最悪の果てに 3
どうしても納得できなかった。
そして、納得できない上に、我慢できないことも重なっている。
話は終わり。
冷たく告げられ、ドリエルダは、部屋から出されてしまった。
扉の前で立ち尽くしているわけにもいかず、しかたなく屋敷も出ている。
その際に、見かけてしまったのだ。
ジゼル・ハーフォーク。
ドリエルダの1つ年上の義理の姉、であった人。
なめらかな金髪、薄い青色の瞳に、同じ色の豪奢なドレス。
高級な宝石も身につけており、いかにも夜会に出席するといった姿。
(タガートは、私じゃなくて、ジゼルのエスコートをするつもりなの?)
信じられない気持ちで、彼女は自分の乗ってきた馬車を目立たない場所に留め、屋敷の入り口を見つめていた。
ハーフォークは、ベルゼンドの下位貴族なのだ。
夜会前に、ジゼルが挨拶に来ただけという可能性もある。
誤解で、タガートを責めることはしたくなかった。
彼は、彼女に「来るな」と言っている。
その言葉を受け、ドリエルダが夜会に行かないのであれば、当然に、タガートも行くはずがない。
屋敷に留まるはずだ。
馬車の中で不安に苛まれながら、ドリエルダは、じっと待った。
その目が見開かれる。
視線の先に、ジゼルに腕を貸すタガートが見えたからだ。
体が小さくカタカタと震える。
(どうして、ジゼルと……っ……よりにもよって……っ……)
本当に、信じられなかった。
さっきまでドリエルダに接していた時とは違い、タガートは微笑んでさえいる。
あんな表情は、この2年、見たことがない。
婚約後、彼は、すっかり変わってしまったのだ。
「いかがいたしますか?」
御者のレストンに尋ねられ、彼女は、シャートレーの屋敷に戻るよう告げた。
揺れる馬車の中で、ドリエルダは、膝の上で、ぎゅっと両手を握り締める。
考えれば、考えるほどに、納得できなかった。
そして、我慢もできなくなる。
「レストン、やはり王宮に行って」
「かしこまりました」
馬車が方向を変えて走り出した。
タガートは、侯爵家の馬車で、ジゼルと王宮に向かったのだろう。
回り道をした分、ドリエルダは遅れることになる。
それでも、かまわなかった。
遅れようがどうしようが、自分はタガート・ベルゼンドの婚約者なのだ。
堂々と振る舞えばいい。
なにも悪いことはしていないし、恥じる行いをしたとも思っていなかった。
むしろ、ここで逃げてしまえば、後ろめたさがあると取られる。
(私を嫌ってる貴族たちに、私が傷つけられるかもって、心配してくれたんだろうけど……ゲイリー、あなたは優しい人だから……)
かつて、ハーフォークで会っていた頃、ドリエルダは、彼を愛称で呼んでいた。
彼から、そう呼ぶように言われたのだ。
彼も、その頃は、ドリエルダを愛称で呼んでくれていた。
婚約が決まってから、正式名すら呼んでくれないけれど。
ドリエルダは、それでも、彼を信じている。
幼い頃、彼女を守ろうとしてくれていたのは知っていた。
タガートだけが、ドリエルダに優しかったのだ。
大事にされていたことにも、気づいている。
シャートレーの養女となり、立場も状況も変わった。
だとしても、変わらないものもあるはずだ。
事実、ドリエルダの心は、あの頃と同じ。
タガートとの婚約を、彼女は政略的なものとは受け止めていない。
兄に対する思慕のようなものから、淡い恋心に変わり、それが、年を追うごとに大人の恋へと変わっていった。
16歳のドリエルダは、本気でタガートに恋をしている。
彼からも大事にされているのだから、これは本物の「婚約」なのだ。
そう信じていた。
(きっと、またジゼルに泣きつかれたに決まっているわ)
ジゼルというのは、ハーフォーク伯爵家の正妻の次女。
長女は、すでに別の伯爵家に嫁いでいる。
ジゼルは、昔からタガートと婚姻したがっていた。
ドリエルダがハーフォークにいた頃は、かなり邪魔者扱いされていたものだ。
彼がドリエルダに構うのは可哀想だからだと、言われていたのを思い出す。
彼は慈善家だからとか、その優しさにつけ込む薄汚い娘とか、散々に罵られた。
それは、ドリエルダがハーフォークの屋敷から姿を消す当日まで続いたのだ。
くっと、彼女は奥歯を噛みしめる。
あの日のことは、思い出したくない。
ドリエルダが、姿を消した理由は、誰にも打ち明けていなかった。
彼女を養女にしてくれた両親にさえも黙っている。
2人は、無理に訊こうとはせずにいてくれた。
話したくなかったというより、思い出したくなかったのだ。
言葉にしてしまうと、強く記憶に残りそうで嫌だった。
自分には、もう関係ないのだと割り切るほうが楽に思えた。
以来、誰にも話していない。
(彼の前では、お淑やかで礼儀正しいのよね、ジゼル?)
