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優先させるべきなのは 1

 昼食後、タガートは、ドリエルダと一緒に屋敷に戻っている。

 子山羊を見に行ったのは、ほかよりも屋敷に近い土地だ。

 それで思い出したことがあった。

 

 魔術師に模画(かたが)という魔術を頼み、子山羊の写真を撮らせたことがある。

 模画は、見ている光景を写真に撮ることのできる魔術だった。

 その後も、ドリエルダに見せたくて、あれこれと撮っていたのだ。

 見せる機会を失っていたという話から、一緒に見ようという話になった。

 

「これが毛刈り? 羊は暴れていないようね」

「相手が手慣れているとわかっていれば、なすがままという感じさ」

 

 テーブルを挟み、2人は向い合ってソファに座っている。

 そのテーブルに、何枚もの写真を広げていた。

 ドリエルダは楽しそうに、その1枚1枚を見ている。

 彼女の問いに答えるのを、タガートも楽しんでいた。

 

 まだ訊けずにはいるが、ドリエルダの噂の信憑性が疑わしくなっている。

 彼女が、華やかさを好んでいるようには思えなくなっていたからだ。

 遠乗りをするのに適した服装も、けして派手ではない。

 飽きた様子もなく、毎回、嬉しそうに、あれこれと訊いてくる。

 

 こうして会うようになってからは、1度も、街に行きたいとか夜会に行こうとは言われていない。

 もちろん、会っていない日に、ドリエルダがなにをしているかは知らずにいる。

 だが、訊く必要はないという気がしていた。

 

 やはり「貴族らしく」振る舞おうと、無理をしていたのではないか。

 そう思えてならない。

 一緒に過ごしている彼女の、どこにも嘘は感じられないのだ。

 領民と親しげに話す姿は、演技には見えなかった。

 

(私は慣れているから平気だが、女性に、あの臭いは耐え難いだろう)

 

 羊や牛などの飼育小屋は、どうしたって臭いがきつい。

 動物たちが病気にならないよう清潔にしていても、いろんな臭いが入り混じっているからだ。

 ドリエルダは馬に乗るが、その世話は、たいてい馬丁が行う。

 厩舎まで行くことは、ほとんどないはずだった。

 

 けれど、彼女は嫌な顔をすることもなく、山羊の乳搾りにまで挑戦している。

 うまくできなくて笑われても、一緒になって笑っていた。

 それらが偽物だとは、どうしても思えないのだ。

 

「私がいなくなってからも、写真を撮っていたの?」

「ん? ああ……まぁね。きみが帰って来た時に見たがるかもしれないと思って」

 

 ドリエルダがハーフォークからいなくなった時、領地のことがあったため、捜索に時間を割けなかった。

 タガートは、14歳になって以降、領民と接する機会を増やしていて、彼らとの信頼関係を取り戻しつつあった頃でもある。

 

 当時、彼は19歳だったが、当主でもなかった。

 完全な信頼関係を築けてもいない状態で、私心によって、領民に指図することはできなかったのだ。

 そのため、なんとか時間を作り、1人で探し回っていたのだが、限界はある。

 ドリエルダを探しきれなかったのを、彼は悔やんでいた。

 

「……私に腹が立ったでしょう?」

 

 写真を手に、ドリエルダがうつむいている。

 タガートは、取り繕おうとは思わなかった。

 

「もちろん、ひどく腹を立てていた。きみのことを心配していたからね」

「ごめんなさい、本当に……」

「だが、腹が立っていたのは、自分の不甲斐なさもあるのだよ、DD」

 

 ドリエルダを気にかけていたし、大事でもあったが、結局のところ侯爵家の当主としての立場を優先せざるを得なかったのだ。

 もっと早く、領民の信頼を得られていれば、協力を頼めたかもしれない。

 彼女を探すこともできない自分の力のなさが、腹立たしかった。

 

「きみに再会した時に腹が立ったのは、私が卑屈になっていたせいさ」

「なぜ、卑屈になる必要があるの? あなたは立派にベルゼンドを立て直したわ」

 

 タガートは、ドリエルダの純真な瞳に、苦笑いをもらす。

 自分は彼女が思ってくれているような「立派」な人物ではない、と思っていた。

 

「私は、きみを守っている気になっていた。だから、あの時……シャートレーで、きみと再会した時、私にはきみを守る力などない、きみには、私よりもずっと力のある人たちがいる、とね。それで、きみに八つ当たりじみた腹立ちを感じていたのだから、どうにも情けない話だろう?」

「それほど、私を心配してくれていたということでしょう? なのに、私が呑気に姿を現して……腹が立つのも当然だわ」

 

 ドリエルダが、テーブルから、何枚かの写真を手に取る。

 それを見ながら、少し寂しげな表情を浮かべた。

 

