真実と事実 1
「あっれえ?」
ピッピが、素っ頓狂な声を上げる。
それほどめずらしいことではないので、ブラッドは無視していた。
が、ピッピに袖を掴まれ、引っ張られたため、しかたなく足を止める。
「遅くなると、シャーリーに嫌味を言われるぞ」
「でも、あれ、DDじゃないスかね?」
言われて、ブラッドは、ピッピの視線の先を追った。
確かに、ドリエルダの姿が見える。
「なんか、こっちに来てないスか?」
「そのようだな」
ドリエルダと会うことは、2度とない。
そう思っていた。
街で会うことはあるかもしれないが、知らん顔をするつもりでいたのだ。
おさまった悪評に火をつけることはない。
ドリエルダとの関わりは、あの夜会で終わらせている。
ピッピに、見習い騎士から聴取をするよう指図はしていたが、それは自己満足のためであり、ドリエルダのためではない。
「ブラッドに会いに来たってことスよ?」
「わかっている」
短く答え、ブラッドはしかたなく、ドリエルダが近づいてくるのを待つ。
もう夕暮れ時だ。
買い出しをすませ、早く屋敷に戻らなければならないというのに。
「会えてよかった」
「会う予定はなかったがな」
「私が頼んだのだよ」
ドリエルダの隣には、タガート・ベルゼンドの姿がある。
心の中で、やはり自分の「読み」は正しかったと、納得していた。
タガートは、ドリエルダに会いに行ったのだろう。
そして、彼女は、タガートを許したのだ。
ブラッドにとっては、予定調和でしかない。
そのため、満足も不満もなかった。
ただ、納得している。
「俺に礼が言いたいのだろ?」
「思った通り、きみは、頭がいい」
タガートは、夜会の日とは違い、ブラッドに敵意を向けては来なかった。
それも、ドリエルダとうまくいっている証だ。
なにも予定から外れてはいない。
にもかかわらず、少し不快な感じがする。
「あ、じゃあ、オレは先に帰ってるっス」
パッと、ピッピが体を翻し、声をかける間もなく姿を消した。
なんという薄情な奴かと思う。
ブラッドには、これといって2人と話す用がない。
タガートに礼を言われる筋でもなかった。
「俺は、これに手を貸したに過ぎん。お前に礼を言われることはしておらんぞ」
「きみは、きみの考えで、彼女に手を貸したのだろう? だから、そのことで礼を言うつもりはない。別件だ」
「そうか」
タガートの言いたいことなら、わかっている。
だが、食い下がられても困るので、聞き流すことにした。
会話を担当するはずのピッピも帰ってしまったし。
「なんでも知ってるって顔してるわよ、ブラッド」
「知っているからな」
「でも、お礼ぐらい聞いてくれてもいいんじゃない?」
少しムッとした様子のドリエルダに、ブラッドもムッとする。
タガートは黙って、肩をすくめていた。
すっかりドリエルダに手綱を取られているらしい。
婚約を解消されても諦めきれなかった女だ。
タガートが、ドリエルダの話を「きちんと」聞くようになったのもわかる。
だが、ブラッドは、そうはならない。
ドリエルダに手綱を取られるなど、ごめんだった。
そもそも、ご機嫌を取るのなんて、ブラッドの性に合わないのだ。
「さっき、この男が言ったことを聞いていたか?」
「聞いてたわよ」
「ならば、わかるはずだ」
「ちっとも、わからないわ」
ドリエルダは、タガートと腕を組んでいる。
夜会では、自分の腕に乗せられていた手だった。
その手を取ることは、もうないと、わかっている。
彼女は、自ら考え、決断をしたのだ。
ブラッドの予測通りに。
これで、懸念も晴れた。
あとは、ドリエルダに、自分たちが無関係となったことをわからせればいい。
街で会うたびに、いちいち声かけられては困るのだ。
いらない噂を立てられるのは、ブラッドにとっても都合が悪かった。
「頭の悪い女だ」
「頭の悪い女だもの」
