想いの欠片を手に 4
ドリエルダは、ブラッドを伴い、屋敷に帰っていた。
執事とメイドたちは驚いていたかもしれない。
が、彼らはシャートレーの勤め人に徹している。
全員、一貫して、巷での悪評を無視していた。
屋敷にいる騎士たちも同様だ。
噂をネタに、からかってくることすらない。
常に、礼儀正しく接してくれる。
本音はわからないが、どうでもよかった。
疑うより信じるほうが、ドリエルダにとっては楽だからだ。
誰がなにをどう思っているのか。
どこでどう言われているのか。
見張られているのか。
疑い出せばきりがない。
会話の、いちいちにまで神経質になるのは嫌だった。
そもそも、ドリエルダは、そういう性分ではないのだ。
「なにをむくれている」
「むくれてないわよ」
「むくれているではないか」
ブラッドが、ソファの向かいに座っている。
ドリエルダは難局を乗り切ってきたため、理性的で冷静さを保つ癖があった。
ブラッドには、何度も「駄目出し」をされたが、表情を作るのだって下手なほうではないのだ。
なのに、どうしてか、ブラッドには、簡単に感情を読まれてしまう。
悔しくなって、ドリエルダは、ぷいっとした。
「あなたが、ドンファンだったなんて知らなかったわ」
「ドンファンだと?」
「あの場にいたご令嬢の方々を、ぽうっとさせていたじゃない」
「仮にそうだとしても、“ぽうっ”としたのは、あの者たちの勝手だ。俺が強制したわけではない」
「強制したも同然よ!」
ビシッと、人差し指を突き付ける。
そして、言った。
「にっこりしたでしょ?! あの破壊力! 私の秘密にしておきたかったのに! なによ、大盤振る舞いしちゃって!」
言ったあとで、あれ? と思う。
ブラッドが、ものすごく呆れたような顔をしていた。
うっかり心の裡をさらけ出してしまったと気づくのに、しばしの間。
「お前、そのようなことを考えていたのか?」
「だ、だって、あの場では……ほら! 私たちは恋人同士って設定だったでしょ! なのに、ほかの女性に色目を使ってるって思われても困るじゃない!」
「そうならぬよう、お前とだけ踊ったのであろうが。3曲もな」
うぐ…と、言葉に詰まる。
状況として、ブラッドが事をおさめるのに「にっこり」したと、わかっていた。
ただ、感情がうまく御しきれずにいるのだ。
いつもは、こんなことはないのに。
幼い頃の環境と、シャートレーになってからの悪評。
その2つが、自動的に、いつも理性と冷静さを発揮させる。
いちいち取り乱してはいられなかったからだ。
今や、感情的になりたくても、頑なに理性が拒むほどだった。
だが、ブラッドの前では、理性の箍が緩む。
協力者だし、なにより夢のことを否定されなかったことで、安心しきっていた。
だから、無意識に、気が緩んでいるのだ。
乱れたペースを取り戻すため、軽く咳払いをする。
ブラッドは、すでに無表情に戻っていた。
「ひとつ訊くが、お前は、奴のどこを好いている?」
「え? ゲイリーの……ああ、これは、彼の愛称なの」
「ハーフォークで優しくしてもらった、いわば王子様だと言っていただろ?」
タガートに対する想い。
ドリエルダは、タガートのことを思い出す。
彼女が、タガートに恋心をいだくようになったのは、優しくしてもらったから、というだけではない。
「最初はね、兄みたいな感じだった。優しくて、頭を撫でてくれる人。私の髪も、綺麗だって言ってくれたわ。彼が、私を大事にしてくれてるって感じてた」
その頃のことを思い出しながら、訥々と語る。
今さら、自分の想いが、タガートに必要かどうかはともかく。
「ゲイリーはね、夕食後に、いつも私を散歩に連れ出してくれたの。日頃は、それほど口数が多い人じゃないのに、その時は、いろんなことを話したわ」
ドリエルダが不自由をしていないかとか、つらいことはないかとか。
彼女のことを先に訊いてくれた。
それから、タガート自身のことを話してくれている。
「どこの農場から羊が逃げたとか、その最後の1匹を、ゲイリーが捕まえたとか、子牛の出産に立ちあって、ぶっ倒れそうになったとか。領地であったことを話してくれたわ。私は、よく笑っていて、彼も笑ってた」
