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優先させるべきなのは 4

 不意に、タガートが、くすくすと笑った。

 滅多に見られないと言っても過言ではない笑いかたをしている。

 

「ど、どうしたの?」

「いや、きみが、私を可愛らしいといった意味がわかった気がして」

「え……?」

「ブラッドにジゼルを誘惑させようとしたって? とてもきみらしくないね」

「それは……まぁ……」

 

 あの時は、タガートからジゼルを引き離すことしか考えていなかった。

 夢の中の出来事とはいえ、彼に突き放されたのも悲しかったし、夜会にジゼルを伴っていたことにも腹を立てていたのだ。

 実際、夢の中では、夜会に乗り込んでさえいる。

 

「なぜかな? 婚約を解消されたというのに、きみが私を手放したがってはいないように感じるのだけれど? 私の勘違いなら、そう言ってくれ」

「……勘違い……ではないわ……」

 

 ふわりと頬が熱くなった。

 恥ずかしくて、タガートの顔を、まともに見られない。

 まだ夢の話だってしなければならないのに、考えがまとまらなくなっている。

 

「確かに、らしくないことをする姿は、可愛らしく見える」

 

 嬉しそうに言われ、いよいよ恥ずかしくなった。

 タガートは、正直に「嫉妬していた」と話してくれている。

 この際、自分も気になっていたことを訊いておくべきではなかろうか。

 

「……ジゼルと、親しい仲だったの?」

「男女の関係という意味で言えば、まったく親しくはない」

「それなら、なぜ私には来るなと言ったのに、ジゼルのエスコートをしていたのか教えてほしいわ。ジゼルに連れて行ってと言われたの?」

 

 ブラッドにエスコートされ、夜会に出席しながらも、ドリエルダは、ほんの少し期待していた。

 タガートが欠席するか、もしくは1人で来ているのではないかという期待だ。

 けれど、夢と同じくジゼルを伴っていた。

 そのことで、ドリエルダは傷ついている。

 

「彼女に、連れて行ってほしいと言われたのは、その通りだよ。言われるまで欠席する気だったのだが、気が変わってね」

「どうして?」

「ジゼルが、きみの噂について否定すると言ったから」

「私の名誉回復のために夜会に行くと、ジゼルは、そう言ったのね?」

 

 タガートが、軽くうなずいた。

 どうやら、彼も、ジゼルの言動を疑わしく感じ始めているらしい。

 ジゼルを擁護する様子はなくなっている。

 

「呆れた……ジゼルが、私を良く言うはずがないわ……」

「さっきの、きみへの態度を見ると、そのようだ」

 

 ジゼルは、タガートの前では「お淑やか」ぶっていた。

 きっと、いかにも「妹を心配している姉」を演じていたに違いない。

 あからさまに、ドリエルダの悪口は言わず、けれど、タガートの耳に悪意のある噂を吹き込んでいたのだ。

 

(でも、ゲイリーが、私とやり直そうとしてるって気づいて、焦ったのね)

 

 そして、ボロが出た。

 タガートが、今まで通り、その言葉を信じると思い、ジゼルは、本性を見せたのだろう。

 見事に、ジゼルの思惑は外れたわけだが、それはともかく。

 

「昔から、ジゼルは、あなたと婚姻したがっていたのよね」

 

 溜め息まじりにつぶやいた。

 知ってはいたが、ここまで執着しているとは思わずにいたのだ。

 なにしろ、つい最近まで、タガートはドリエルダの婚約者だった。

 そのまま婚姻していた可能性だってある。

 

 だが、ジゼルは諦めていなかったのだ。

 まるで、じっと身を潜め、獲物を狙う猛獣のように、本性を隠し続け、彼の(そば)に居続けている。

 普通の貴族令嬢のように、嫁ぎ先を探すでもなく。

 

「勘違いをさせないように気をつけていたつもりなのだが、失敗していたらしい。ジゼルには誕生日の贈り物さえしなかった。私が贈り物をしていたのは、きみだけだったのだよ、DD」

「そうだったのね」

 

 ドリエルダは、言うべきかどうか迷った。

 今さらな話だ。

 ジゼルのことは嫌いだが、告げ口をするのは、気が進まない。

 だが、ドリエルダの表情に、タガートはなにか気づいたのだろう。

 彼女の手を、ぎゅっと握ってくる。

 

「きみがいなくなったのは、12歳の誕生日のあとだった」

「…………そうね……」

「なにかあったのだろう? ジゼルに、なにかされたのかい?」

 

