新たな時を動かして 3
久しぶりに、空が晴れている。
晴れているといっても、夏のような青さはない。
雲が薄く、灰色に見えないといった程度の「晴れ」だ。
ブラッドは、カフェで紅茶を飲んでいる。
ひと月半前、ドリエルダに声をかけられた場所だった。
あれから、彼女の新たな悪評は聞かない。
夢を見ていないのだろう、と思う。
「昼間だってのに、黄昏時みたいな顔してるっスよ」
ピッピに指摘され、ムっとした。
訊かされた報告が良いものとは言えなかったのだから、しかたがない。
憂鬱な気分にもなる。
「DDは、どう思うっスかね?」
「どうとも思わん」
「ああ、言う気ないって、話っスか」
「そうだ」
「そっスか」
ピッピの口調に、含みを感じた。
気に入らないという意思を、わざと伝えてきているのだ。
言葉だけは肯定しているものの、返事としては否定している。
ブラッドの周りで、彼に物申すのは、ピッピとシャーリーくらいだった。
だからこそ、ローエルハイドの勤め人をしているのだし、ピッピを、最も近くに置いてもいる。
ブラッドは、自分の考えがすべて正しいとは思っていない。
むしろ、先読みが過ぎるのを危険だと考えていた。
ともすれば、客観性を失い、自己判断のみに頼ることになるからだ。
情報を集め、推測をする。
しようと思っていなくても、勝手に頭が答えを弾き出す。
そして、ほとんど「外れ」はない。
ブラッドにとって、いつでも結果は見えている。
だからこそ、危険。
自分で自分を止めるのは難しいのだ。
その危険すらも、ブラッドは加味しているのだが、それはともかく。
「あえて言う必要があるか?」
「自分のしてることが無駄だってわかれば、やめるでしょ?」
「無駄とまでは言えんだろ」
「得るものと失うものの大きさを比べると、無駄っスね」
ピッピが正しいと、わかってはいる。
ブラッドだって、結果だけを見るならば、無駄だと切り捨てていた。
ドリエルダは、およそ「無」しかつけられない女なのだ。
だとしても、彼女自身を否定したくはないと感じている。
己の正しさをまっとうしようとする姿が、ブラッドの感情を動かしていた。
結果だけを見れば間違っているかもしれない。
無駄かもしれない。
それでも、だ。
簡単に「違う」とは言いたくなかった。
「やっぱり、その場しのぎにしかならないんスよ?」
「だが、中には穏便に暮らせている者もいる」
「十人に1人くらいじゃ、意味なくないスか?」
「なにもせぬよりマシだ」
ブラッドは、ドリエルダのことで、最初の「読み」を外している。
そのため、迷いが生じた。
今後、彼女が、ブラッドの「読み」通りに進めるのかどうか。
最初の読みを外したのは、情報不足が原因だ。
「DDの奇行の噂と結果、と、その結果。どれもパッとしないス」
ドリエルダの奇行は「人助け」と関係がある。
ブラッドは、噂を、ピッピに検証させた。
「チップと別れた女は、チップの婚約者と揉め事は起こしてないけど、ほかの男を刺したし、街で大騒ぎをした時に集まってた連中の大半は、なにかの事故や病気で死んでる。生きてる奴は、元々、死ぬ予定じゃなかったんじゃないスかね」
「あれが買ったとされる子は、シャートレーで見習い騎士をしているのだろ」
「それだけじゃないスか」
ほかの噂についても、結果は、似たようなものだ。
ドリエルダが夢での出来事を回避させても、結局は回避しきれてはいない。
言うなれば、その場をやり過ごしただけだった。
将来的に、似たような出来事に繋がっている。
かといって、その人物を延々と見張り続けられはしないのだ。
それこそ「いつ起きるか」不明なものに、対処などできるはずがない。
実際、チャールズの婚約者と揉め事を起こしそうだった女が、ほかの男を刺したのは、チャールズと別れてから半年もあとのことになる。
「オレは、DDに警告するべきだと思うんスけどね~」
同感と言えば、同感だ。
だが、躊躇いがある。