かぶせるように言って、ドリエルダが、声をあげて笑う。
なにが面白いのか、ブラッドには、それこそ「ちっとも」わからない。
もう、この女は放っておこうと、思った。
関わると、碌なことにはならない気がする。
「礼を言うなら、さっさと言え」
タガートに向かって言った。
隣で、まだ笑っているドリエルダのことは、無視する。
「自分の目と耳をほど、信じるに足るものはない」
「そっちか」
「まぁ、彼女が私の元に戻りたいと言うなら別だ、というのも、悪くはなかった。だが、心に響いたのは、”そっち”さ」
タガートの表情に、迷いはない。
噂に惑わされることはなくなったのだろう。
おそらく、あのジゼルという女を近くに置くのをやめたのではなかろうか。
あの女のせいとばかりは言えないが、元凶のひとつではあったはずだ。
「これからは、自分の目と耳を大事にする。気づけたのは、きみのおかげだ。礼を言う。ありがとう、ブラッド」
タガートに頭を下げられても、嬉しくともなんともなかった。
ブラッドにとっては、単に「読み」が正しかったと報告されているに等しい。
2人が街に来ることまでは予測していなかったが、それはともかく。
「礼などいらん」
「ブラッドって、本当に可愛げないわ」
「お前にも可愛げなどない」
「いや、ブラッド、実は、彼女には可愛らしいところがあってね」
「イチャイチャするのなら、屋敷に帰ってからにしろ」
ほんの少し関わりを持ち、手を貸したことで、面倒くさいことになった。
自分を見捨てて、さっさと帰ってしまったピッピが恨めしい。
あれこれ訊かれる前に、2人とは縁を切るつもりだ。
ブラッドの「読み」では、このあと、一緒に食事でも、とか言い出されることになっている。
あげく、どこの屋敷に勤めているのかとか、料理の腕がどうとか訊かれるに違いないのだ。
ブラッドには、この2人に、これ以上、関わるつもりはない。
また2人がこじれでもしたら、厄介事を再び背負い込むことになる。
少なくとも、ドリエルダは平気で、街で声をかけてきそうだった。
だが、彼女の隣にいるべきなのは、自分ではなくタガートなのだ。
「これで終わりだ。2度と声をかけてくるな。俺は、たいして知りもしない相手に知り合い面をされるのは好まん」
怒るかと思いきや、ドリエルダが、眉を下げる。
寂しいというような、傷ついたような表情に、胸の奥が、ちくりと痛んだ。
その痛みを無視して、ブラッドは2人に背を向ける。
「婚姻の式に、俺を呼ぼうなんぞと考えるなよ」
言い捨てて歩き出した。
ドリエルダから話を聞き、夜会でタガートと会ってから確信している。
トレヴァジルやスペンスに言った通りだ。
2人はなるようになる。
ドリエルダの夢は、結果を回避できないことが多い。
だが、彼女の夢の内容では、2人が別れることは結末とはなっていなかった。
あくまでも、結末は「婚約の解消」であり、ブラッドは、どちらから言い渡すかという部分だけを操作したに過ぎないのだ。
(そもそも別れる2人でなかったのなら、これで軌道修正できたであろう)
彼女に伝えはしなかったが、ピッピからの報告を思い出す。
見習い騎士が、現在、どういう心境でいるのか。
『DDには感謝してるって話っスね。見ず知らずの相手から助けてもらえるとは思ってなかったって言ってたっス。無償の善意があるって信じられるようになったとかなんとか。まぁ、悪くない結果でしょ、これ』
悪くない結果だった。
変えられない結果が多いとしても、なにもしないよりはマシだ。
きっとドリエルダは、十人の内の1人になれる。
ブラッドは、屋敷に向かって歩いていた。
シャーリーに頼まれていた買い出しは、完全に頭から飛んでいる。
「あれは無しかつけられん女だが……願わくは、あれに幸せが訪れるよう……」
ドリエルダの震える体を抱きしめた夜を、ブラッドは、今も覚えていた。




