない。
返事をしないのが、返事だった。
かつての宰相であり、元王族ユージーン・ウィリュアートンは、魔術師に頼らず国を守る機関を創設している。
貴族も平民も関係なく、その機関は、愛国心の強い者で構成されていた。
国防特務機関。
創設理由から、そこに属する者は、誰1人として魔力を持たない。
ブラッドは、その機関の頂点に君臨している。