ドリエルダを罵倒するのと同じ口で、ジゼルは心にもないことを平気で言う。
タガートと一緒の晩餐では、仲の良い姉妹を演じさせられた。
ドリエルダから「悪事」が露見しないように、いつだって手を打っていたのだ。
彼が、ドリエルダだけを散歩に誘うことも少なくなかったので。
『あなたは連れ子だから、いつでも追い出せるのよ? 路頭に迷って、飢え死にしたくないでしょう?』
彼と2人きりになっても、よけいなことは言うな。
まるで口癖のように、ジゼルは、ドリエルダに同じ言葉を繰り返した。
彼女は、ハーフォークにいた頃、自分の立場を正しく理解していたので、反論はしていない。
ジゼルの言う通りだと知っていたからだ。
ドリエルダは幼かったし、屋敷を追い出されても行くアテなどなかった。
側室に格上げされた母は弟につききりで、彼女を庇ってはくれない。
そうでなくとも、ドリエルダは母と伯爵との子ではなく、庇う気持ちがあったかさえ怪しいところだ。
母にとって、自分の存在が煩わしいものになっているのにも、気づいていた。
ドリエルダは「敵国の汚らわしい」血が入っているから。
ガルベリー17世の時代ならともかく、リフルワンスが完全に崩壊してからは、目に見えて差別意識が広がっている。
ドリエルダの母は赤茶色の髪をしていて、ロズウェルドの女性と変わらない外見をしていた。
もし、ドリエルダと同じように目立つ髪色だったら、たとえ男の子を産んでいたとしても、側室にはなれなかっただろう。
だから、母は常に恐れていたのだ。
ドリエルダのせいで、息子だけ取り上げられ、娘とともに屋敷を追い出されるのではないか、と。
ハーフォークでの良い記憶は、タガートとの会話だけだった。
彼がそっけなくなった今も、その思い出に縋りついている。
婚姻すれば状況が変わると信じてもいた。
ドリエルダは、2人が腕を組み、王宮に入っていく姿に我慢の限界を感じる。
馬車を降りて、2人を追った。
彼女には、タガートしかいなかったのだ。
両親の支えはあれど、幼い頃から自分を知ってくれている唯一の人。
王宮の大ホールに入り、2人の姿を探す。
人波をかきわけるようにして、周囲を見回した。
タガートを失いたくない気持ちから、余裕をなくしている。
ジゼルに微笑みかける彼の姿に、いつもは頑なに維持している、理性や冷静さも放り出していた。
「タガート! 婚約者の私が来たのだから、エスコート役をしてちょうだい」
2人を見つけたドリエルダは、彼に声をかける。
ジゼルがなにを言ったのかは知らないが、彼は自分を大事にしてくれるはずだ。
ないがしろにしたりするはずがない。
そう、信じていた。
「きみは……」
タガートが不快そうに眉をしかめる。
ざわ…と、全身が粟立った。
嫌な気配がまとわりついてくる。
当然だが、周囲から「また“あの”令嬢」だとの視線が向けられていた。
「今夜は、彼女のエスコート役を務めることにしている」
「でも、私は、あなたの婚約者なのよ?」
タガートの表情が、いっそう険しいものに変わる。
そして、ドリエルダにとって、信じられないような言葉を口にした。
「どうやら、きみとの婚約は考え直したほうがよさそうだ」