優先させるべきなのは 3
タガートは、心から安堵している。
ジゼルから噂話を聞いていた話をするのは、本当に恥ずかしかったのだ。
ある意味では、卑劣だと取られてもしかたがない。
しかも、その噂を真に受けて、彼女に厳しく当たっていた。
「本当に、すまなかった」
「いいのよ、ゲイリー。あなたが、そういうことをするなんて、意外だわ」
「それは、まぁ……」
はっきり言って、タガート自身、自分らしくない真似をしていた、と思う。
けれど、ほかに手段がなく、ジゼルから情報を得るしかなかったのだ。
そうまでしても、ドリエルダのことを知りたかった、というのもある。
「呆れられたかな?」
「いいえ、ただ……」
「ただ?」
きっぱりジゼルを撥ね付けたことよりも、ドリエルダに、どう思われたかが気になる。
今のタガートは、ジゼルの言葉にも、感情は揺らがなかった。
なのに、ドリエルダの、たったひと言には、心が揺らぐ。
「あなたが、ちょっぴり可愛らしく思えたわ」
「可愛らしい、だって……?」
ドリエルダが、くすくすと笑っていた。
婚約していた時とは違い、彼女は、よく笑顔を見せてくれる。
それだけでも、正しい方向に進んでいる気持ちになれた。
「それほど、私を気にかけてくれていたということでしょう?」
タガートは、どう答えていいのかわからず、軽く肩をすくめる。
ドリエルダの言う通りだったのが、気恥ずかしかったのだ。
そのドリエルダの顔から、笑みが消える。
「……そんな呑気な話ではないわよね。私がゲイリーに会いに行っていれば防げたことだもの。貴族同士でも会うのが難しいと知っていれば……」
シャートレーの養女になり、彼女は、タガートに手紙を出している。
手紙には「会いにきてくれますか」と書かれていた。
その頃は、すぐに会えると思っていたのだと、ドリエルダが言う。
だが、タガートが会いに行かなかったため、ドリエルダは怯んだのだそうだ。
「会いたくないのかもとか、忙しくて無理なのかもとか、思っていたの……でも、会いに来てくれなかったのではなくて、会いに来られなかったのね……」
「きみが知らなくても当然さ。それに、手続き的なことだけではなく、上位貴族がブレインバーグだというのも大きな理由でね」
「ブレインバーグ公爵が“ああいう”人だから?」
「そういうことだ」
その頃のタガートの立場で、ブレインバーグ公爵に頼むのは難しかった。
加えて、ブレインバーグ公爵は「ああいう人」だ。
なにかを頼めば、見返りを要求される。
彼は、己の領地や領民を大事にしていた。
そのため、ほんのわずかにも、弱みは見せられなかったのだ。
もちろん、12歳のドリエルダには、彼の状況を知る由もなかった。
貴族教育だって受けてはいなかったのだから、ハーフォークにいた頃のように、タガートが会いに来てくれると思っても不思議ではない。
「これは、お互いさまということにしておこう」
「私のほうが悪かった気もするけれど、いいわ、あなたがそう言うのなら」
過去に起きた悪い出来事が、2人の関係を変えてしまった。
けれど、少しずつ、修復されていくのを感じる。
もっと早く話していれば良かったのかもしれない。
とはいえ、ジゼルに言ったように、婚約解消という現実がなければ、自分は目を覚ますことができなかっただろうとも思った。
「ところで、ブラッドの話をしようとしていたところだったね。邪魔が入ったが、続きを聞かせてくれるかい?」
タガートの言葉に、ドリエルダが、うなずいた。
些細なことであれ、ひとつずつ、正していく必要がある。
現状の穏やかさから、解決したとしてしまうのは危険だ。
ドリエルダとやり直すためには、曲がった道をまっすぐに戻さなければならない。
「さっき、ジゼルの言っていたことは、ほとんどが間違っているわ。でも、私が、ブラッドを雇うつもりで街に行ったのは本当よ」
最初はブラッドに断られたため、街に通っていたことや、怪しい2人組に襲われかけたことなどを、ドリエルダが話す。
「では、夜会で話していたという、彼に助けられたことは事実なのだね」
「そうよ。ブラッドに助けてもらったの。運命の相手との出会いというのは、脚色だけれど」
「それが聞けて、安心した」
ドリエルダは、ブラッドと親密な仲ではなかったようだ。
そのことに、本気で安心している。
タガートから見ても、ブラッドは羨望の的になるであろう人物だった。
爵位など関係はない。
ブラッドには、そこらの貴族子息が持ちえない威厳がある。
