折り合いがつけられれば 1
屋敷に戻り、すぐにタガートは魔術師に指示し、ハーフォークの魔術師と繋ぎを取った。
彼らは、早言葉と呼ばれる魔術により、連絡が取れるのだ。
その魔術を使えば、特定の者と会話ができる。
ドリエルダにも話したように、魔術師にも序列があった。
魔術が使えても、格下の者から格上の者に連絡をするのは許されていない。
ただ、これは、魔術師特有の「格」だ。
基本的に血筋で受け継がれていく爵位とは異なり、能力がものを言う。
年齢も性別も関係なく、魔術師としての「腕」で、格が決められていた。
それを羨ましいと感じたこともある。
自分の能力ひとつで、上を目指せることが、職として魅力的に思えたのだ。
生まれながらに持つ才能に左右されるものの、努力で力をつけることもできなくはない。
自分の能力と向き合うことは、残酷ではあるが、潔かった。
祖父の代はともかく、父には当主や領主にあってしかるべき能力がない。
少なくとも、タガートは、そう判断している。
彼が父と同じ道を辿っていたら、ベルゼンドは没落していたかもしれないのだ。
貴族は、概ね見栄張りではあるが、分相応というものがある。
父のそれは、度を越していた。
身の丈に合わないことをしていれば、いずれ無理が生じる。
その無理のツケは、領民が支払うことになるのだ。
つり上げられる税に、領主を信頼できなくなってもしかたがない。
タガートが14歳の頃には、すでに多くの領民が父に対する信頼を捨てていた。
彼らが、領地の移動を申し入れて来なかったのは、貧困にあえぐほどには生活が傾いていなかったからに過ぎない。
ベルゼンドの領地は、ほかの領地に比べると、災害が少ないのだ。
そういう土地柄が、領民を繋ぎ留めていただけだった。
「タガート様、あちらの魔術師から、ジゼル様は引き返してはおられないとのことです。本日は町の宿で過ごされ、明日の昼頃には到着する予定と申しております」
魔術師が、報告してくる。
ジゼルは、まだ移動中らしい。
実際に、夢の出来事が起きるのが10日以降だったとしても、捕まって軟禁されている可能性はあった。
だが、その可能性も消えたのだ。
「向こうでの滞在期間は訊いてくれたかい?」
「ひと月ほどは滞在すると、ジゼル様が仰っておられたそうです」
「そうか。わかった。悪いが、これから20日の間、ジゼルが滞在先にいるか確認してくれ。もし動きがあれば、こちらに連絡するように」
「かしこまりました」
魔術師が頭を下げ、私室を出て行く。
ソファの向かい側で、ドリエルダがうつむいていた。
表情は暗い。
夢の出来事が現実になる要素が消えたからだろう。
「なにもなかったのを良しとしないか?」
「そうね……なにもないほうがいいと、私も思っているわ」
彼女が、心から納得しているかは、わからなかった。
けれど、タガートは、あえて訊かずにいる。
できるだけのことはした。
もちろん、領民から、なんらかの聴取をすることはできる。
だとしても、彼に、それをする気はない。
理由は、ドリエルダに話した通りだ。
確証もないまま、領民を疑う真似はできないし、したくなかった。
ドリエルダの不安は、ジゼルの安否に関わるものだ。
ジゼルは、現状、無事だとわかっている。
これ以上、できることはないと判断した。
「これからの20日間を無事にやり過ごせれば、きみの不安は解消されるかい?」
「たぶんね」
ドリエルダは弱々しく微笑み、肩をすくめる。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
彼女に合わせて、タガートも立ち上がる。
「これは必要なことだった。そうだろう?」
「私にとっては、ね。あなたを振り回すことになって、申し訳なく思っているわ」
「DD、私は、きみに頼ってもらえて嬉しかった。だから、申し訳ないなどとは、思わないでほしい。きみの言葉を信じず、ジゼルになにか起きていたら、私だって後悔したさ」
ドリエルダが、小さくうなずいた。
お互いの思う「正しさ」に軋轢が生じたことを、気にかけているのだろう。
タガートも感じてはいる。
正しさというものは、ひとつではないからだ。
夢を見過ごしにはできないという、ドリエルダの正しさ。
領民との関係を壊せないという、タガートの正しさ。
