新たな時を動かして 4
「このチーズ、すごく美味しいわ。いつも食べているものと違う気がするけれど、なにか秘密があるの?」
「秘密というより、保存方法や輸送の問題だろうね」
「それで、これほど差が出るなんて、もったいないわ」
ドリエルダは、タガートと一緒に、領民の家に来ている。
家人は、2人に食事を出したあと、別の部屋に移っていた。
けして、豪勢とはいえない、素朴で質素な昼食となっている。
それでも、ドリエルダに文句はない。
生野菜を齧っていたことさえあった彼女には、慎ましい食事も、ありがたく感じられるのだ。
シャートレーの養女になっても、そうした気持ちは変わらない。
「これで、彼らは納税をしている。それをベルゼンドが金に換え、ブレインバーグに納めているというわけさ」
「それだと、ブレインバーグは、なにもせず、お金を受け取っているわけ?」
苦労をしているのは、領民と下位貴族だけに思えて、思わずムッとする。
山羊の乳搾りも簡単ではないのだ。
さっき、自分でやってみて、わかった。
タガートは慣れた手つきだったが、見ているほど楽ではない。
「なにもしていないわけではないよ。公爵は、王宮の重臣だからね。我々の請願が通るかどうかは、公爵の手腕にかかっている」
「公爵の役割は政ということね」
「その通りだよ、DD。彼に力がなければ請願も通りにくくなる。王宮の裁定は、いかに、ほかの重臣を巻き込めるかが大事なようだ。私も、たいして政には詳しくないが、公爵の狡猾さも……まぁ、無益とは言い切れないのさ」
あの「贈り物」の件があって以来、ブレインバーグ公爵には良い印象を持てなくなっている。
だが、タガートの言うように、政の能力として狡猾さも必要なのだろう。
彼女が好むかどうかはおいておくとしても。
(ゲイリーも、あの人を好きじゃないんだわ。でも、従わざるを得ないのね)
ブレインバーグ公爵に盾突けば、請願を通してもらいにくくなるかもしれない。
そうなって困るのは領民たちだ。
タガートは、彼らのために、我慢している。
婚約を拒否できなかったのも、同じ理由に違いない。
「……私のせいで、困ったことになっていない?」
「それに関して言えば……きみの決断に、私は救われたと言えるね。シャートレー側から言い渡されたのでは、公爵も口出しはできない」
それでも、きっと散々なことを言われたのではなかろうか。
あんな嘘までついて、ドリエルダとタガートを婚約させたのだ。
解消となれば、タガートが責められていないはずがない。
「ゲイリー……私……」
「あの婚約を続けているより、私は、今こうしてきみとチーズを食べていることのほうが楽しい。きみは、どう思う?」
タガートが、パンにチーズを乗せ、口に運びながら言う。
ドリエルダは、その姿に、くすくすと笑った。
最近のタガートは、婚約していた頃とは違う。
優しくなっただけではなく、気取りのない姿も見せてくれるのだ。
「確かに、そうね。今のほうが、ずっといいわ」
ドリエルダも貴族令嬢らしくなく、大きな口を開け、パンを口にする。
とろりとしたチーズが、とても美味しい。
食べながら、ふと疑問に思った。
「あまり言いたくはないけれど、ハーフォーク伯爵は、どういう立場なの? ブレインバーグ公爵の役目はわかったわ。でも、伯爵は、ベルゼンドの下位貴族よね? あなたが、こんなに働いているのに、あの人が働いているところなんて見たことがなかったわ。いったい、なにをしているの?」
冬場なので、少し厚目の生地だが、比較的、気軽な貴族服を、彼は着ている。
派手さはなく、実用一辺倒といった服装だ。
貧相には見えず、似合ってはいるものの、タガートが慎ましい暮らしをしているのが、よくわかる。
対して、ハーフォーク伯爵は、分不相応なほど派手好み。
子供の頃の印象しかないため、若干、偏見が入っているかもしれないが、とても慎ましいとは言い難い。
そして、領地や領民を気にかけていると感じた記憶もなかった。
ドリエルダの憤慨している口調に、タガートが笑う。
「きみが、私のために怒ってくれるのは嬉しいがね。本来、領主というのは、書類仕事のほうが多いのだよ。領地に出向くのは、年に数回の視察くらいのものさ」
「ゲイリーは好きでやっているけれど、ほかの人はそうではないのね?」
「労働は民がしていて、その手伝いや労働力不足を補っているのは男爵家になる。伯爵家は任されている領地の管理が、主な役割だ。まぁ、揉め事が起きた際の仲裁などだね」