領地のことを語るタガートは誇らしげで、楽しそうだった。
自らの領地や領民を、タガートは、とても大切にしているのだ。
「ハーフォーク伯爵なんて使用人任せで、自分では何もしてなかったのよ? そのくせ偉そうにしてた。でも、ゲイリーは、ちっとも偉そうぶったりせずにいたわ。彼ったら、お礼を言おうとすると、決まって逃げるの。苦手なのよ、褒められたり感謝されたりするのが。だから、恩に着せられたことなんて1度もなかった」
納税だけで十分だ、これが自分の役割だと言い、タガートは、領民からの謝礼を受け取ることはなかった。
その彼の正しさに、ドリエルダは共感を覚えている。
ちょっと堅物で、要領の悪いタガートが、彼女は好きだった。
彼は、間違いなく、ドリエルダの「初恋の人」だ。
庭園を散歩しながら笑うタガートの姿が目に浮かぶ。
あの笑顔を失ってしまった。
自らの行いにより、タガートに、しかめ面ばかりさせるようになった。
ぱたぱたっと、ドリエルダの瞳から涙がこぼれ落ちる。
今頃、タガートは受け取っているはずだ。
義父に頼んで書いてもらった「婚約解消」の通知を読んでいるだろう。
『勝手ばかり言って、ごめんなさい、お父さま、お母さま』
『お前が決めたことなら、それが正しいと信じるよ』
『あなたが幸せだと思えるのが、大切なのよ、DD』
両親は、そう言って、ドリエルダを抱きしめてくれた。
夢の話を打ち明けた時も、正しいと思うことをしなさい、と言ってくれたのだ。
迷惑をかけている自覚はあるため、正しいことをしているのか迷う時もある。
夢を見過ごしにできないのは、罪悪感から逃げたいだけなのではないか、と。
(結局、ゲイリーには見放されちゃった……私の自己満足につきあわされたって、迷惑なだけよね……彼と私の正しさは違うんだから)
自分が正しいと思ったことをタガートも受け入れてくれると思い込んでいた。
どちらかを選ばなければならない日が来るなんて、考えてもいなかった。
そして、ドリエルダは「人助け」をやめられない自分を選んだのだ。
婚約の解消に、タガートは胸を撫で下ろしているに違いない。
ブラッドの策により、ドリエルダもタガートも互いに「運命の相手」を見つけたということになっている。
タガートは婚約者のドリエルダではなく、ジゼルを伴っていた。
ドリエルダも同じく、婚約者ではなく、ブラッドにエスコートされている。
婚約しているはずの2人が、こんな具合なのだから信憑性も増しているはずだ。
せめてもの救いは、どちらの家名にも傷がつかなかったこと。
最後に、タガートに迷惑をかける真似をせずにすんだのを喜ぶべきなのだ。
「泣く必要などないぞ、DD」
ふわっと、膝に、なにかが投げかけられる。
信じられないことに、ブラッドはハンカチを持っていたらしい。
白くて手触りが良かった。
せっかくなので、ありがたく使わせてもらう。
「奴は、お前に会いに来る」
「そんなはずないわよ。私と婚約解消できて、清々してるはずだもの」
「いいや、絶対に来る。俺を信じよ」
「あなたのことは信じてるわ、ブラッド……でも……」
「信じているのであれば、“でも”は、ナシだ」
ハンカチで涙を拭く。
ブラッドは、自信があるようだ。
けれど、ドリエルダは、自分に自信が持てない。
ブラッドのことは信じられても、自分のことが信じられずにいる。
「彼が来たら……私は、どうすればいい?」
ブラッドなら最善の策を考えられるはずだ。
そもそもタガートが会いに来る理由も、ドリエルダには予想がつかない。
一方的な婚約解消に不満を言うためか、婚約解消に伴う手続きの話をするために来るのか。
「それは、己で考え、決めるがいい」
ブラッドが、すくっと立ち上がる。
入る時は屋敷の正面だったが、帰るのはバルコニーからだと聞いていた。
こういう場合、いつ帰ったのかわからない、というほうがいいのだそうだ。
こういう場合がどういう場合なのか、ドリエルダにはわからなかったけれども。
「俺が手を貸すのは、ここまでだ、DD」
言って、ブラッドは、スッと姿を消す。
ドリエルダの手の中に、白いハンカチだけが残されていた。