「私……あなたが、夜会でジゼルのエスコートをするのが、嫌だったの。邪魔してやろうと思って、ブラッドに誘惑してほしいと頼んだわ」
「本当に?」
「本当よ。周りが、どう噂するかも、わかっていたのよ。きっとジゼルのほうが、あなたに相応しいと言われていたわ。私は悪評のある嫌われ者だったから」
ドリエルダが、しょんぼりと肩を落としていた。
タガートは、ジゼルからドリエルダの悪評について聞かされてはいる。
とはいえ、それほど深刻だとは思わずにいたのだ。
彼女が「上位貴族への面会手続き」を知らなかったように、タガートも、女性の噂話の力を知らずにいた。
「それでは……もしかして……」
「ええ……あなたが私との婚約を解消するつもりだということが、噂になるのは、目に見えていた」
「なんということだ……私が、きみを追い込むことになっていたのだね」
上位貴族が申し入れた婚約を、下位貴族が解消する。
そのための理由を、タガートは無自覚に作っていたのだ。
王族主催の夜会に婚約者ではなく、別の女性を伴うことで。
「それは違うわ、ゲイリー。私は、自分で自分を追い込んでいたのよ。そもそも、悪評がなければ……たとえ、あなたから……婚約を解消されるという噂が出ても、家名に傷がつくようなことにはならなかったもの」
「私は……前にも言ったが、きみに関心を持たれていないと思っていた。だから、きみを試すような真似をして……婚約の解消など考えてもいなかったのに、本当に馬鹿な男だ」
ドリエルダは違うと言ったが、彼女を追い込んだのは、やはり自分だと思う。
そのせいで、ブラッドを雇おうとして、さらに悪い事態を招いた。
彼女が「男を買った」という噂は、そもそも、自分の行動が引き金になって出たものだったのだ。
「でも、ブラッドから、それでは解決にならないと言われて……」
「円満な婚約の解消の方法を取ることにしたのだね」
「ええ……ベルゼンドもシャートレーも、傷つかずにすむように……」
ブラッドは頭がいい。
ジゼルは平民だのと言っていたが、よほど貴族のことも、よく理解している。
恋敵だとの気持ちは残っているものの、感心せずにもいられなかった。
彼らが、なにをすれば、どう動くか。
どういう時に口を閉ざし、なにが起きれば口の滑りが良くなるか。
自分たちを、どう見せるべきか。
すべて計算ずくだったのだろう。
タガートも、ブレインバーグ公爵のような貴族たちと渡り合ってはきたが、まだ経験不足だった。
そのせいで、やりこめられることも多い。
(私は、自分が下位貴族だからしかたがないと諦めていたこともあったが……)
ブラッドは、爵位もなしに、平然と彼らを手玉に取っている。
王族とのツテがあったのは大きかったかもしれない。
だとしても、それを上手く使えるかどうかは別の話だ。
「それに……私も……あの……あなたを、試したわ……騙すつもりはなかったの。でも……ブラッドに、あなたが、必ず私を訪ねて来るって言われて……」
「DD」
タガートは立ち上がり、ドリエルダの隣に腰かける。
彼女の手を取り、その甲に唇を押し当てた。
「待っていてくれたのだね」
「ゲイリー……私……」
「騙されたとは思わない。元々、私が間違っていた」
ドリエルダの髪を、そっと撫でる。
夜会が終わったあと、婚約の解消の通知を、タガートは、受け取った。
それから、何日も悩んだのだ。
「私は、きみを失いたくないと思ったよ。誰にも奪われたくない、とね」
タガートは、そう結論づけている。
だから、承諾書を持ってきた、なんていう口実を作ってまで、ドリエルダに会いに行ったのだ。
彼女の心はブラッドのものであり、自分の元にはないと、思いながらも。
「夜会のことがなければ、未だに、私は、きみに、つらくあたっていただろうね。婚姻しても変わらなかったかもしれない」
自嘲気味に、心の裡を明かす。
そして、小さく笑った。
「頭を、ガツンとやられたよ」
あの日まで、タガートは、ドリエルダから婚約を解消されるとは思わずにいた。
その理由に、今さらに気づく。
「きみは、これを、ずっとつけていてくれたのに」
タガートが婚約の際に贈った、ネックレス。
タガートにすれば精一杯の贈り物ではあったが、公爵家の令嬢が身につけるものとしては、少し貧相だ。
だが、彼女は、どんな夜会の日にも、このネックレスをつけてくれていた。
別のものを身につけていたのは、婚約解消のきっかけとなった夜会だけ。
(きみは、ちゃんと心を示してくれていたのだね、DD)
タガートは、もう1度、ドリエルダの手に口づけを落とす。