ふぅん、とドリエルダは納得したような、しないような気分。
ハーフォーク伯爵が、そうした役割を果たしていたようには思えなかったのだ。
(いい記憶がないせいで、偏見が過ぎるのかも)
そう自分に言い聞かせ、釈然としない気分を、なんとか押し込める。
正直、ハーフォーク伯爵家が嫌いだった。
とはいえ、今はもう虐められることはない。
殺されるかもしれないとの不安もないのだ。
いつまでも彼らを悪く思うのは、心が狭いことではなかろうか。
ジゼルには、未だに嫌な態度をとられているが、それはともかく。
あまり悪いほうに見ないようにしようと思った。
ハーフォークは、ベルゼンドの下位貴族なのだ。
タガートにとって、ないがしろにできない存在には違いない。
けれど、ドリエルダは気づいている。
ここ何度か、領地を案内してもらっているが、ハーフォークには行っていない。
ドリエルダが、ハーフォークに良い思い出がないと知っているからだ。
気を遣ってくれているのだろう。
「もしかして、書類仕事から逃げたくて、領地に来ているのではないの?」
タガートが、そんなことを考えるはずはない。
わかっていて、冗談めかして言った。
もうハーフォークのことで、気分を盛り下げていたくなかったからだ。
タガートの口元が、やわらかく緩められる。
「彼らとは話ができるが書類とは会話ができない。つまらなくなって逃げ出したくなってもしかたないさ。せめて、サインが曲がっているとか読み残しがあるとか、文句のひとつでも言ってくれると楽しめるだろうに」
「あなた、冗談がうまくなっているわよ?」
顔を見合わせて、笑った。
執務室にいる時とは違い、タガートも肩の力が抜けているらしい。
今のように、時々は、冗談も言う。
言ったあと、必ず、視線を外すのは、恥ずかしくなっているせいだ。
(言い慣れていないから、私に“引かれる”って心配になるのね)
ドリエルダは、元々、平民の出だ。
ハーフォークでは貴族教育を受けていなかったため、俗語とされている民言葉のほうが、親しみがある。
けれど、シャートレーの養女になってからは、ほとんど使わずにいた。
両親に恥をかかせるのを恐れたからだ。
とはいえ、心の中は別。
誰にも知られないので、民言葉が浮かんで来たりする。
うっかり口に出さないように注意はしていたけれども。
「私が、正式にベルゼンドの当主になったら、領地改革を行うつもりでいる」
「領地改革?」
「それほど大事にする気はないが、領地配分の見直しをしたり、その仕事に向いた者の登用をしたり、といったところかな。役目には、それぞれ向き不向きがある。今のままでいいとは思えなくてね」
タガートの瞳には、力強さがあった。
この地をどのようにしていくか、彼には夢があるのだ。
昔から、タガートは、領地や領民を大事にしている。
今は、領民との信頼関係を築けているとの自負もあるに違いない。
「もっと、この地を良くしていけるわ、あなたなら」
「だといいけれど……」
言葉を切り、タガートが、ドリエルダを見つめてきた。
なにか言いたそうにしている。
辛辣な言葉を放つ彼に躊躇はなかった。
なのに、逆の言葉を口にしようとすると、躊躇うらしい。
「この先……どうなるかはともかく……」
タガートの耳が、わずかに赤くなっている。
ドリエルダは、タガートがなにを言いたいのかわからず、きょとんとしていた。
「まぁ……その……くだらないこだわりに過ぎないのだが……つ、妻の実家に……無心をするような男にはなりたくなくてね」
言葉の意味を理解するのに、少しだけ時間がかかる。
その間にも、タガートが狼狽えたように言った。
「い、今のは、私個人のこだわりというか……堅物男の考えそうなことだろう? けして、きみに……意識させようとか、そういうつもりは……なくて、だね……」
「ゲイリー、あなたは、本当に真面目だわ。この先、どうなるか、わからないけれど、あなたにこだわりがあるということは、覚えておくわね」
将来、彼とベルゼンドの領地をともに支えていくことになる可能性はある。
そうでなければ、タガートと、一緒に過ごしてはいなかった。
彼から望まれた「機会」なんて与えずにいたはずだ。
だとしても、今は彼の気持ちに応えるべき時ではない。
なにしろ、夢の話を語っていないのだから。
ドリエルダは「人助け」をやめられない。
それを自覚している。
だからこそ、その話をし終えるまで、決断はできないのだ。




