真実と事実 4
「え…………」
ドリエルダは、間の抜けた声を出す。
言われたことが、予想外過ぎて、思考が停止していた。
次の言葉も出て来ない。
タガートと一緒に、馬車でハーフォーク伯爵家に来ている。
対応しているのは執事だが、隣にメイド長もいた。
嫌な顔をして、ドリエルダを見ている。
「では、ジゼルは屋敷にいないのか」
「は、はい、さようにございます、タガート様」
執事は、朝から訪ねてきたタガートに戸惑っていた。
そのせいか、ジゼルとの面会を申し入れた時には、あれこれ言い訳じみたことを口にしている。
要領を得ない話しぶりに、苛々していたのは、ドリエルダだけではなかった。
タガートも口調を厳しくして、執事を問い質している。
『ジゼル様は、伯爵夫人のご実家に向かわれました』
そう執事は答えたのだ。
つまり、さっきタガートが言ったように、ジゼルは屋敷にいない。
「昨日、ずいぶんと落ち込まれた様子でお帰りになってすぐのことにございます」
執事ではなく、隣からメイド長が口を挟んでいた。
ドリエルダを、憎々しげににらみつけてくる。
メイド長は、ジゼルの乳母でもあった人物だ。
ドリエルダを気に食わないと思っている。
メイド長は、彼女がハーフォークにいた頃から、つらくあたっていた。
「長く心を寄せていた男性を、どこかのご令嬢に奪われて、大変、傷ついておいででした。そのご令嬢がまともなかたであれば、ジゼル様も納……」
「よせ、それ以上、言うことは、私が許さない」
メイド長が、ふいっと横を向き、口を閉じる。
いかにも不満といった態度だった。
ベルゼンドは、ハーフォークの上位貴族だが、ハーフォークは、それなりに力を持っている。
それを、メイド長も知っているのだ。
仮に、メイド長を罰するとしても、タガートは、ハーフォーク伯爵に依頼をしなければならない。
伯爵は、きっと、のらりくらりと逃げ、適当な罰しか与えないだろう。
その上で、周囲に「不当な扱いを受けた」とタガートを非難して回る。
伯爵が、やりそうなことだ。
ジゼルに警告するよりも、犯人となるはずの者たちを止めるほうを選びたかったのには、それもある。
ハーフォーク伯爵家の者たちは、みんな、ドリエルダを嫌っていた。
ジゼルからタガートを奪ったとも思われている。
彼女がジゼルを助けようとしているだなんて信じるはずがない。
むしろ、ドリエルダへの憎悪が、タガートに飛び火する可能性が高かった。
「いつ頃、向こうに着く予定だ?」
「馬車で2日ほどはかかりますので……明日か、明後日あたりかと」
「護衛はつけて出たのか?」
「もちろんにございます、はい。当家で雇い入れております魔術師が1人。それに騎士を4人、護衛につけました」
タガートは、なにか考えているらしく、眉をひそめている。
ドリエルダも、落ち着かない気分になっていた。
(魔術師が一緒なら、ジゼルが道中で攫われる心配はないわよね……)
ドリエルダが見た「犯人」は、ベルゼンドの領民だ。
魔力を持たない彼らでは、魔術師からジゼルを奪うのは不可能だった。
いったい、どういうことなのか、ドリエルダも、わからずにいる。
「ジゼルは、いつ帰る予定だ?」
「しばらくは、お帰りになられないかと」
「しばらく? そのような曖昧な……っ……」
「しかたありませんでしょう」
メイド長が、またも口を挟んできた。
執事の弱腰に、メイド長も苛ついているらしい。
タガートと真っ向からやり合うつもりだ。
「今さらになって、お気遣いくださることに意味がありますか? タガート様が、もっと早くジゼル様のお気持ちを汲んでくださっていれば、お1人で屋敷を離れることはなかったでしょう」
「そもそも、私は、婚約をしていた身だ。ジゼルに期待させるようなことは、何もしていない」
「ですが、タガート様は、すでに婚約を解消されておられます」
「だからといって、ジゼルに求婚した覚えはないがな」
タガートもメイド長の不躾な言い様に、腹を立てている。
だが、今は、罵り合っている場合ではないのだ。
ジゼルの命が懸かっている。
ドリエルダは、理性を発揮させ、冷静な口調で訊いた。
「おおよそでもかまわないわ。あなたは、ジゼルのことを良くご存知でしょう? それなら、予測がつくのではないの? 彼女が、どの程度、向こうにいるか」