「ずっと、私のために撮り続けてくれていたのね。それぞれ時期や年が違うもの」

「そのくらいしかできることがなかっただけだよ」

 

 本当に、それくらいしか、できることがなかったのだ。

 行方がわからない間は、彼女の安否を気にしながら。

 養女になったのがわかったあとも、どこでどうしているのかを案じながら。

 ドリエルダと再会し、無事がわかるまで、タガートには取れる手立てが、なにもなかったのだ。

 

「だが、こうして見せることができて、無駄にはならなかった」

 

 ドリエルダが写真を手に、うなずく。

 その表情が、なんとなく硬くなっているように見えた。

 とても真摯なまなざしを、タガートに向けている。

 だが、その瞳は、小さく揺れていた。

 

 タガートは、心の中で、ハッとする。

 夜会の前の時と同じだ。

 彼女は、なにかとても大事な話をするつもりでいる。

 そう感じた。

 

 だから、黙ってドリエルダの瞳を見つめ返す。

 嫉妬により衝動的になって、彼女を傷つけてしまったことを忘れてはいない。

 同じ間違いはしたくなかった。

 ドリエルダが話してくれるのを、じっと待つ。

 

「……話し易いところから、話してもいいかしら?」

「かまわない。きみが話したいように話してくれ。今度は、ちゃんと聞くから」

 

 ホッとしたように、ドリエルダはうなずいた。

 どういった話かは、わからない。

 耳の痛い話もあるかもしれない。

 だが、これほど、彼女は真剣になっているのだ。

 聞かないとの選択肢はなかった。

 

「まず……ブラッドのことなのだけれど……」

 

 どくっと、心臓が鼓動を打つ。

 あの夜会以降、ブラッドの名が、ドリエルダの口から出ることはなかった。

 うまくいかず、終わったのだろうと思っていたが、確証はない。

 胸が、じりじりと痛んだ。

 それでも、自制心をかき集めて、軽くうなずくだけにしておく。

 

「実は、彼……」

 

 バタン!

 

 音に、扉のほうを見た。

 タガートが、なにを言う前から、その人物が私室に入って来る。

 

 ジゼルだ。

 

 無性に腹が立って、彼はソファから立ち上がる。

 来客中だというのに、なんの断りもなく入ってくるなど無礼にもほどがあった。

 これまで大目に見てきたのは、ジゼルに対しての負い目があったからだ。

 ジゼルの妹を思いやる気持ちを利用しているとの罪悪感から、強く拒絶できずにいた。

 

 それは、今もある。

 ドリエルダとの関係が修復できそうだから、ジゼルは用無し。

 そんなふうに、タガートは割り切ることができない。

 だとしても、これは、あまりに不躾に過ぎる。

 

「ジゼル、私たちは大事な話の途中だ。出て行ってくれ」

「タガート様、私は、その大事な話をしにまいりました」

「きみから聞く必要はない。彼女に聞けばすむことだ」

「この子は本当のことを話しはしません。タガート様は騙されておいでなのです」

 

 タガートは、ジゼルを早く追いはらいたかった。

 だが、出て行けと、彼が怒鳴る前に、ジゼルが言う。

 

「あのブラッドという男は平民にございました。王宮で料理人をしていたのは事実でしょうけれど、貴族ではありません。この子は、あの男を買ったのです。そしてタガート様に当てつけるために、エスコート役を務めさせたのでしょう。さすが、男性の弄びかたを心得ているとしか言いようがありませんわ」

 

 ブラッドが平民だったということに、タガートは驚いていた。

 身なりだけではなく、ブラッドは、雰囲気も振る舞いも堂々たるものだった。

 王族相手だろうが、思ったことを言う。

 そんなブラッドに、なおさら嫉妬したのだ。

 タガートの混乱をよそに、ジゼルが言い募る。

 

「あの夜会でのことは、すべて、この子の策略だったのです。タガート様のお心を乱し、取り戻そうとしたのでしょう。そして、まんまとタガート様は罠にかかってしまわれました。お分かりですか? この子は、タガート様を騙していたのです」

 

 ジゼルの話は、ある程度の筋が通っていた。

 納得できる部分も少なくない。

 ジゼルは、これ以上、タガートが騙されることがないようにと、無礼を承知で、割り込んできたらしい。

 

 タガートは、ジゼルからドリエルダへと視線を移す。

 ドリエルダが顔を真っ青にして、震えていた。

 ジゼルの言ったことは、あながち間違いではないようだ。

 

「そういうことだったのか。よくわかったよ、ジゼル」

 

 ジゼルが、ホッとしたような表情を浮かべる。

 体を縮こまらせているドリエルダを見ながら、それでも、タガートはひどく腹を立てていた。


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