ドリエルダは、正しいことをしようとして、行動をしていた。
なにが起きるか知っていて見過ごしにはできなかった、と言っている。
(俺とて……お前の父の死の責任は、お前にはないと言ってやりたいが……)
自分が夢を見過ごしにしたせいで父親を死なせたと、彼女は思っているのだ。
とはいえ、結果は変わらなかった可能性のほうが高い。
夢の出来事を回避したところで、おそらく彼女の父親は死んでいただろう。
その確率は、五分五分ですらなかった。
ピッピの報告通り、良い目が出るのは、十人に1人いるかいないか。
ブラッドの「読み」では、とくに、死に直結する内容であればあるほど、回避ができないものになる。
シャートレーの見習い騎士となった子は、そもそも死ぬ予定になかった。
だから、人生の軌道が変えられたのではなかろうか。
攫われて国外に売り飛ばされる人生から、見習い騎士となる人生へと。
(それも、どちらが良かったかはわからんのだ。たとえ売り飛ばされたにしても、売られた先が裕福な家庭であったならば、そちらのほうが見習い騎士となるより、幸せとなれたかもしれん)
実際には、売り飛ばされなかったので、誰がどこに売ろうとしていたのかまでは追跡調査ができなかったらしい。
結果がわからないのだから、どちらが良かったのかという結論も出せなかった。
言えるのは、その子が「売り飛ばされる」との経験をせずにすんだことだけだ。
「む。そうか」
「なんスか。また面倒くさいこと言う気でしょ?」
「その見習い騎士に、今の気持ちを聞いて来い。シャートレーにいることに不満がないかどうか。DDに対して、どう思っているかだ」
「……なぁんで、そこまでしなきゃならないっスか? こんだけ結果が出てるんスから、もういいでしょ?」
ピッピが、あからさまに面倒くさいといった調子で言う。
やる気のなさも、全身から溢れ出していた。
その理由が、ブラッドには、わかっている。
ピッピは、漫然と動くのを嫌うのだ。
ブラッドが、立ち位置をぼかしているのが気に食わない。
つまり「どの立場で関わろうとしているのか」が明確でないのを嫌がっている。
ブラッド自身、そのことには気づいていた。
夜会のところまではいい。
ドリエルダから声をかけられ、手を貸したのは、見ていられなかったからだ。
だが、夢の出来事は、回避されている。
もとより、手を貸すのは、そこまでだと決めていた。
そこから先は、彼女自身の選択次第。
結果が良いほうに転がるかどうかは、ドリエルダの選んだ行動により決まる。
ブラッドに責任はないし、関わる必要もない。
そもそも、手を貸す義理だってなかったのだ。
そんなことは、わかっている。
なのに、気になっていた。
気にしている自分に、苛々するほどだ。
だからこそ、見習い騎士の気持ちが知りたい。
今後、ドリエルダも同じような気持ちになるかもしれない。
毎日が楽しい、幸せだ、というような。
それだけわかれば、納得できる気がする。
なにに対する納得なのかはともかく。
「無理にとは言わん」
ピッピの言うことは、正しいのだ。
つきあわせる理由が、ブラッドにはない。
言わば、ブラッドの自己満足に過ぎないのだから。
「オレ、ブラッドの、そういうところ嫌いっス。ウザいっス」
「そうか」
「遠回しに甘えるの、やめてくんないスかね。甘えるんなら、堂々と甘えればいいじゃんスか。やれって言われりゃ、やるんスから」
ピッピが、ぐしゃぐしゃの髪を手で書き回しつつ、うっとうしそうに頭を振っていた。
時々、この十歳も年下の「後輩」のほうが、ブラッド自身よりブラッドを知っているのではないかと思える。
「ピッピ」
「なんスかー?」
「やれ」
「……これだから、身内に構い倒されるって、わかってます~?」
ピッピが、大袈裟に肩をすくめた。
それを見て、ブラッドも肩をすくめてみせる。
そして、無表情で言った。
「そんなことは、俺の知ったことではない」




