新たな時を動かして 1
まさか、そんなことになっていたとは、タガートも知らずにいた。
自尊心を傷つけられはしたものの、ドリエルダに悪気があるとは、思わずにいたからだ。
悪意から、自分を「誕生日の贈り物」扱いしたわけではないのだろうと、それはわかっていた。
そのため、彼女を問い質したり、責めたりはしていない。
ただ、やはり当時は腹立ちが大きく、素直に婚約を受け入れられずにいた。
(だが、実際には、私を“贈り物”にしたのはブレインバーグ公爵だったわけか)
ブレインバーグ公爵は抜け目がなく、狡猾な人物だった。
公爵家の中で中堅どころであるにもかかわらず、王宮の重臣として、それなりに力を持っているのは、そうした人柄に寄る。
おそらく、さらに力をつけようと、シャートレーに取り入りたかったのだろう。
だから、シャートレーには、ベルゼンドが望んでいると言い、ベルゼンドには、シャートレーが望んでいると、都合の良いように話を作った
つまり、自分もドリエルダも利用されただけなのだ。
元凶は、ブレインバーグ公爵にある。
なのに、ドリエルダは、彼女自身を責めていた。
昔から、彼女には、そういうところがある。
ハーフォークの2人の姉と仲良くできないのは、努力が足らないからだ、とか。
なにをすれば喜んでもらえるのかわからないのが駄目なのだ、とか。
十歳になる頃まで、よくそんな話をしていたと、記憶している。
その努力は、報われたのかもしれない。
ドリエルダが姿を消した際、ジゼルは、妹を気にかけていた。
その後も、ずっと心配し続けている。
今は、あまり関係が良くない状態となっているが、いずれ、和解できる日も来るはずだ。
ドリエルダの心根は、あの頃と変わっていないのだから。
きっと、自分たちも、やり直せる。
そんなふうに思えた。
「あの……最初からというのは、どこから?」
躊躇いがちに訊いてくるドリエルダに、タガートは微笑んでみせる。
彼女を大事にしたかったし、一足飛びに物事を進める気もなかった。
まずは、少しずつ、以前の自分たちに戻っていく必要がある。
開いてしまった距離を縮めるところから始めるべきなのだ。
「散歩をしたり、話をしたり、食事をしたり、というところかな。私が考えると、気の利いたものではなくなるようだ。きみが、街や夜会のほうが楽しめるのなら、一緒に出掛けるのもいいね」
「本当のことを言うと、私も、それほど夜会は好きではないのよ」
「そうなのかい?」
「ゲイリー、私が平民だったのを、忘れていないでしょう? 貴族らしく振る舞うのは、骨が折れるわ」
その言葉に、納得する。
悪評の原因のひとつは、ドリエルダが無理をしていたせいかもしれない。
向かない貴族の集まりで、彼女なりに努力をしたのだろう。
けれど、根っからの貴族令嬢たちとは、話を合わせるにも苦労したはずだ。
「きみが平民だったからということではないと思うな。私も、同じ歳の子息たちとうまくやれているとは言い難い。社交が貴族の嗜みだと知っていても、だ」
「向き不向きがあるのでしょうね。夜会より遠乗りのほうが、私は好きよ」
だんだんに、ドリエルダの口調が気軽なものに変わっていく。
さっきまでの暗かった表情も、穏やかさを取り戻していた。
タガートは気取った会話より、こうした些細な話をするのを好む。
彼女も同じなのだろうかと思うと、心が暖かくなった。
「きみは、馬に乗れるようになったのだね」
「シャートレーが、騎士中心の家だからというのもあるけれど……見習い騎士では太刀打ちできないくらい、お母さまは乗馬が得意なの。すごく恰好良くて、私も、真似をしたがったのよ」
言ったあと、不意に、ドリエルダの頬が、わずかに赤く染まる。
と、同時に、なにか逡巡しているらしく、眉を下げていた。
タガートは、ドリエルダの水色の髪を、軽く撫でる。
さっきはつい抱き締めてしまったが、性急になるのは控えるつもりだった。
ドリエルダとの婚約は解消されている。
彼女とは、現状、恋人同士でもない。
関係が修復できるまでは、気安く抱き締めたりすべきではないのだ。
ドリエルダは、もう12歳の子供ではないのだから。
「なにか考えがあるのなら、言ってごらん」
「そうね……とても図々しいお願いがあって……」
「かまわないよ。きみの願いは、図々しくはなさそうな気もするけれどね」
「どうかしら。私、あなたの領地に行ってみたいのよ?」
どこか図々しい願いなのか、わからなかった。
というより、なぜ領地に行きたいのかが、わからない。
タガートはベルゼンドの領地が好きだが、面白味がある場所とは言えないのだ。
牧畜が主だった土地柄で、観光地にあるような見所は、なにもなかった。
「羊や牛ばかりで、綺麗な鳥の代わりにいるのは鶏だが」
