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最悪の果てに 4

 タガートは、ドリエルダのことを考えている。

 そもそも婚約を受け入れたのが間違いだったのかもしれない。

 ドリエルダは、まだ14歳の幼い子供だったのだ。

 断る手立てを考えるべきだったと悔やんでいる。

 

 彼女との婚約の話は、上位貴族であるブレインバーグ公爵から、タガートの父に持ち込まれた。

 シャートレーからの申し出と言われれば、爵位の低いベルゼンドが、否と言えるはずもない。

 父を説得することもできず、自らの立場で物を言うこともできず、タガートは、ドリエルダとの婚約を受け入れざるを得なかった。

 

 すでに彼女の悪評は広まりつつあったが、彼の中には12歳までのドリエルダがいた。

 それもあって、当時は流されてしまったのだ。

 貴族は口さがない者が多い。

 噂は噂に過ぎず、彼女が純粋な女性であることを期待していた。

 

(実際は、噂以上だった。彼女に純粋さなど残ってはいないのだろうな)

 

 屋敷の私室では、暖炉で炎が音を立てている。

 彼は、その炎を眺めていた。

 ある程度の爵位を持つ貴族屋敷では、あまり見ない光景だ。

 

 ここ、ロズウェルド王国は、この大陸で、唯一、魔術師の存在する国だった。

 ベルゼンド侯爵家でも、魔術師を雇っている。

 魔術により、常に屋敷内は適温に保たれていた。

 が、タガートの私室には、その魔術がかけられていない。

 彼自身が、望んだからだ。

 

 魔術は便利なものだし、タガートも必要に応じて魔術師を使う。

 とはいえ、不自然さを感じるのも確かなのだ。

 冬なのに、室内が春のような温かさになっているのは、どうにも気持ちが悪い。

 

 その不自然さは、街に出れば、すぐに気づく。

 街では、基本的に、どういった類の魔術も使われていなかった。

 当然、ベルゼンド領でも、そうだ。

 民は、涼しい服装や重ね着などで、暑さ寒さをしのいでいる。

 

 広範囲に及ぶ気候を操るのは、特殊な状況を除いて行われることはない。

 (ひでり)や大雨といった災害に繋がりそうな場合には、王宮から大勢の魔術師が、その地に派遣される。

 領主は領地の見回りをし、危険な兆候を感じれば、王宮に請願を出すのだ。

 遅れれば、王宮からの支援も遅れ、被害が拡大する。

 

 その請願も領主の仕事のひとつ。

 タガートは、領地を回るのが好きだった。

 民と話をし、相談に乗ったりもする。

 ベルゼンドが良い領地だと言われるのが、彼の誇りなのだ。

 

 ドリエルダが昔のような純粋な心の持ち主だったなら、2人で支え合い、領地を治めていけると思っただろう。

 だが、彼女は王都での華やかで、きらびやかな暮らしを好んでいる。

 侯爵夫人としての務めを果たせるとは、とても考えられない。

 

「タガート様、あの子は公爵家の贅沢な環境に、物事の判断ができなくなっているだけですわ。ここに戻れば、以前のあの子を取り戻せるかもしれません」

 

 声にも、タガートは振り向かなかった。

 ハーフォーク伯爵家の次女、ジゼル。

 以前は、ドリエルダの姉でもあった女性だ。

 ジゼルは、ドリエルダとの婚約後も、頻繁に侯爵家を訪れている。

 

 妹を心配しているらしかった。

 いつも、不安げな様子で、ドリエルダの近況を語る。

 悪い噂を聞いては怯えているのだ。

 

「どうかな。1度、贅沢に慣れてしまうと、元の生活に戻るのは難しいだろうね。もっとも、ここで同じ暮らしを望まれても迷惑だが」

 

 ベルゼンド侯爵家は、数ある侯爵家の中でも、比較的、裕福なほうだ。

 だとしても、シャートレー公爵家とは「桁」が違う。

 同じように贅沢三昧をされては、税を納めてくれる民に申し訳が立たない。

 貴族の生活は、妻のネックレス1個にいたるまで、税で賄われるのだから。

 

「贅沢がしたいのなら、公爵家の者と婚姻すればいい」

「まぁ、そんな……あの子はタガート様を慕っているのです。どうか、そのようなことは仰らないでやってくださいませ」

 

 ジゼルにとりなされても、タガートの心には響かなかった。

 ドリエルダに「慕われている」と思えたのは、彼女が12歳までのこと。

 最早、彼女が自分をどう思っているのかも、わからずにいる。

 

「ベルゼンドが、彼女の嫁ぎ先として分不相応なのは、きみにもわかるだろう?」

「ですが……シャートレー公爵家側が望まれたことですもの……」

 