メイド長は、はなはだ不本意という顔をしつつも、答えを返す。
ジゼルを良く知っていると言われたため、知らないとは言えなかったのだろう。
「……ひと月は、お帰りになられないかと」
「なぜ、そう思う?」
タガートの詰問口調に、メイド長が、目つきを険しくした。
だが、言い返すことはせず、タガートの問いにも答える。
「いつも、あちらに行かれますと、そのくらい滞在されておられます。今回は……もっと長くなるかもしれませんけれど」
メイド長は嫌味たらしく言いつつ、ちらっと、ドリエルダに視線を投げてきた。
ハーフォークは、なにも変わっていないと、うんざりする。
いつまで経っても、ドリエルダは差別の対象なのだ。
きっとメイド長は「お前のせいだ」と言いたいに違いない。
「わかった。もういい」
タガートが、ドリエルダのほうに顔を向ける。
どんな顔をしていいのか、わからなかった。
「とりあえず、帰ろう」
「そうね……」
ここにいても、ジゼルには会えない。
メイド長はともかく、執事が嘘を言っているとは思えなかったのだ。
魔術師と騎士の護衛つきで、昨日の夕方、ジゼルは屋敷を出た。
これは間違いないと言える。
そして、向こうにつくのは、明日か明後日。
帰ってくるのは、おそらく、ひと月後。
(だとすると……攫われる時期が合わない……)
行きで襲われるとなると最短の10日後にもあてはまらないし、帰りとなると、20日を過ぎてしまう。
どちらにしても、夢が現実になる「隙」がない。
タガートとともに馬車に乗り込みながら、考えこむ。
あれは、ただの、普通の夢だったのだろうか。
とはいえ、今まで、1度だって、現実にならない夢など見たことがない。
見過ごしにして罪悪感をいだき続けてきたのは、そのせいだ。
ドリエルダの見た夢は、必ず、現実になる。
「ゲイリー……どういうことだか、私……」
ジゼルが攫われる可能性は、限りなく低くなっていた。
結果がこれでは、夢の話を疑われてもしかたがない。
しかも、ドリエルダは、犯人を「ベルゼンドの領民」だと言っている。
タガートが、どれほど領地や領民を大事にし、苦労してきたのか、知らないわけではなかったのに。
「屋敷に帰ったら、護衛につけたという魔術師に繋ぎを取ってみよう。ジゼルが、途中で引き返しているかもしれない」
「そんなことが、できるの?」
タガートが、少しだけ微笑む。
彼は、まだ自分の話を信じようとしてくれているのだと、胸が痛くなった。
だから、できるだけのことをしようとしている。
「魔術師にも格というものがあってね。これは、上位貴族と下位貴族の関係に似ているのだよ。ベルゼンドが雇っている魔術師では、シャートレーの魔術師に繋ぎは取れないが、ハーフォークなら取れる。給金の差というところかな」
冗談めかして言うタガートに、申し訳なさが募ってきた。
もしこれで、なにも起きなかったら、彼を、無用に振り回しただけになる。
もちろん、なにも起きないことを願ってもいるのだけれど。
「ごめんなさい、ゲイリー……本当に、ごめんなさい……」
「なにも起きなければ、それでいいだろう? ジゼルの無事が確認できれば、安心して眠れるさ」
「でも……私は……あなたの……夢を壊してしまうところだったわ……」
領地改革をするのだと、楽しげに語っていたタガートの姿が記憶に残っている。
初めて羊の毛刈り鋏を手にした時は、誰からも相手にされていなかったらしい。
侯爵家の子息が気まぐれに遊びに来ただけ、程度の扱いだったのだそうだ。
けれど、この前、一緒に領民の家を訪ねた時は、まるで違った。
家人は、2人を暖かく迎えてくれている。
そこに至るまで、タガートは、どれほど努力をしただろう。
ドリエルダは、元は平民であり、ハーフォークでは差別されていた。
だから、わかるのだ。
平民が貴族を信頼するのが、いかに難しいことかを。
それを、タガートは十年かけて、やってのけた。
彼が「領民を疑うことはできない」と言うのは、当然だったのだ。
「DD、私もきみも、正しいと思うことをしている。それだけのことなのだよ」
ドリエルダの視線の先で、タガートは微笑んでいる。
その笑みを見て、ドリエルダは泣きたくなった。
自分の正しさとはなにか。
頭に浮かんだ、自分自身の、その問いに、彼女は答えられなかったのだ。