どちらもが正しく、だが、相手に対しては、それは間違いだとつきつける。
人は、それぞれものの見方も違えば、考えかたも違うのだ。
立場や状況によっても、正しさは変わる。
まったく同じ人間などいない。
家族だろうと恋人だろうと、譲れないことだって、ある。
「私たちは、折り合いをつけられたかな?」
「もちろんよ。あなたが、私を信じてくれて、私も嬉しかったわ」
やっとドリエルダの表情が明るくなった。
そのことに、ホッとする。
タガートも、彼女の望みを叶えられなかったとの罪悪感があったからだ。
できるだけのことをした、と自分を納得させながらも、ドリエルダを傷つけたのではないかと、不安になっていた。
「朝早くから、ごめんなさい」
「どの道、起きる予定だったから、かまわないよ。きみは、眠れそうかい?」
「そうね。あなたを叩き起こしておいて、悪いけれど、私は寝てしまうかも」
「そのほうがいい。疲れただろうし、ゆっくりおやすみ」
ドリエルダを玄関ホールまで送っていく。
屋敷まで送っていけないのが残念だった。
彼女は、自分の馬で来ている。
あずけていた馬を、馬丁に引いてこさせた。
その馬に、軽々とドリエルダがまたがる。
「また遠乗りをしよう。雪が積もる前にね」
「あなたに教えてもらってわかったから、次は魔術師に連絡を取ってもらうようにするわ。手紙より早いものね」
そう言って笑い、ドリエルダは馬の手綱を軽く振った。
去って行く背中に、なにか声をかけたかったが、やめておく。
悪い雰囲気を断ち切ったままで、彼女を見送りたかったのだ。
ドリエルダの姿が見えなくなってから、屋敷に戻る。
「タガート様、少々、よろしいでしょうか」
声をかけてきたのは、執事のムーアだった。
深刻というほどでもないが、少し表情が曇っている。
私室に戻り、ムーアを招き入れた。
「どうかしたかい?」
「昨日の件にございます」
言われて、思い出す。
ジゼルを勝手に私室に入れたことで、ムーアを叱責していた。
それを気にしているようだ。
タガートにすれば、注意したに過ぎないが、ムーアは重く受け止めているのかもしれない。
「私も少し強く言い過ぎたと思っている」
「いいえ、私が間違っておりました」
ムーアが深く頭を下げる。
やはり厳しく当たり過ぎたかもしれない、と思った。
ムーアは父の代から勤めている。
タガートが父の代わりに、領民との関係を築き直すにあたり、屋敷のことを任せきりにしていたのは事実だ。
「長く勤め過ぎたのだと思います」
「どういうことだ」
「お屋敷の取りまとめをしている内に、私には分不相応なほどの判断をするようになっておりました」
「ムーア、きみのおかげで、私は屋敷を空けることができていた。屋敷のことでは苦労をかけたと思っているし、感謝もしている」
ムーアが硬い表情で、ほんのわずかにうなずく。
それから、苦笑いを浮かべた。
「私は、お暇をいただこうと思っております」
「……そうか」
「タガート様も考えておられたのではないですか?」
「もう少し先の話にする予定だったのだがね」
タガートは当主となったあと、領地改革をするつもりでいる。
その中には、人の配置もあった。
屋敷についても例外ではない。
どこかで、世代を交代する必要はあるのだ。
「ちょうど良い機会になったかと存じます。私も、もう年ですし、タガート様は、すでに領主としての役を立派に果たされておられます。今後は、屋敷のことにも、手が回るようになられるでしょう」
実のところ、何人か、後継の執事候補がいる。
爵位は、男爵家と低いが、信頼のおける者たちだ。
男爵家は領民との関係も深く、一緒に領地を立て直した仲間とも言えた。
少し考えたのち、タガートはうなずく。
引き留めることはしないと決めたのだ。
それを察したのか、ムーアは、感謝の言葉を述べ、私室を出て行く。
せめて、長年の労に報いるだけの額を持たせてやろうと思った。
ソファに深く座り、大きく溜め息をつく。
今日は、朝から色々なことがあった。
ドリエルダは、まだ家にはついていないだろう。
ゆっくり眠れるといいのだけれども。
「そういえば……」
気になることがある。
だが、やはり今日は静かに過ごすことにした。
次に連絡があった時、彼女に訊けばいい。
そう思って、タガートは、少しだけ眠るつもりで目を伏せる。