 タガートは、きつく唇を噛みしめた。

 暖炉の中の薪が、小さく音をたてて爆ぜる。

 

 そもそも、上位貴族との婚姻では、男性が養子に入るのが、一般的だった。

 さりとて、タガートもベルゼンド侯爵家の1人息子であり、唯一の後継ぎ。

 相手がシャートレー公爵家であっても、養子には入れない。

 そんなことをすれば、たちまちベルゼンド侯爵家は消滅してしまう。

 

 もちろん、シャートレー公爵家に挨拶に行った際、その話はしていた。

 が、シャートレー夫妻は、家督は双子の弟の血筋に譲ればすむと、ドリエルダが嫁ぐことに、なんら躊躇(ためら)いを見せなかったのだ。

 最も大事なのは「娘の気持ちだから」と。

 

「それほどに、あの子がタガート様を慕っているという証ではありませんか。そうでしょう? それに、シャートレー公爵夫妻は素晴らしい方々だと、みんな、口を揃えて話しております」

「夫妻に関しては同感だね」

 

 シャートレー夫妻は、まさに「シャートレー」らしい雰囲気をまとっていた。

 顔を合わせたのは数回だが、信頼に足ると感じている。

 王族からの信頼も厚く、歴代の王族護衛騎士隊長は、ほとんどがシャートレーの家から輩出されていた。

 

 民が領地を移動する際の候補地としても、一大観光地であるサハシーの次に名があげられるほど人気が高い。

 民からも信頼を寄せられているという証だ。

 

 シャートレーは、真面目で礼儀正しい。

 融通が利かない部分もあるが、正直で卑怯な真似はしない。

 損得より情で動くことも多々あり、清廉な生きかたを好む。

 

 それが「シャートレー気質」と言われていた。

 

 タガート自身、シャートレー夫妻には、その「気質」を見ている。

 あの2人が、おかしな育てかたをするとは思えなかった。

 養女ではあれ、1人娘だ。

 可愛がり、甘やかしたということはあるだろう。

 だとしても、彼女の変わりようは、けして良い方向のものではない。

 

「だが、私はシャートレーになるのではない。彼女の夫になるのだよ、ジゼル」

 

 自分がドリエルダに感じた気高さこそが、勘違いだったのかもしれない。

 彼女には、卑屈になったり、人を羨んだりする原因が山ほどある。

 ハーフォーク伯爵家にいた頃は、それらを甘んじて受け入れざるを得なかった。

 が、公爵家の養女となり、当時の反動から性格が歪んだということは有り得る。

 

 みすぼらしいドレスしか着られなかったから贅沢なドレスをと望み。

 差別をされていたから、差別を仕返し。

 いつも1人だったから、周りに人を(はべ)らせる。

 

 今や、彼女は、そうしたことを自由にできる身となったのだ。

 今まで抑圧されていたものから解放されたとは言えるだろう。

 そうとでも考えなければ、ドリエルダの「奇行」は、あまりにも酷い。

 彼が見てきた彼女とは、すっかり別人になっていた。

 

 彼の慈しんだドリエルダは、もういないのだ。

 

 タガートは、大きく息をつく。

 それから、やっとジゼルのほうに顔を向けた。

 ジゼルは、今日も不安そうな表情を浮かべている。

 元とはいえ、妹の「奇行」に心が休まる時がないのだろう。

 

(4年、待った。きみが元のきみに戻るのを、私は待っていた)

 

 彼女がシャートレー公爵令嬢として現れてから2年。

 婚約してから、さらに2年。

 

 その間、彼はドリエルダに、ことのほか厳しくしてきた。

 ほかの者が厳しくできないのなら、自分がする。

 自分の言うことであれば耳を貸してくれるはずだ。

 そう信じ、あえて厳しく接して、ドリエルダが変わるのを待っていた。

 

 けれど、結果は芳しくない。

 ドリエルダと会う回数も、段々に減っている。

 ここ1年は、月に1度会うか会わないか、といった具合だ。

 夜会のエスコート役を頼まれた時くらいしか会っていない。

 

 しかも、その途中で姿を消したことも1度や2度ではなかった。

 誰となにをしていたのかは、訊いていない。

 わざわざ問い(ただ)すまでもなかったし、問い質すのも嫌だったからだ。

 己の身が、下位貴族であることを痛感して、惨めな気持ちになる。

 

「タガート様……もし、もしも……婚約の解消を考えておられるのなら、もう1度だけ、あの子に機会を与えてやってくださいませ」

 

 ジゼルの言葉に、タガートは心を動かされた。

 考えてもいなかったことが、頭に浮かんだのだ。

 ジゼルはうつむき、細い肩を震わせていた。

 安心させるため、その肩に両手を置き、タガートは静かに言う。

 

「わかったよ、ジゼル。やるだけのことは、やってみなければね」


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