 ドリエルダは、深く息を吐いた。

 それから、小さくうなずく。

 

「あなたにもらったドレスと靴を……ジゼルに取られて……私は、どうしても取り返したかった。だって、次に会う時に、あなたに見せられなくなるでしょう?」

「そうなるとわかっていれば、直接、渡すべきだったな。私は、きみを大事にするよう伯爵に言っていたから、大丈夫たど思い込んでいた」

 

 おそらく、タガートにとって、大事な時期だったに違いない。

 今、ベルゼンドの領民と信頼関係が結べているのは、彼の長年に渡る努力の積み重ねに寄るものだ。

 19歳の頃と言えば、まだ道半ばだったのではなかろうか。

 

 そんな時でも、タガートは忘れずに贈り物をくれている。

 直接、渡しに来なかったのが悪いなどと言えるはすがなかった。

 もとより、あの件で、彼が悪いと思ったことは、1度もない。

 

「私が大人しくしていれば良かったかもしれないわ。ジゼルを突き飛ばしたりしなければ、伯爵に殴られ……」

「殴ったっ? 伯爵は、きみを殴ったのか?!」

「怒らないで、ゲイリー……もうすんだことよ……」

 

 自分のせいで、ベルゼンドの下位貴族であるハーフォークとの関係を崩すわけにはいかない。

 ハーフォーク伯爵家は、ベルゼンド領地で、それなりに力があるらしいのだ。

 ジゼルが得々として語っていたのを覚えている。

 だから、タガートは彼女と婚姻するのが正しいのだと、そう言っていた。

 

「私は、それがきっかけでハーフォークを逃げ出したけれど、シャートレー夫妻に出会えて養女になって、今がある。ある意味では……伯爵のおかげよね。もちろん感謝はしないけれど」

「……ひとつ訊いてもいいかい?」

 

 タガートの訊きたいことが、ドリエルダにはわかっている。

 あまり答えたくない問いとなるに違いない。

 それでも、彼女は、うなずいた。

 

「なぜ……その時、私のところに来なかった?」

 

 思った通りの問いだ。

 ドリエルダは、唇を噛み、しばらく黙り込む。

 けして、彼が「頼りなかった」からではない。

 頼りたかったし、頼ることも考えたのだ。

 

 けれど。

 

「見つかって連れ戻されると思ったからよ」

 

 タガートは、どう思うだろう。

 不安になって、顔を上げようとした。

 そのドリエルダの体が抱き締められる。

 

「きみの言うことは……正しい……あの日、きみがいなくなったと、真っ先に私のところに来たのは、ジゼルだ。彼女は……きみが心配だと言って……」

「私の口から、なにが起きたか知られるのを防ごうとしたのね……」

 

 ドリエルダは、毎日のようにジゼルから言われていた。

 ジゼルの口癖。

 

 『あなたは連れ子だから、いつでも追い出せるのよ? 路頭に迷って、飢え死にしたくないでしょう?』

 

 それが、ドリエルダの頭には、嫌でもこびりついていたのだ。

 もしタガートの元に逃げ込んでいたとしても、ジゼルが「迎え」に来ていたら、きっと本当のことは言えなかった。

 ドリエルダが真実を告げなければ、タガートもジゼルの「心配」を信じていたに違いない。

 

 結果、連れ戻されていた。

 

 その後の自分は、想像したくもない。

 いっそう虐げられていただろうから。

 下手をすれば、本当に殺されていた可能性もある。

 ジゼルにとっても、伯爵家にとっても、ドリエルダは邪魔な存在だったのだ。

 

「きみを守っているつもりで……だが、本当は、私が、きみを危険に(さら)していた」

「ゲイリー……あなたは、私を守ってくれていたわ。大事にしてくれていたもの」

 

 ドリエルダは、タガートの胸に顔を埋める。

 よほど恐怖を感じたのか、怒りからなのか、タガートの呼吸は乱れていた。

 彼の責任ではないというのに。

 

「私の心を守ってくれていたのは、あなたなのよ? あなたが会いに来てくれて、散歩をしたり、話したり、笑ったりしていたから、あの家で耐えていられた。あの日だってね、そうなのよ、ゲイリー」

 

 タガートの背中に手を回し、きゅっと抱き締める。

 タガートは慰めるように(なだ)めるように、褒めるように、ドリエルダの髪を優しく撫でていた。

 その手は大きくなっているけれど、昔と変わらず暖かい。

 

「死んでしまったら、あなたに会えなくなると思って、私は生きようと思えたの」


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