「知っているわ。昔、あなたが話してくれたもの」
「それなのに、行きたいのかい?」
「そうよ。領地の話を、あなたに聞くのが、私は好きだったから。でも、あの頃は連れて行ってほしいなんて、とても言えなくて……」
少し気後れした様子で言うドリエルダを、また抱きしめたくなるのを我慢する。
誰かに褒められたいとか、認められたいとか、タガートは、考えたことがない。
父の代で崩れかけていた領民との信頼関係を、築き直そうとしてきただけだ。
それでも、自分のしてきたことに興味を持ってもらえるのが嬉しかった。
「それなら、ベルゼンドの領地で遠乗りをしようか」
「本当に、いいの? 迷惑をかけることになるなら……」
「大丈夫さ。きみは、早起きをしなければならないがね」
ドリエルダが、嬉しそうに小さく笑う。
その笑顔ひとつに、胸が高鳴った。
貴族令嬢の喜びそうなことを、なにひとつ言えない自分にも、彼女は笑いかけてくれている。
「昼食は、こちらで用意しておくけれど……」
タガートは、ほんの少し言葉に迷った。
卑屈になる気はないが、事実は事実として曲げることはできない。
けれど、ドリエルダが、たちまち不安そうな顔をしたことで、吹っ切れる。
自分の力でどうにかなるものではなかったからだ。
「私が、この屋敷を訪れるのは難しい。きみに招いてもらわなければ、迎えに来ることもできないのだよ」
「私が招くのはかまわないわ……でも、ゲイリーは気詰まりでしょう?」
貴族社会は、爵位による暗黙の決まり事もあり、面倒なことも多い。
婚約解消を聞きつけたブレインバーグ公爵は、散々にタガートを罵っている。
ドリエルダに聞いた話から察するに、思惑が外れたからだろう。
これで、またドリエルダとの関係を察知されると、どんなふうに利用されるか、わかったものではない。
「気詰まりというより、公爵が良からぬことを企むのじゃないかとは思っているね」
「それなら、私が行くわ」
「きみが、こちらに来てくれるというのかい?」
「馬車を使わずに行けば、目立たないでしょう? 領地のどこかで、待ち合わせをすればいいわ。できれば、分かり易い場所にしてもらえると助かるけれど」
ドリエルダが目を輝かせている。
ちょっとした冒険を楽しみにしているとでも言う雰囲気だ。
見ていると、タガートも心が弾む。
が、すぐに言葉を付け足した。
ドリエルダに誤解されたくなかったのだ。
「私は、きみとのデート……デートと思ってもいいのなら、このデートを隠したいわけではないよ。こそこそする気はないと、わかっていてほしい。だから、きみの気が変わって迎えが必要なら、連絡をしてくれ」
タガートは、ドリエルダの存在を恥じているから隠したがっていると、誤解されたくなかったのだ。
ブレインバーグ公爵が、禄でもないことをしないとの確証があれば、彼女からの招待に応じ、堂々と迎えに行けた。
「いいのよ。あの人に振り回されるのは、懲り懲りだわ。それに、お忍びで行ったほうが楽しいのではないかしら? 領民の人たちに会った時、気楽に話せるほうがいいもの」
タガートは、ふっと笑う。
疑っていたのではないにしても、本気で、ドリエルダが「領地デート」を楽しみにしているのが、伝わってくるからだ。
領民と話すことまで考えて、好奇心に目を輝かせている。
「残念だよ。夏場なら、私の毛刈りの腕を披露できたのにな」
「あら、ゲイリーは、羊の毛刈りまでするの?」
「手が足りない時はね。15歳で毛刈り鋏を握って以来だから、手慣れたものさ」
「子牛の出産に立ち合うよりは、向いていたのではない?」
ドリエルダは、自分がした話を覚えてくれていたらしい。
思い出したのか、くすくすと笑っている。
彼も、つられて笑った。
こんなふうに、ドリエルダと一緒にいると、タガートも、よく笑うのだ。
「夏になったら、あなたの毛刈り姿が見られるかもしれないのね」
とく…と、心臓が音を立てる。
彼女は、自覚していないに違いない。
けれど、タガートは意識していた。
毛刈りの季節は、半年余り先になる。
(その頃になっても、彼女は、私の傍にいると思ってくれているのだろうか)
会話の流れで、なんの気なしに言った言葉だとは思う。
それでも、期待をせずにもいられなかった。
ドリエルダの中に、自分とともに過ごす未来が存在していると。
「DD、きみとの初デートを楽しみにしているよ」
ドリエルダが、わずかに頬を赤らめる。
その表情に、タガートは、首をかしげたくなった。
(彼女は、放蕩慣れしているようには見えない……あの噂は、いったい……)
だが、そのことについて蒸し返すのはやめることにする。
せめて、もう少し、お互いに落ち着いてからのほうがいいと判断した。
せっかく、きっかけを手にしたのだ。
無駄に波風を立てたくはなかった。




